華語り

心に華を!!

近江・若狭路

2005-09-15 10:33:37 | 道々之記

2004年のGWには、近江、若狭方面に行ってきました。
相変わらずマニアックな史跡めぐりです(^_^;)
賤ヶ岳→小谷城跡→姉川・・・と進んでいって、ふと時間を逆行していることに気付く(笑)
                               (2004年5月撮影)

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◆賤ヶ岳古戦場跡(頂上)

賤ヶ岳頂上に建つ碑。
頂上までは遊歩道が整備されていますが、リフトで登ることもできます。(もちろんリフトで登りました(^^;))

 

リフトの降り場から頂上に向かう途中にある、賤ヶ岳合戦戦没者を祀った祠

 

◆余呉湖

賤ヶ岳頂上から余呉湖を望む。
頂上からはとても眺めがよかったです。お天気もよかったせいか、お弁当持参でハイキングに来ている人が大勢いました 。

当たり一帯がかつて戦場になったとは思えないような静かな湖のたたずまいでした。

 

◆小谷城跡

読み取りにくいですが「小谷城址」の碑。
この碑の少し先に本丸跡があります。
小谷城は浅井長政の居城。天正元年(1573)、織田信長の軍によって攻められ、城は落城しました。

 

浅井長政が自刃した赤尾屋敷(を示す標識)
信長の軍に攻められた長政は、赤尾屋敷で自刃。29歳でした。信長の妹で長政に嫁いでいたお市の方は3人の娘とともに信長の下へ行きました。

 

◆小谷寺

小谷城址のふもとにある小谷寺。
浅井家の祈願寺であったが、小谷城落城とともに滅亡、後に秀吉が再興したそうです。
本尊は如意輪観音ですが、そのお姿は太秦広隆寺や斑鳩中宮寺の弥勒菩薩を思わせるような優美な半伽思惟像です。(この像は寺宝のため、撮影させてもらええませんでした。)
茶々が、父長政の供養のために奉納したという長政の木像や、お市の念持仏であった愛染明王<なども安置されています。

 

小谷寺に安置されているお市の方の持念仏と伝えられる愛染明王像

 

◆姉川古戦場跡

「古戦場」の碑が建つ場所から姉川を望む。
元亀元年(1570)織田・徳川連合軍と浅井・朝倉連合軍が姉川を挟んで対峙しました。激闘の末、浅井・朝倉軍は敗走し、織田軍の勝利に終わりました。
手前に浅井・朝倉軍が、川の向こうに織田軍が、それぞれ布陣したそうです。

川の水が紅く染まるほどの激戦地だったようですが、川は過去の戦のことなど微塵も感じさせずに、穏やかに流れていました。

 

◆石田三成出生地(滋賀県長浜市石田町)

八幡神社裏手にある三成および一族の供養塔
八幡神社は石田氏の氏神だったということです。

かつて土で覆われていたあたり一帯を掘り起こしてみると、これらの供養塔が出てきたそうです。

 

三成出生地(屋敷跡)にある三成の像。現在「石田会館」があり、三成関係の資料が展示されています。

 

◆関ヶ原

【笹尾山 石田三成陣跡】

 

笹尾山は石田三成が陣を敷いたところ。
「大一大万大吉」の軍旗がはためいていました。

 

【桃配山 徳川家康陣跡から笹尾山を望む】

桃配山は関が原の合戦の時、徳川家康が陣を敷いたところ。
その昔、壬申の乱の折、この山で、大海人皇子が自ら兵士たちに桃を配って士気を高めたという故事があります。 その大海人皇子の故事にあやかって、家康もこの地に布陣したのでしょう。

三成が陣を敷く笹尾山は目と鼻の先(矢印で示したあたり)。お互いに丸見えだったんですね。

 

そして、このような看板を発見↓

家康、リムジンか何かで乗りつけるのだろうか(爆)

 

◆野上行宮跡推定地

関ヶ原に行ったら1600年の古戦場とは別に、是非行きたいと思っていたところ。

壬申の乱(672年)における大海人皇子の野上行宮跡(推定地)。桃配山から1キロ弱大垣方面よりにあります。(斑女観音堂裏手)
関ヶ原は2度にわたって天下分け目の戦いの舞台ともなったところです。

 

◆城山公園(福井県高浜町)

高浜城は若狭守護武田氏の臣逸見氏の居城であったが、現在は公園になっています。
海岸浸食によってできた奇岩(八穴の奇勝)が有名。写真はそのひとつ、明鏡洞(めいきょうどう)。ぽっかりと丸く開いた穴が確認できるでしょうか。季節柄、こいのぼりが泳いでいました。

 

◆天橋立

天橋立の海岸の様子

羽衣伝説で、天女が羽衣をかけたと伝えられる松。枝振りが見事でした。

 

【桜山の由来】

「桜山」の麓で偶然見つけた由来書。天正8年宮津に移った細川藤孝が、吉野山の桜を植えたことで「桜山」と呼ばれるようになったのだそうです。

そのかみに契りそめつる神代まで
かけてぞ思ふ天の橋立

という彼のの歌が記されています。

 

☆細川藤孝(1534~1610)
天正元年(1573)織田信長の家臣になった藤孝は天正8年、丹後を与えられ、宮津に城を構えた。
本能寺の変後、剃髪し「幽斎」と名乗る。
当代一流の文化人で、特に和歌をよくした。

 

◆三方五湖(福井県)

展望台から見た三方五湖。
夕刻で空も曇っていたので、写真写りがあまりよくありませんが・・・


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