ドリーム 2(セカンド)

長坂徳久が語る夢教育(ときどき日常)

ドリーム No.362

2007年05月18日 22時11分06秒 | 少林寺拳法(ライフワーク)
少林寺拳法 橋本西支部 道場通信

発行日 2003年4月28日(月)   発行者・文責 長坂 徳久


【スーパーチャイルド育成法!】

約束どおり、「スーパーチャイルド育成法!」です。
 但し、ここでいう「スーパーチャイルド育成法」とは、決して英才的な教育法ではありません。誰もができる、小さいうちだからできる、今しかできない指導、教育法です。(子育て論ではありません。私は子育て、家庭教育にはなにも申す資格はありませんから・・)

《長坂流スーパーチャイルド》
何にも負けないタフさと、判断できる賢さと豊かな感性を兼ね備えた子ども

誰もがお子さんにはこのような子どもになってほしいと思うことでしょう。また、少林寺拳法の指導者である私も、このような拳士に育ってほしいと願っています。
 では、スーパーチャイルドに必要な条件ってなに?
 体力なの? 感性かな? それとも知識?

まず、次の文章を引用します。(キッズトレーニング ~6歳までに運動能力を伸ばす本~より)

まずお母さんは配偶者を選んだ時点で、子どもの資質は決定済みだと思ってください。
残念ながらと言おうか、ラッキーでしたねと言おうか。
 脳細胞の数、つまりざっくばらんに言って、「頭がいいか悪いか」「運動ができるかど
うか」は生まれた時点で決まっています。でも子どもは教育のチャンスを与えられるこ
とで育ちはじめるのです。でも過剰な期待は子どもにとってはかわいそう。だって自分
の子どもですよ?
えっ、だからこそ期待は十分ですか?冷静に事実を見つめる客観性が必要ですね。

上記の文章は、取り方によっては失礼な文章かもしれません。しかし、今や「遺伝の法則」(メンデル)、遺伝子(DNA)は常識であり、最近もヒトゲノムの解読がすべて完了したと発表されました。
また、リチャードドーンキンスの「利己的な遺伝子」という本によれば人間のすべての行動、言動は遺伝子理論で説明がつくといわれています。
さて、「3つ子の魂、百までも」と言います。これは本当らしく、脳細胞は3歳までに大人の70%にまで発達します。3歳までに経験して身につけたことは一生離れないといわれています。
また、高名な教育者「ラッセル」によれば、「一人前の大人としての道徳観は、6歳までにほとんど決定される」と言っています。日本の森信三氏によれば「8歳までに道徳観を教えこむ必要がある」といいます。
そして、体育においてもこの6歳がキーポイントなのです。(続く)

(閑話休題)
みなさん、子ども達がやっている作務(さむ)をどう思いますか? 
 まあ、1度やってみてください。かなりしんどいですよ。筋力のない幼児さんには特に。
 土曜日の稽古でうれしいこと、感じたことがあったんです。
 幼年部の時から入門している「m君」(小2)。
 幼児の頃は、当然作務にもてこずっていたのですが、なんと先日見ると、途中で1度も膝をつかずに、「スイスイ~」と最後まで行っていました。しかも速かった!
私は、「あ~、人間ってこれでいいんだよな」と感じました。つまり、「小さいときからなんでもかんでもできる必要はない。その年齢に応じて成長していればそれでいい。」と。
 「子どものときだけスターだった」という人達はたくさんいます。それでは全く意味がないと思いませんか? 人間の勝負は18歳を過ぎてからです!

ドリーム No.361

2007年05月17日 23時09分37秒 | 少林寺拳法(ライフワーク)
少林寺拳法 橋本西支部 道場通信

発行日 2003年4月26日(土)   発行者・文責 長坂 徳久


「初段に合格して」(義博・中2)
 長坂先生、土橋先生、指導してくれたみなさんありがとうございました。
 ぼくは、四月六日に初段の試験を受けました。その前から練習を積み重ねてきたのでこの日がまちどおしかった。そして、車の中ではすごく緊張しておちつかなかった。その緊張している中でぼくは、日びの練習のことが頭の中にうかんできた。真剣にしているぼくと、真剣に教えてくれている先生が出てきた。それで、ぼくは、先生が真剣に教えてくれているのにここでおちるわけにはいかないと思った。今まで不安だった頭の中が変わって、自信をもってうけようと思った。
 そして、とうとうビックホエールに着いた。そこでは、まず、小学生初段、中学生初段、高校生初段というふうにならんで鎮魂行をおこなった。その後、いよいよ学科試験になった。そこで、ぼくは、今までにないほど学科が書けてうれしかった。今までの練習がいかされてうれしかったと思った。実技試験になった。そこでは技で失敗したが気合をいれて精一杯頑張った。
 実技試験が終わって結果発表をした。まず先生から「合格したら名前を言うからへんじをして」と言われた。「・・・・・T・・・・・M。」と言われてうれしかった。しかし、はっきり覚えていなくて車に乗っている時、M君に聞いた。するとM君はぼくの名前を聞いていて、ぼくはM君の名前を聞いていた。ぼくはここでやっと合格したことがわかった。二人共うれしくてたまらなかった。
 ありがとうございました。

