ドリーム 2(セカンド)

長坂徳久が語る夢教育(ときどき日常)

試験で大切なのはいつ?

2011年01月06日 22時51分36秒 | 少林寺拳法(ライフワーク)
少林寺拳法  橋本西支部 道場通信

ドリーム No.677

発行日 2010年10月21日(木) 発行・文責 長坂 徳久



【試験で大切なのはいつなんだろう?】


昇級試験がありました。


さて、試験(昇級にかぎらず)っていつが大切なのでしょうか?

そう、当然「当日」(試験そのもの)です。

まずここがダメなら不合格ですから。

少林寺拳法の試験は、稽古がすべてものをいいます。稽古以上のことは絶対にできません。試合ではないからです。


試験では、

①「覚えているか」(言われた技を間違わずにできるか?)


②「うまくできるか?」(一技10点満点で7点をクリアできているか。)

を採点します。


合計で7割を超えていれば合格。少年部は8級~7級は100点満点。6級~5級は150点満点。4級は200点満点。3級~1級は300点満点です。


さて、次にみんなが大切に思うことは、


「試験というのは、試験までの取り組みが大切なんだ!」


ということでしょう。


それは、全くそのとおりです。


試験だけ受かっても、そこまでの取り組みがいいかげんなら、その級をもらう資格はないでしょう。


では、おうちでは、試験そのものと試験への取り組みのどちらを大切にされていますか?


後者だとはわかっていても、やはり前者が大切(結果オーライ)となってしまうのが人情というものです。(指導者もそうです。)


さあ、もうひとつ大切なことが試験にはあります。なんでしょうか?


そうです。


試験が終わった後です。


 私は、少林寺拳法の試験に限らず、テストというものは、「どこができていて、どこができていないか。」を判別する作業だと思っています。


だから、大切なのは、点数にだけ一喜一憂しないこと。本質を見ること。本質とは、【できていないところをどのように理解したり、覚えたり、できるようになっていくか】・・なのではないでしょうか。


 学校では、「テスト直し」というのがあります。大切なのは直すだけでなく、もう一度学習すること(させること)ではないでしょうか?
 

少林寺拳法も同じです。試験が終わったら、次へ進むだけではダメなのです。今回の昇級試験は取り組む日も少なく、みんなギリギリセーフという感じ。(これは長坂の指導計画やみきわめシステムの詰めの甘さに原因があります。)


 各級別に結果を告げるとき、次のような語りを入れました。(例、3級)


「実技は合格です! しか~し、どうだ? ちょっと自分は稽古不足だなーと思う人はいませんか? そうだよね。もう少し稽古をすることが大切だね。大切なことは、3級になることではありません。3級の実力をつけることです。そのためには、まず、いまから2級を目指す前に、本物の3級になりなさい。本物の3級の実力をつけなさい。そうすれば、自然と次に2級を受験する資格が生まれてくるのです。いいかな?」


「はい!」(合格してうれしいので、拳士たちはやる気満々の返事!)


※これがエラーレスラーニングの原理だ。(紙幅の関係で後述。)


以上も道場通信よりです。

映画 少林寺拳法

2011年01月06日 22時44分50秒 | 少林寺拳法(ライフワーク)
少林寺拳法  橋本西支部 道場通信

ドリーム No.675

発行日 2010年10月16日(土) 発行・文責 長坂 徳久



【この言葉が好きで少林寺拳法を!】


※土曜日発行の拙誌は、主に中高生向けの内容として書きます。中学生たちも直接読んでください。


長坂は中学二年生の夏休みの最後の日から少林寺拳法を始めた。
そう、8月31日。


 そんなとき、二学期に入ってしばらくして学校をずる休みした。
しかし、天性の「運の良さ」がここでも発揮!


偶然にも、朝10時ぐらいから、テレビで映画「少林寺拳法」(東映・千葉真一主演 志穂美悦子出演)が放映されたからだ。この映画は、開祖宗道臣先生が少林寺拳法を作り上げるまでの波乱の人生が描かれたもの。


映画なのでかなりのデフォルメはされているが、当時少林寺拳法を始めたばかりの長坂には感動的な内容だった。


その中でも、最後に、ナレーションと共に流れた大きな字幕に心が震えた!


「正義のない力は、暴力」


「力のない正義は、無力」


特に、中学生と言えば力の使い方を間違いやすい年頃。「正義のない力は暴力」という言葉はインパクトが強かった。のちの自分の生き方にも大きく影響したと思われる。


のちに、二代目師家(第二世宗道臣) 宗由貴総裁は次のようにおっしゃった。


「愛のない力は、暴力」


「力のない愛は、無力」


力のない愛の一つが、ネグレクトであると長坂は思う。