外国人への日本語教育を考える際に、外国人の人権を考える必要ってないのやろうかということを思う。確かに言葉は必要なんだけれども、言葉だけで解決できない問題もたくさんあるし、言葉を学ぶことも権利保障の一環として行われるというように位置づけをしないと、結局は言葉を学ばない・学べる環境にない人たちの責任問題が生じるような気がする。実現するかどうかまでは分からないけど、現に、日系人へのビザの更新の条件に日本語能力を課せようという話は出ているし。
言葉を必要としている人が学べるようにする、それを権利として保障するということと、日本にいる外国人は日本語を
学びたいはず、学ぶべきだというのは視点が大きく違うと思う。
言葉を必要としている人が学べるようにする、それを権利として保障するということと、日本にいる外国人は日本語を
学びたいはず、学ぶべきだというのは視点が大きく違うと思う。