「初段に合格して」(お母さん)
 お世話になった皆さん、ありがとうございました。
 「今までよく続いたなあと思うのが本音です。」中学に入り勉強やクラブ、少林寺拳法との両立、重なることが多く、それでも続けてこれたのは、先生が一人一人に配慮してくれていたからだと思います。初段までの道のりは、長かったけれど橋本西支部でいられることがどんなに子どもを成長させてもらっているかわかりません。気が小さくて弱くて不器用で何一つこれといって取りえのない子どもを手厚く根気よく付き合ってくださっていることをとても感謝しています。
 色々な体験、経験を義博なりに先生を通して橋本西支部のみんなに一つ一つ大きくさせていただいています。今回の初段は、受けたいけど自分にやれるのかなと不安だったと思います。でも、M君と二人で受けると決めた時に頑張るしかないと思ったようで一ヶ月間よく頑張りました。親の方もいつ弱音をはくのか心配でした。学校から帰ってくると少林寺やなと言いながら頑張りました。
 弟に「お兄ちゃんの技へたや」と言われながらも「技はむずかしいんやぞ・・・」と言いながら「お前もな、ほんなら中学生で受けてみ・・・」と家でのやりとりをしながら兄弟で話しあえる話題があるのもうれしいことです。親も笑ったり泣いたりと楽しみながら子育てをさせていただいています。
 義博の作文の中に初段の経験は、ぼくの人生の中で最も心に残ることだと書いていたとおり本当に私もそう思いました。昔にくらべて強くなったなあと思います。まだまだ、気が小さく当日は、緊張しっぱなしでしたが、いつか緊張しないで堂々と立ち向かえるようになってくれたらいいなと思います。
 また、試験会場の様子を話してくれました。その時、長坂先生と橋本西支部は、他と違っているのは前から分かっていたようですが改めて、今回うちの先生は違う、橋本西支部は凄いと実感したようです。
 本当にありがとうございました。これからもよろしくお願いします。

ドリーム No.359

2007年05月12日 22時49分24秒 | 少林寺拳法(ライフワーク)
少林寺拳法 橋本西支部 道場通信
発行日 2003年4月21日(月)   発行者・文責 長坂 徳久


          【少林寺拳法は『修業』ではない?!】

はたと次のように考えました。公式MLより引用します。
『長坂です。通信「ドリーム」で考えていることがあります。反省かな。
 今までほとんど内容は「少年部」(小学生)を中心にしたものでした。確か に小学生に 関する事項も多く、そうなってたのですが。これからは、できるだけ次のようにしたい と思います。
 月曜日発行分→幼年部に関することを書く。木曜日発行→少年部に関することを書く。 土曜日発行→一般部(中高生・社会人)に関することを書く。
 やはり、自分やお子さんに直接関係のあることが書いてあると読みがいもあるかなと。
 そして、こちらが書きすぎると「読むのが大変」という声もよく聞きますので、そのあたりも独断にならないように注意しますね!』  

ドリーム1枚(裏表)を仕上げるには、連絡事項の場合は1時間有ればできます。稽古記録、エッセイ、論文風の場合は、早くて3時間、遅くて10時間以上かかります。(それだけの文書作成能力しかないということですが・・・)
 やはり、人に読んでもらうには、色々なことに気をつかいます。また、本部や他の支部の方も読むのでいいかげんなことは書けません。推敲、推敲、推敲の連続です。ちなみに、A4表裏で原稿用紙約8~12枚ぐらいです。
と、最初にいい訳をしておいて(笑) できるだけ、上記で発行します!

 ということで、「幼年部」ですね。私は幼年部の拳士も大好きです。(かわいい!)
 さて、拳士、そして保護者が少林寺拳法に一番力が入る時期、または少林寺に期待する時期・・・それはやはり、少年部(小学生)のときだと思います。
 そして、中高生になれば、拳歴も長くなっており、支部や長坂への信頼もある程度あり?保護者の方としても「本人の意思に任せる」という感じではないでしょうか。また中高生は幼児や小学生のように手もかからないので、保護者の方が指導者や支部へ関わる密度も少なくなるのは自然なことです。(反面、拳士個人と指導者との接点は濃くなる。千明や真輔のようにとんこつスープぐらい濃くなる場合もある!)

さて、幼年部はどうでしょう。修練時間は、週1回のたった45分です。ただし、保護者の方も毎回稽古を参観されているので、小学生の保護者よりも直接お話する時間は多いかもしれません。
 では、少林寺に対する期待度、関心度はどうでしょう? 私は、他の習い事と同列ではないかと感じています。そして幼年はそれでいいと。
 だから、幼年部の保護者の方にとっては、支部の行事や取り組みは大変に思うことも多いことでしょう。また、行事やイベントも小学生以上を中心にしていますので、よけいにそう感じるかもしれません。このドリームや小車輪もほとんど直接関係のないことが多いかもしれません。ここにお詫びと感謝を申し上げます。

さて、大会後少年部に上がる拳士も4名いますので、ここで、今一度確認しておきたいことがあります。それは少林寺拳法は「行」であるということです。これを少林寺では、禅門としての「宗門の行」といいます。わかりやすく言えば「心と体の修行法」が少林寺拳法なのです。他の習い事とは違うのです。いえ、同じと思ってもらっては困るのです。どちらがいいとかということではなく、「違う」ということです。

