ドリーム 2(セカンド)

長坂徳久が語る夢教育(ときどき日常)

少林寺拳法橋本西支部道場通信 ドリーム No.566

2006年10月27日 01時18分26秒 | 少林寺拳法(ライフワーク)

発行日 2006年9月14日(木)   発行・文責 長坂 徳久

【第3回ドリーム祭 出会い編②】   

 今回は、中込敏行さん(31歳)、との出会いについて書いてみよう。ちなみに「なかこみ」が正しい読み方です。

 中込敏行さんは、広島県福山市在住。福山市職員(現在、市立福山中学高校事務職員)。福山南道院副道院長、福山南支部副支部長。市立福山中学高校少林寺拳法部コーチ。本部公認デモンストレーションチームメンバー。お父さんが、福山南道院長、福山中部道院長。  

 中込敏行さんは、過去、高校生のときに世界大会(国際大会)男子三段の部で最優秀(優勝)。その後全国大会では上位入賞の常連。今の演武ペアは、弟の道臣(みちおみ)さん。

〔近々の全国大会結果〕

・2002年大阪大会     男子四段以上の部   優秀賞(二位) 

・2003年宮城大会     男子四段以上の部   最優秀(優勝)

・2004年愛知大会     男子五段以上の部   優秀賞(二位) 

・2005年福井大会     男子四段以上の部   優秀賞(二位)

・2005年国際(世界)大会  男子四段以上の部   最優秀(優勝)

・2006年北海道大会    男子五段以上の部   最優秀(優勝)

 実は去年の全国大会(兼国際大会国内予選)は二位。上位三組が日本代表として国際大会本選に出場できる。その本選で取り返したのだ。ただし、あくまで本人たちは、国際大会に照準を合わせていたようだ・・。  

 四段以上の部の優勝がどれだけすごいかわかりますか?過去の毎年の全国大会優勝者、各種全国大会(高校、大学、実業団)、各部門(たとえば初段の部、二段の部など)の優勝者が最終的には、すべて四段以上の部に集結するわけだ。そこで勝つことはすごいことなのだ。

◎中込兄弟のことはなんとなく知っていた。全国大会のパンフレットなどで見ていたからかな。

◎中込兄弟の演武をはじめてみたのは、松田千明が高校一年生のときに出場した全国高校選抜大会(2001年3月)。彼らが「本部デモチーム」として組演武を披露してくれた。正直、鳥肌が立った。当時でもかなりレベルの高い演武を見慣れていたので、そのような感動を覚えたのは久しぶりだった。それでも、当時の中込兄弟は、青山・上原組には全く歯がたたなかったのだから、あの二人の実力も別格だったのだろう。ちなみに、感動したときに「鳥肌がたつ」という表現は的確ではないと以前は言われていた。鳥肌は、「恐怖」を覚えたときに出るものと。しかし、最近では「感動したときも鳥肌は立つ」と言われている。少林寺拳法の演武を見て鳥肌が立つのは、恐怖?感動? 

◎2002年の12月に長坂は六段の受験をした。本山である。そのときに、中込敏行さんは大拳士(5段の次の資格)の允可状授与で帰山していた。長坂は自分の実技試験、面接試験が終わって合否発表を待つ間に、同じく六段の受験に来ていた、栃木県の実原さんにご挨拶に伺った。実原さんは、もと世界一で、現本部公認デモチームメンバーでもある。達人レベルの実力をもった方なので(年齢は長坂よりもはるかに上です。)なにか技術を教えてもらおうと思ってお願いした。そのときに、中込さんもそばにいたのだ。当然、中込さんも本部デモチームなので、実原さんとは親しい。そこではじめて中込さんと挨拶を交わした。それが実質の初対面だった。そのあと、ふたりで実原さんに技術指導をしてもらった。

◎その後本部で出会うたびに、挨拶を交わし、一言、二言と話すようになっていった。

◎全国高校選抜大会(2002年3月→おそらく(記憶が曖昧))で市立福山高校が男女共に組演武で全国優勝した。その閉会式のあと、長坂は、中込さんにお祝いを言いに行った。彼は、部員に囲まれて泣いていた。

◎2003年の全国大会は、宮城県仙台だった。その大会で、中込兄弟は兄弟として初優勝をした。閉会式が終わり、彼らが、大きな優勝カップを持ちながら歩いてきた。そのとき、長坂を見つけて近寄ってきてくれた。「やったな!」「やりましたよ!」「よかったな、おめでとう!」「ありがとうございます!」と言葉を交わしたのを覚えている。

◎その後、翌年の全国大会(ナゴヤドーム)のあとから急速に親しくなることとなる。 名古屋へは橋本西支部から小学組演武、小学団体、中学組演武、中学団体、一般団体、女子マスターズが出場した。バスをチャーターして行った。その大会の帰り、あるドライブインで、青山夫妻と出合った。そのときに、のぶちゃんが、

「ちょうど、よかったです。長坂先生に頼むことがあったんです。」

「なに?」

「中込さんのお兄さんの方からなんですけど、今年の市立福山高校の合宿の講師に長坂先生に来てもらいたいと言っているんです。年末になるんですけど、先生の都合を聞いてほしいって。」(つまりこの頃親しさは、まだのぶちゃんを通して話するレベルだったということ。)

「そうなん、俺なんかでいいんかな・・」

◎そして、快くその合宿の依頼を受けた。その後のことは、折にふれてドリームに掲載しているので、割愛する。福山南の方たちとは当然中込さんを通じて知り合った。

 不思議なのは人の縁(少林寺拳法では法縁)。そんな運命にあったと言うこと、そして、人は、同じようなレベルでないと親しくはならないということ。それだけは間違いない。青山夫妻、中込兄弟のレベルを考えると・・・・この出会いは正直今でも不思議である。感謝!


