受け流さない。
受け入れる。
そのためにはきちんと受け止めよう。
少林寺拳法 橋本西支部 道場通信
ドリーム No.621
《きみたちへ 14》
発行日 2008年2月25日(月) 発行・文責 長坂 徳久
《きみたちへ》は子どもに向けた通信(つうしん)です。
※読めない漢字はおうちの人に聞いてください。
【気合だ!】
やあ、きみたち! 元気(げんき)ですか?!
先生はますます元気です!
楽しいから元気になるのではありません。
元気にしているから楽しくなるのです。
きみたちも、しんどいときこそ、
「よし、だいじようぶだ!」と鏡を見ながらえがおで言ってみましょう。
じゃあ、今日は、気合について話するよ。
気合って、声を出すことなの?
大きな声を出すこと?
どなること?
全部違うんだなー
気合とは、「元気」を声にして出すことです。
呼吸をして体に入ってくる空気を先天の気で、
「天の気」といいます。
先天というのは、「もともとあるもの」といういみです。
食べ物や飲み物から体に入ってくる先天の気を、
「地の気」といいます。
そして、この天の気と地の気が合わさることで、
「真気」とか「元気」といわれる後天の気ができます。
後天というのは、あとからできるという意味です。
その元気は「臍下丹田」(せいかたんでん)に出来ます。
本当の気合とは、その真気(元気)を声にして出すことです。
そのことで、自分の本当の力やそれ以上の力を出すことができるのです。
その元気がたくさんある人はきらきらとかがやいています。
パワーやエネルギーが強いのです。
少林寺拳法では、まず大きな声や大きな気合を出す練習をします。
そのことで、君たちもきらきらとかがやいた人になっていくことができるのでしょう。
今日の一言「元気があれば、なんでもできる!」
少林寺拳法 橋本西支部 道場通信
発行日 2008年2月16日(土) 発行・文責 長坂 徳久
【長坂流少林寺拳法指導の要諦 ②】
その本(教育技術入門)で、向山先生から教えてもらった一番のこと。それは、
「できないのは、指導者に責任がある。」
「指導者が変われば、子どもたちは変わる。」
ということ。つまり、すべては「指導者の責任」。少なくとも指導者がそう考えることで一気に局面は変わる。それは「自分に責任がある。」「自分が努力すれば子どもたちは変わる。」と気づいた指導者は「学ぶこと」をはじめるからだ。
長坂は向山先生の本をどんどん読んでいった。1日1冊のペースで乱読した。どれもが腹の底に落ちる本だった。また、自分の未熟さも痛感した。しかし、向山先生の本には、どうすればいいのかが書かれている。実直にそのとおり実践していけばいいのだ。
今、指導に困っている人がいるならば、特にオススメなのは、
「子どもを動かす法則」(向山洋一著・明治図書)
「授業の腕を上げる法則」(向山洋一著・明治図書)
この二冊だけで、道場や教室は一転するだろう。次に、
「学級を組織する法則」(向山洋一著・明治図書)
「いじめの構造を破壊せよ」(向山洋一著・明治図書)
この二冊を理解して、実践できれば、どんな荒れた状態からも抜け出せる。現に長坂は荒れた道場を生還させた。(ただし、荒らしたのも長坂が原因だが。)
まず、現場の指導で心がけたことは、
ほめる
ということ。これに至るには次のような体験があった。
教育雑誌に次のような趣旨の文章があった。
「私はほめることを大切には思いながらも、実践は出来ていなかった。あるとき、教 頭先生が私の教室に参観にこられた。そのとき、私は、座る姿勢の悪い子どもたちを注意した。しかし、子どもたちに変化はない。そんなとき、教頭先生が、「○○くん、座る姿勢がいいな。」とほめたのだ。その瞬間、それを聞いたほかの子達の背筋が一斉に伸びたのである。」
長坂もこの「私」と同じ状態だった。ほめることは知っていた。しかし、その効用までには気づいていなかった。そして半信半疑で次の六地学園の稽古のときに試してみた。
鎮魂行。座る姿勢が悪い拳士が大半。
今までは、
「○○、背筋を伸ばせ。」
「□□、手は結手しろ。」
とこのように悪い子達を指摘していた。(指導という高度なことではなく、あの頃は単なる指摘だった。長坂の言葉遣いも上のように口語調できつかった。)
しかし、その日は、
「○○の、姿勢がとってもいいね。」
とほめてみた。すると、どうだろうか・・・本のとおり、なんと!
全員の背筋が、スーと伸びたのだ。
一種の感動だった。ほめることの効用をはじめて知った瞬間だった。それまでは「ほめられた子はうれしいだろう。」という認識の「ほめる」でしかなかった。
しかし、ほめることで、他の子達がよくなるということをここで初めて学んだ。
正しくは、自分もほめられようとするのである、子どもたちは。いや、人はすべて。 ほめるということは、その子だけでなく、他のみんなをよくすることができる魔法なのだ。
のちに、なぜそのような効果があるのかは、デール・カーネギーの「人を動かす」を読んで学ぶこととなった。続く。
※「長坂流少林寺拳法指導の要諦」は全国の少林寺拳法指導者のみなさんのお役 に立てればと思い書いていく。
NPO法人 こころとからだの総合教育 育夢学園通信
発行日 2008年2月16日(土) 発行・文責 理事長 長坂徳久
【石川啄木の短歌を一字読解で授業】
(2/9 土曜スクール高学年国語より)
教育出版「6年国語下」に、石川啄木の短歌がある。その短歌を元に、一字読解の授業をした。TOSSランドの国友靖夫氏(北海道)の追試である。
主な発問、指示のみ掲載する。
晴れし空 あふ(お)げばいつも 口笛を ふきたくなりて ふきて遊びき 石川 啄木
<発問> むずかしいよ。作者は、誰ですか?
「石川啄木です。」
『なぜ、分るのですか?』
「書いてあります。」
<指示> この短歌を、五・七・五・七・七で区切ります。赤鉛筆で、線を入れなさい。
<指示> 「晴れし空」とあります。この言葉を、普通の言い方に直しなさい。
晴れてる空 晴れた空 晴れている空。 どれも「良し」とした。
<指示> 「ふきたくなりて」とあります。この言葉を、普通の言い方に直しなさい。
ふきたくなって ふきたくなった ふきたくなる
『「なりて」というのは、このあとにもまだ続きそうな言い方です。この 3つの中で、まだ続きそうなのは・・・?(「ふきたくなって」)そう、だから、 ここでの正解は、「ふきたくなって」ですね。』
<指示> 「ふきて遊びき」とあります。この言葉を、普通の言い方に直しなさい。
ふいて遊んだ ふきながら遊ぶ ふいて遊ぶ
『「遊びき」は、「遊んだ」が正解です。ここでは「ふいて遊んだ」がいいですね。』
<指示> この短歌を、普通の言い方に直しなさい。
晴れた空を見ると、いつも口笛がふきたくなってふいて遊んだ。
晴れた空を見上げたら、口笛をふきたくなったから、ふいて遊んだ。
<発問> 話者(作者)は、今、口笛をふいていますか?
「ふいていません。「遊んだ」って書いてあるから、前のことです。」と回答有。
<発問> 話者(作者)は今、大人ですか?子どもですか?
これは、一人ひとりのイメージである。 いずれの場合でも、解釈は成り立つ。
長坂の解釈を紹介して、授業を終えた。
晴れた青空を見上げた話者(作者)が、「子どものころ、いつも空を見上げては、口笛をふいて遊んでいたよなあ」と、昔を懐かしんで詠んだ短歌である。