 何が違うか・・他の習い事、お稽古事は「修業」という言葉を当てはめます。つまり「業」(わざ)を修めるということです。当然その中で精神性を説かれる指導者も多いでしょう。
 少林寺拳法は「修行」です。「行」(行い・心)を修めるのです。他の武道ですら、「修業」を用います。「修行」という言葉はそれぐらいまれなものです。だから少林寺拳法の技術(技)
は心を修めるための副産物でしかないといっても言い過ぎではありません。
そして、開祖は言います。「少林寺拳法は苦行でも楽行でもない。養行だ。」と。
 苦行とは、断食行や打滝行などです。少林寺拳法は苦しいこと、しんどいこともあるが楽しい行であると。

脱線します。釈尊(釈迦)は29歳で妻子を捨てて出家したのち約6年間の苦行を行いました。しかし、悟りには至らず、35歳のときに、衰弱しきってガンジス川のほとりで倒れているところを、スジャータという女の子に助けられました。その後、苦行をやめ、大きな木の下で座禅を組み瞑想に入りました。そこで悟道したのが12月8日のことです。
 その場所は、のちにブッタガヤーといわれ、仏教の4大聖地とされました。他の3地は、釈尊が産まれた「ルンビニ-」、最初に説法をした「サールナート」、入滅(亡くなった)「クシナガラ」です。そして、その大きな木は「菩提樹」と呼ばれるようになりました。
幼年部ということで、簡単に書くつもりがなぜかいつも以上に難しくなりました。
次回は「スーパーチャイルド育成法!」を書いてみましょう。
 

ドリーム No.359

2007年05月11日 22時59分15秒 | 少林寺拳法(ライフワーク)
少林寺拳法 橋本西支部 道場通信

発行日 2003年4月21日(月)   発行者・文責 長坂 徳久


【篤志・義博・友也初段合格!】
 
本支部では、初段合格に際しては、拳士、保護者ともに作文を書いてもらっています。今回は、篤志君(s中・3年生)、お母さんの作文を紹介します。

《初段に合格して》

     篤志

僕は、初段に合格しました。僕が少林寺拳法を始めたのは、小学4年生ぐらいの時です。
 初段の試験を受けるため、練習が、1週間に5回になりました。学科試験もするため、3日に2つ覚えるので学校が終わるのがおそかったので、けっこう大変でした。紙を学校へ持って行ってしたけど、結局ほとんど出来ませんでした。練習の方は、ほとんど1回1回のくり返しでした。組演武の順番を覚えたり、技も覚えながらしました。途中でややこしい技もあったので、先生にきちんと教えてもらいました。
 試験前になると、昼1時から4時までしました。しかし、まだ自信がなかったので、夜の練習も行きました。
 僕は、練習の途中で左手のけがをしていたので、柔法とかがあまり練習できなかったので少し自信がなかったです。
 試験の当日、とても緊張しました。小学生の初段がとても多かったです。学科の試験は全て書けたけど70点だったそうです。
 技のほうは、もっと緊張しました。他の支部からも来ていたので、技の形が少し違いました。かけ技をするとき、左手が痛かったけど、ある程度がまんしました。もうあっというまに試験が終わりました。
 名前を呼ばれたときは、とてもうれしかったです。
合格できたのは先生のおかげです。ありがとうございました。

              《初段に合格して》

                 (お母さん)
少林寺拳法を始めて、約5年となり、先日初段に合格させていただきました。
 始めたときは、小学生だった事もあり、とてもたよりなく弱々しかったのですが、今では少しずつたのもしくなり、又、自分らしさを出せるようになり、とても喜んでおります。
 初段を頂き、子供の喜ぶ姿を見るにつけ、子供以上に私にもとても感慨深いものがありました。
 初段をとると決めてからの最後の1ヶ月は、先生方にはとてもお世話になりました。週に5日間の練習は、クラブと併用となり、体が続くものかと心配しましたが、1度も休むことなく、練習ができました。
 途中で左手を痛めてしまうという事もあり、先生方や友達に、大変、迷惑、心配をおかけしましたが、幸い、痛みも少しずつひき、練習に打ちこむことが出来ました。
 学科を覚えるのも大変だったようですが、毎日毎日の積み重ねが幸を結び、学科の方も合格させて頂きました。技の練習も学科もくり返しくり返し覚えていく事で、やればできるという事を身をもって覚えた様です。
 そして、どうしても初段に合格したいという気持ちが、体も心も、強くなったのだと思います。
 少林寺拳法を通して学んだ色々の事を、今後の生活に、生かしていってほしいと思います。そして、自分の事だけでなく、他人の事を思いやれる人になってほしいです。
 今回の初段合格に関しては、先生方、先輩の方々には、本当にお世話になりありがとうございました。

ドリーム No.355

2007年05月10日 23時17分25秒 | 少林寺拳法(ライフワーク)
少林寺拳法 橋本西支部 道場通信

発行日 2003年3月27日(木)   発行者・文責 長坂 徳久


            【夢は続く・・作乾真輔編】
     ~全国高校選抜大会を終えて~

        筆者 真輔(k工業高校1年生)

 今回初めての高校選抜、思えば練習を始めたのは去年の11月頃のこと、県予選まで1ヶ月ぐらいしかないという状況で出場を決めました。
  はっきり言っていままでなまけていたもので、基本ができてない分単独演武なんて無理かもって思ってました。
 そして県予選では演武の構成を間違えるとゆう最悪な失敗をしてしまいました。その時の悪夢は今でも忘れられません!(涙) しかし運よく出場者がたったの2名だったので、あんな演武でも全国大会へ行くことがでたのです。
 その帰りの車の中、引率していただいた土橋先生から
「ま~、こんなもんやろ」
と言われ、すごく情けない気持ちになった、たしかに練習量は少なかったがそれ以前にこの高校選抜への思いが軽すぎました。

 それからは真剣に稽古に取り組みました、何回も何回も同じ事を練り込んで修正したり、稽古日以外でも松田先生に指導してもらったり、残り一週間となると必死に数をかけました。今までの僕じゃ考えられないかも・・.
 そしていよいよ全国大会へ!支部のみんなからのエールを思い出したり応援のメールなどをみたりしていると、いよいよなんだと緊張してきた。

 ついに本番、本部にはものすごい数の拳士がおり、その圧倒的な雰囲気に飲み込まれそうだった。 さすが県代表、練習風景を見ているだけで決勝進出の難しさがわかってきました。この練習時間がものすごく長く感じたが、僕は僕なりに精一杯やったつもりだ、自信を持ってコートへ向かおうと思ったがここへきて緊張感がピークにたし、前の人の演武なんかみれる状態じゃなかった。おちついて、演武を楽しもうと自分に言い聞かせたがやはり緊張は取れず僕の番をむかえた。 構成を間違えるという失敗はなかったが、やはり焦ってしまいなかなか技にキレがでずあっと言う間に終わってしまいました。
 その後の演武はどれもうまく見え(実際うまいんですが..)もうだめかもしれないと何度も思いました。そして結果は敗北。悔しい!県予選の悔しさなんかとは比べようがないくらい悔しかった、本気で勝ちたいと思ってやってきたからこそここまで思えるんだろう。だが負けは負け、それは認めなくてはならないこれが僕の今の実力なのだから。

 その日の晩飯は先生のいきつけの店に連れてってくださった、そういえば昨日もうまいと評判の店に行った事を思い出したら、なんだかグルメツアーに来たような気分になって・・.満足のいく演武ができなかっただけに。
 そんな時長坂先生の知り合いだという吉川先生(石川県)にお会いしました。聞くところによるとスゴイ有名な先生らしいです。その先生が急に僕にこんなことを言いました。
「長坂先生に教えてもらえるなんて幸せね!」
この言葉に僕はすごく申し訳ない気持ちになった、こんなに良くしてくれる先生に何一つ答えられてないなと。

 ホテルへ帰るとなんか色んな気持ちがごちゃごちゃになり涙があふれた。そして来年こそは絶対にベスト入りしてやると心に決めた!
 やれば少しずつでも成長できる事が身をもってわかったし、今度こそ期待にこたえられる立派な拳士になってみせます!


ドリーム No.354

2007年05月10日 02時19分35秒 | 少林寺拳法(ライフワーク)
少林寺拳法 橋本西支部 道場通信

発行日 2003年3月24日(月)   発行者・文責 長坂 徳久


【夢は続く・・】

先日真輔が挑んだ「全国高等学校選抜少林寺拳法大会」。
 真輔は予選コート17人中7位。惜しくも本選への進出は叶わなかった。
 男子単独演武出場者は69人。4コートに分かれて予選は行われた。各コート(17~18人)から3人が本選(決勝)に進出。つまり、それがベスト12人。昨年の千明は、このベスト12に進出した。

思い起こせば、2年前、千明が「本部に忘れ物」をしたときから、橋本西支部高校生拳士の夢物語は続いている。
 あの大会で、千明は、3つの忘れ物をしてきた。1つめは、買った土産を電車の中に。2つめは、家のかぎをホテルに。そして、3つめが「全国優勝」を本部に。

千明は、1年目の忘れ物を取りに行くため、2年目にかけた。しかし、そこでも夢破れた。全国優勝の夢は果てしがない・・・。千明をもってしても取れない厳しさに長坂も困惑した。

 そして、今回、先輩千明から、後輩真輔に前日のエールと共にその夢はたくされた。1年目の真輔には、優勝の二文字は重たい。しかし、真輔も精一杯それに応えようと稽古してきた。そして、彼は「化けた」。化けるという言葉がぴったりなぐらい真輔は上達した。
そして、この真輔の成長へのきっかけをつくったのが千明であった。今回の大会は、兄千明と弟真輔が共に闘った「兄弟・Dream」だった。この思いは、二人にしか分からないかもしれない。いや、二人がわかっていればそれでいい・・

 追いかけるから夢である、厳しいから夢である、そして、夢には愛がある。
 橋本西支部高校生拳士の夢は来年に続く・・・


【大会概要】

今回は、北海道から九州まで全国163校、792人の拳士が出場しました。うちわけは、高校の少林寺拳法部が92校。本支部のようなクラブのない学校からの参加が71校。
当然全員が県予選他からあがってきた精鋭です。
 総本部は、敷地面積2万平米の巨大さ。本部事務所・本山事務所は橋本市役所1階分ほどあります。それ以外に、600畳の本堂(第2錬成道場)、500畳の(第1錬成道場)、500畳の講堂(道場にもなる)、800人収容の大食堂。他諸々が同一建物の中に存在する。今回はその広さを持ってしても、出場拳士、引率関係者、観客を含めた約1000人では、会場はどこも一杯でした。
 今大会は、「本部」を高校生少林寺拳士の「甲子園」とすべく毎年この選抜大会はこの地香川県総本部で行われているのです。

【嫁にしたい弟子NO.1!】

さて、話は変わって、真輔君は、すごく立派な高校生です。今DWFでもバイトをしてもらっているのですが、そこでも気付かないほどの彼の素晴らしさを私はこの大会引率で感じました。

 まず、よく気がつきます。私のかばんなどを「先生、持ちましょうか」といって持ってくれました。当然自分の荷物も彼は持っています。
また、私が支払いをしようとして財布を出そうとしていると、横にいる彼は、すっと私の荷物を持ってくれるのでした。私が「切符を買ってくるわ」といえば、「あっ、先生、僕が買ってきます」といって行ってくれました。
 さらに、バイキングの朝食中でも「先生、ジュースとってきましょうか?」「はしありますか?」などとたえず、私に対する気配りというか礼儀を忘れません。私が指定した時間、例えば、「ロビーに○時にな」とかという指示にも決して遅刻することなくちゃんと、しかも私よりも先に来ていました。これはなかなかできないのです。私は、橋本高校で監督をしてきたのでよく分かります。私は本当に感心しました。同時にそのように育てられたご両親を尊敬しました。

今回、行きは3連休の初日、帰りは3連休の最終日でした。特に帰りの電車が超満員。多度津(香川県)から岡山までの約50分は、私も真輔君も座れずにデッキで立ちっぱなしでした。次の岡山から新大阪までの新幹線(約1時間)も座れませんでした。それでも、真輔君は、愚痴をこぼすわけでもなく、頭が下がりました。ちなみに、新大阪の駅は東京駅なみの混雑でした。

今大会は、真輔君の演武結果は残念でしたが、私には弟子、真輔の人間的な成長を目の当たりにし、非常に満足した大会でした。
 なによりも、本当に楽で気分のよい引率になり、快適に3日間を過ごすことができ、本部(片道約5時間)という旅も決して苦痛なものではありませんでした。真輔、ありがとう! 
次は俺がお前の夢をサポートしてやる!
ちなみに、今、真輔君は、長坂の「嫁にしたい弟子No.1」である(笑)

    ※後日、真輔君にも特別に本誌に寄稿してもらいます。お楽しみに。




ドリーム No.353

2007年05月08日 23時02分15秒 | 少林寺拳法(ライフワーク)
少林寺拳法 橋本西支部 道場通信
発行日 2003年3月20日(木)③   発行者・文責 長坂 徳久

【中学生の少林寺拳法③】

前号、前々号の話は長坂が中高生にいつも言っていることです。
 橋本西支部の中学生の定着率は今のところ100%です。千明から以降、小学から中学になるからという理由で少林寺拳法をやめた拳士は一人もいません。今後も辞めてはいけないということでは決してありません。決めるのは本人ですから。ただ、今のところはみんな残ってくれています。今年の6年生もみんな当たり前のように続けると言ってくれています。やはり、続けてくれる何かが橋本西支部にはあるのでしょう。私達指導者は、ただ精一杯指導と運営を行っているだけです。

 実は全国どこの支部でも、中学入学を理由にやめる拳士が一番多いのです。しかし、千葉大の明石要一先生(中教審委員)は以前少林寺拳法本部の全国支部長研修会の講演会でおっしゃっていました。
「なんだかんだいっても、子ども達は本当に楽しいと思っていることはやめないものなんです。」
確かに、うちの支部は他に比べて楽しい要素は多いのかもしれません。但し、この楽しいは、「甘い」ということではないと私は思っています。「ためになる楽しさ」なのかもしれません。

 次のことは私の方針です。小学生、幼児、学生、社会人全てに当てはまります。 

 ①自分で決めてください。
②できないと分かっていることは最初から言って下さい。(無理は必要ない)
③状況が変わったならば速やかにその事情を伝えてください。
④できる範囲で各々が精一杯やってください。

 つまり、筋を通してほしいということだけです。②と③で矛盾が出れば筋が通らなくなります。
 例えば③、状況は変わってもいいのです。変わらざるをえないことも多々有ります。また、何かを止めたり、制限しないと新しいことには当然進めません。それをどのタイミングで伝えるか、それが大切であり、礼儀であると思います。早ければ早いほどいいのです。
また、決まってからよりも、決まる前のほうがよりよいのです。後先が逆になるだけで大きく違います。
中学生になれば、「変化」する機会はおおくなるでしょう。その場合も、拳士に言ったように「連絡」を必ずお願いします。もしよろしければ「相談」という形で前もって話をしていただければよりよいアドバイスもできるかもしれません。
 また、中学になればそういうことを自分で伝えられることも大切です。また休みの連絡なども中学以上ならばできるだけ自分でしてくるようにさせてください。
以上、生意気な書き方ですがお許し下さい。



ドリーム No.352

2007年05月03日 23時01分53秒 | 少林寺拳法(ライフワーク)
少林寺拳法 橋本西支部 道場通信

発行日 2003年3月20日(木)②   発行者・文責 長坂 徳久


【中学生の少林寺拳法②】


語り3 「橋本西支部の先輩の中には、少林寺拳法優先でクラブを選んでいる人達も結構います。それは嬉しいことです。そして、それも間違いではないです。そんな子達は、当然学校(クラブ)と少林寺拳法をうまく両立できていると思います。
特に例えば千明や真名美は少林寺拳法を選んだことが間違いでないことを証明しているね。彼らは、少林寺拳法に賭けたことで、全国でもトップクラスの拳士になりました。
そして、橋本西支部は世界を狙える支部でありたいとも思います。
恐らく、今君たちのやっていることで、世界に一番近いのが橋本西支部     の少林寺拳法かもしれません。
でもね、全ては自分です。そんなことも踏まえて全てを、自分の道を自分    で決めるのです。但しおうちの人の意見も聞いてみなさい。最後に決める    のは君達自身ですが、多くの意見を参考にすることも大切だと思いま      す。」

語り4 「今から先生が一番言いたいことをいいます。君たちは、今、中学生にな
ったときのことをグラフにしたね。こうすれば、中学になって自分が一番何をしたいのか? 何をしなくてはいけないのか? 2番目は何なのか?とかがわかったでしょう? このように自分のやりたいこと、やるべきことを明確にしておくことは必要です。そうすれば全部を上手くこなすこともできるのです。(これは手を抜くこととは全く違う)
その中で少林寺拳法の割合も出ました。実はその割合が低くても先生は別にいいのです。こうやって自分の中学での少林寺拳法をきっちりと決めることが大切なのです。そして、その自分で決めた割合はクリアーできるように努力しなさい。
でもね、中学は厳しい。勉強もクラブも思っているより大変だ。そのときに大変になってきたときは、少林寺拳法の割合を減らしてもいいんだよ。というよりも、そこしか恐らく減らすところはないでしょう? でもね、そのときに、ちゃんと先生に言ってほしいんだ。「先生、勉強が少し大変になってきたので、少林寺拳法の回数を減らします。」「先生、少し休ませてください」とかね。そういってくれたらね、先生も事情が分かるから君たちを応援することができるよね。でも、それがなかったらただサボっているようにも見えることもある。まずは自分で決めたことは自分でクリアーできるように努力しないと。それがどうしても無理になれば、それを変更してもいいんだよ、少林寺拳法に関してはね。あるいは、大会には出ない、稽古だけするというのも一つの選択方法だね。
それでね、少林寺拳法の割合が減っていって、週に1回しかこれなくなってもいいんだ。月に1回でもいい。先生は君たちが支部にいてくれることが一番嬉しい。だから、できれば少林寺拳法の割合を0にはしないでほしい。やめないでほしいんだ。
 当然、少林寺拳法の割合が増えることは大歓迎です。何よりも嬉しい。但し、勉強はしろよ。これはやはり仕方のないことだ。今の世の中では。」


語り5 「たとえば、美歩にしろ恵にしろ、あの子達はほとんど稽古には来ていない。美歩は受験もあったし、恵もクラブがあるからね。でもね、それでも立派な少林寺の拳士であり、橋本西支部の仲間なんだ。あの子たちの心には卍がある。少林寺の教えがちゃんと心にあるのです。そして、橋本西支部のドリームの心「D」があるのです。それが先生にはとてもよくわかるんです。だから先生には大切な弟子なのです。そしてあの子達も橋本西支部のことをとても大切に思ってくれています。それだけで先生には十分なんです。」


語り6 「ただ、ことわっておくぞ。どれを優先して行って行くのかは君たちが決めることだけど、少林寺拳法には大会がある。やはり、稽古に多く来ている子
少林寺を優先している子を大会ではメンバーに選ぶぞ。それは分かってくれるやろ?」(全員が納得していた)


語り7「あとね、中学になったら指導のお手伝いをしてくれる拳士もいます、これも無理をする必要はありません。まず自分のしたいこと、しなくてはいけないことをちゃんとしなさい。それでも余裕のある人、指導を手伝ってくれるっていう人は言ってきてください。それは先生たちも助かるので大歓迎です。今先生が話してきたことを色々と考えて、自分の中学での少林寺拳法の取り組み方を決めなさい。そして、自分で決めた範囲で中学になっても精一杯少林寺拳法をがんばってください。終わります。」


ドリーム No.351

2007年05月03日 00時59分15秒 | 少林寺拳法(ライフワーク)
少林寺拳法 橋本西支部 道場通信

発行日 2003年3月20日(木)   発行者・文責 長坂 徳久


【中学生の少林寺拳法】

小学校を卒業する6年生を育夢学園に集めて「支部長法話 ~中学生としての少林寺拳法~」と「卒業パーティー」(食事会)を行った。以下は、法話の内容。(現中学生、高校生にも是非読んでもらいたい。)

指示1「今までの自分の少林寺でのベスト10を書きなさい。」

 全国大会に出れたこと。全国大会で優勝したこと(錬成大会)、たくさんの人と知り合えたこと、長坂先生と出会えたこと・・などがベスト1だった。

指示2「円グラフを使って、今の自分の生活の内容を分けてみなさい。但し、
睡眠と学校は除きます。そして、『時間ではなく、自分が取り組んで
いる気持ちの占める割合』を書きなさい」

 その中で、少林寺拳法の占める割合は、75%を最高に多くの子が高い数値を書いた。予想以上で嬉しかった。

説明1「今から大切な話をします。ふざけたりしないでちゃんと聞きなさい。
   先生は計算してみました。少林寺拳法の稽古に君達が1週間に4回来た
とします。往復の時間も入れています。その時、1週間で少林寺拳法が
占める時間の割合は、わずか、約8%です。睡眠、学校を除いても、約
20%です。思ったよりも少ないでしょう? その中で、君たちの心に
占める少林寺拳法の割合が高いのは嬉しいことです。」


説明2「中学に入れば、今まで以上に勉強をしなくてはいけなくなります。そ
して、クラブ活動が入ります。君たちが思っている以上に中学生活は
厳しいものです。ましてや少林寺拳法とクラブを両立することはすご
く大変なことなんです。それを考えておかなくてはいけない。」


語り1「両立で、100:100はありません。気持ちはどちらに対しても1
00かもしれません。しかし、体は1つです。時間も1日24時間しか
ありません。二つのことをしていくとして、両立は50:50でしか
     ないのです。但し両立とは、50:50でなくてはいけないことはあ
    りません。30:70の両立もあります。10:90の両立もありま
    す。それでもいいと先生は思います。
そして、どれもこれもで一流になることなどできないのです。例えば、    イチローや中田は野球やサッカーに全てをかけてやってきたから今世界
    で通用しているのです。(イチローは勉強もトップクラスでしたが)
    君たちが野球やサッカーで本気でプロになろうと思うのならば、少林寺     拳法などやっている時間はもったいないのです。
    逆に少林寺拳法で世界を取ろうとすれば他のことをやっていては取れな    いのです。全国で通用する、世界で通用するということはそういうことな    のです。但し、別に全国で通用するところまでいかなくてもいい、世界で    通用しなくてもいいともいえるね。どちらも一生懸命、楽しくやりたいと    かも当然ありだと思う。そして、それを決めるのは君たちです。どんな方    法、両立の仕方を選ぶのかも君たち自身なのです。
もう中学になるからいいます。どれもこれも100は無理なのです。」


指示2 「では、今の話も参考にして、さつきと同じように、今度は中学生にな      ったときの生活の割合の予想を円グラフに書いてみなさい。睡眠、学      校の時間は除きます。今度は気持ちだけでなく、時間の割合も考えて      書きなさい。」

 そして、少林寺拳法の占める割合を全員に発表させた。割合の高い子で70%、低い子で5%。30%程度の割合が一番多かった。(30%の拳士の割合は、勉強40%、クラブ30%、少林寺拳法30%という感じだった。)

語り2 「先生は、君たちがなにを重視して生活していくのかは強制しません。先     生は少林寺拳法の先生だから、当然、君たちが少林寺拳法をがんばって     くれることが一番嬉しいです。しかし、それ以上に、先生は君たちに幸     せになってもらいたい。そのためには君たちが決めたことは応援して行     きます。そして中学になれば君たちは、自分で決めることが多くなりま     す。その代わり責任も自分で持たなくてはいけません。今、グラフを書     いてみてどうですか?
    こうして書いてみると自分のやろうとしていること、やっていることが     きちんとわかるでしょう? このようにちゃんと考えることは大切なの     です。」

数字で示せば物事はより明確になります。中学生になる拳士たちは今そんなことも含めた選択の時期にきているのです。

Power No.52

2007年05月01日 16時49分11秒 | 少林寺拳法(ライフワーク)
NPO法人 こころとからだの総合教育 育夢学園通信

発行日 2007年5月1日(火) 発行・文責 理事長 長坂徳久

これは、新作。今日発行した通信です。

【天才作家・楠原廉!】

育夢学園・土曜スクールの国語で次のような問題を出しました。

(指示①) 
「わたし」「本」・・この、二つの単語を使って文を作りなさい。

(回答例)  
わたしは、本が好きです。
わたしは、本を読みます。
わたしは、本を買いました。

(指示②) 
「わたし」「本」「テレビ」・・この三つの単語を使って文を作りなさい。

(回答例) 
わたしは、テレビの上に本を置いた。
わたしは、本を読みながら、テレビを見ています。

(指示③)
「わたし」「本」「テレビ」「コーヒー」「えんぴつ」「インド」・・この単語をすべて使って、文章を作りなさい。二つや三つの文になってもいいです。誰が一番短く書けるかな? 短く書けた人が上手に書けた人です。

みなさんなら、どう書きますか? また先を読む前にお子さんに書かせてみてください。

(生徒たちの回答)

「わたしは、本の絵を紙にえんぴつで書きました。そのあと、つかれたので、テレビを見ながら、インドコーヒーを飲みました。」(5年・女子)

「わたしは、テレビの上においてあった本をコーヒーのなかに落としてしまいました。インドでえんぴつをかいました。」(4年・男子)

「わたしは、テレビをみながら本をよみます。インドでいすにすわってえんぴつで文章を書きながらコーヒーをのむ。」(2年・男子)

「わたしはインドで本をよんでコーヒーをのみながらテレビを見てからえんぴつで漢字をかきました。」(3年・男子)

「わたしはインドでコーヒーと本とえんぴつとテレビを買いました。」(6年・女子)

「わたしは、インドの話をしているテレビの上の本を読んでいます。母はコーヒーを飲みながら、えんぴつで何か書いています。」(6年・女子)

「わたしはインドコーヒーをのみながら、テレビと本の絵をえんぴつで書きました。」(6年・男子)

「わたしは、コーヒーを飲みながら本を読んでテレビをみたら、インド人がえんぴつを食べていた。」(4年・男子)

「わたしは、本とテレビとえんぴつよりインドのコーヒーだいすき。」(2年・男子)

秀逸だったのは、廉くん(6年)の次の文。

インドコーヒーと本とテレビとえんぴつがあれば、わたしはじゅうぶん。

あえて、解説はしません! 廉くんは作文教室に来ていますが、それ以上に本人の感性の賜物でしょうね。

短く書くためには、これらの指示語を関連付けながら、論理的に破綻することなく、不自然でない文を書かなくてはいけません。
つまり、このような訓練をしてくということで、自分の言いたいことを端的にかつ的確に、論理を外さず相手に伝えることができるという能力が身についていきます。これは、フィンランドメソッドの一つです。

※フィンランドメソッド・・フィンランドの子どもたちが今世界で一番教育レベルが高いと言われています。競争でもない、ゆとりでもない、詰め込みでもない、放任でもない・・本当の教育だといわれています。

※インドコーヒー・・子どもたちの造語。わいわい言いながらやっていたので、お互いに話をしたのかもしれませんし、廉君の作品を途中で黒板に書いたので、それを参考にしたのかもしれません。

※えんぴつを食べました・・長坂が例としてそんなことを言ったからでしょう。(笑)

ドリーム No.350

2007年05月01日 00時54分17秒 | 少林寺拳法(ライフワーク)
少林寺拳法 橋本西支部 道場通信

発行日 2003年3月3日(月)   発行者・文責 長坂 徳久


【ラブレターを書く?!】

えっ、なんのことと思われるでしょうか? または、長坂先生もええ年してまだそんなことしてるんか!?と(笑)
いえいえ、「赤を入れる」ときのことです。これでも分かりませんね?
「赤を入れる」とは、教師や指導者の言葉です。生徒の作品や作文、日記に赤ペンで返事を書いたり指導したりすることをこう言います。
それとラブレターがどう関係があるのか・・・

私もできるかぎり拳士の日記に赤を入れます。(字はきたないですが・・・)そして、その時のポイントが「ラブレター」なのです。そうです、赤を入れるときに大切なことは、好きな人にラブレターを書くようなつもりで書くことなのです。決して、赤を入れるときに、「注意(叱ったり)」したり、指導したりはしません。そういうことは、道場の中で直接します。
せっかく一生懸命に書いた日記に、けちをつけてはいけません。内容の不備、字のミス、文章の拙さにはほとんど目をつぶります。そうしないと、日記の返事で毎回叱られたり、注意されれば、拳士は当然書く意欲がなくなります。また、日頃の態度や技のことをついそこで指導したくもなります。でもそれはマイナス効果にしかなりません。少なくとも叱るよりも誉めることで人は動きます。(やる気になる。)
 ラブレターを書くときに、相手をけなしたり、悪口を言う人はいません。日記の返事も同じです。なによりもこの赤を入れることは「誉めてあげる」いい機会なのです。(子ども達からの質問には答えます。)

さて、私がよく使うのは、こんなパターンです。(2つほど紹介)
①子「昨日、大阪に行ってきました。とっても楽しかったです。」
 私「昨日大阪に行ってきたんだね。すごく楽しそうだなあ。先生も行きたく   なっちゃったなあ!」
これは相手の言葉をリピートします。これだけでいいのです。子ども達のことを認めてあげるのです。これは、カウンセリングの技法にも通じます。
②子「今日は学校で二重跳びができるようになりました。」
私「わぁー、○○ちゃん、やったね!すごいなあ、よくがんばったんだね!」
ここには、二つのキーがあります。一つは、「わぁー」とか「えー」とかという話し言葉を使うことで文章がダイナミックになり読み手にはインパクトがあります。もう一つは、「○○ちゃん」と名前を書いてあげることです。これも書いてもらった方は本当に嬉しいものです。

まぁ、これらは長坂が今までたくさんもらったラブレターの中から発見した法則です・・・というのはウソです。TOSS(元教育技術法則化)代表の向山先生から教わりました。向山先生は、進研ゼミの小学生教材やセシールの幼児通信教育も手がけました。進研ゼミの通信教育はは一時「赤ペン先生」のキャッチフレーズで大ブレイクしました。つまり向山先生は「赤を入れる」ことのプロ中のプロなのです。

ちなみに、長坂は、付き合う前から付き合って1ヶ月までの「ラブレター」を心がけています。(笑)

※全く関係ないですが、ブルーハーツの「ラブレター」という曲はいいです!

(連  絡)

①マラソン大会は、雨天中止です。天候がややこしい場合の態度決定は、午後 12時。連絡ML、他で連絡します。
②6年生への「中学生になる君達へ」の授業は、3/15(土)(時間場所は 同)に変更になりました。☆3/8(土)稽古あり 、15(土) 稽古休み
③拳士の退支部、休眠により、組演武、団体ともに大幅な変更があります。追 って決定、連絡します。

(以下、公式MLより)
 長坂です。このmlの皆さんに先行情報を!
少林寺拳法全国大会予定!
03年宮城県・宮城スタジアム、04年愛知県・ナゴヤドーム、05年国際大会(世界大会)のため未定(たぶん日本武道館)、06年北海道!、07年60周年のため、日本武道館または東京ドーム。
 なんといっても、北海道!皆さんのお子さんは何歳になってますか? さあ、今から積み立てを!
 北海道で思い出すのが、13年前、夏の高校全国大会が北海道でありました。(土橋、山田が高3でした。) 山田君の松葉杖をついての大会参加・・・むーん懐かしい。あれは感動でした。