少林寺拳法橋本西支部 隅田道場通信 565号

2006年10月27日 01時11分43秒 | 少林寺拳法(ライフワーク)

発行日 2006年9月7日(木)   発行・文責 長坂 徳久

 【第3回ドリーム祭 出会い編①】  

 中込敏行さん(31歳)、青山展明(28歳)さん、青山範子さん(30歳)との出会いについて書いてみよう。

 なぜ、世界のトップと長坂が知り合いなのか? どうやって知り合ったのか? 

 まずは、木津道院・支部の青山展明さん、青山範子さんとのことを書く。

◎青山範子さん(当時上原範子さん)、青山展明さんのことは名前だけ知っていた。 当然である。少林寺拳法日本一なのだから。そんな彼らが、2000年の全国大会兼翌年の国際大会日本代表選抜選考会(於日本武道館)で、最優秀(優勝)をした。1998年、1999年に続く全国三連覇と言う偉業だった。

◎日本武道館の閉会式フィナーレ。後ろで青山展明さんと上原範子さんがハイタッチを繰り返して、喜んでいた姿が印象的だった。その頃、長坂はまだ無名の拳士(指導者)だった。そんな雲の上の二人をうらやましく見ていた。

◎その年(2000年)の12月に長坂の処女作「ドリーム」(文芸社)が出版された。そのときから、少林寺拳法の世界で少し注目されるようになってきた。その後、3月に、次期「本山・本部少年部委員会委員」に抜擢された。

◎少林寺拳法連盟本部の公式サイトの中に「デジコミ」というコーナーがあった。いわば掲示板だが、実名を公開して発言しなくてはいけない。また、本部の方で不適格な内容と判断された文章はすべてカットされる。

◎そんな、なかで、私は、「拳士にとって価値のある指導を目指す方々へ」というトピックを立ち上げた。そのときに、なんとその私のトピックに、上原範子さんが書き込みをしてくれた。長坂はすぐに、上原さんに直メールをしてご挨拶をした。今では、「のりちゃん」なんて気楽に、気さくに話させてもらっているが、当時は、雲の上の存在、少林寺拳法界のスーパーアイドル、マドンナという圧倒的オーラを持った拳士だったのだ。

◎すぐにご丁寧な返信が返ってきた。そして、その後、当時はまだ、恋人同士だった青山展明さんともメールを交換するようになった。ふたりともとても丁寧で謙虚な方たちだった。

◎長坂は二人に、著書「ドリーム」を送付した。それを読んでくれて、二人も長坂や橋本西支部の指導方法に関心をもたれるようになった。

◎2001年の5月に、国際大会2001(フランス・パリ)が行われることになっていた。二人は、当然日本代表であり、同時に優勝候補でもあった。その間。メールでのつきあいは続くも、まだ本人たちとは面識はなかった。

◎国際大会が一ヶ月を切ったとき・・・なんと仕事中に青山展明さんが足のけがをしてしまったのだ。骨折・・。大会には間に合わないかもしれないとのこと。そのときののぶちゃんのあせる気持ちや、それを見守るのりちゃんのやさしい想いがメールから伝わってきた。

◎そして、いよいよ大会。なんとか演武はできる(本来なら無理)という状態で、二人はフランスへと旅立った。出発前にのぶちゃんから携帯にメールが入った。「長坂先生をはじめみんなさんのおかげでなんとか大会に出場できるようになりました。精一杯がんばってきます。」と。

◎そして、大会。遠いフランスでの内容はこちらではわからない。心配だった。そして、日本帰国直後に、のりちゃんからメールが届いた。「なんとか、最優秀をいただくことができました。」と。長坂はほっとした。そして、うれしさがこみ上げてきた。自分の親しくしている拳士たちが世界一になるなんて、本当にすごいことだ!

◎その後、しばらくして、のりちゃんが本山で「五段」の受験をすることになった。たまたま、長坂もその日は「本部委員会」で帰山していた。では、「一緒に食事しようか?」ということになり、初めて、「世界の上原範子さん」と会うことになった。きさくな人柄で、しかし、礼儀正しく、そのオーラには長坂も最初は圧倒された。

◎一番感心したのが、のりちゃんが「ありがとうございます」という言葉を多用することだった。レストランのウェイトレスになにかあるごとに「ありがとうございます。」を言っていた。とてもいい印象でした。

◎その年2001年の秋「本部少年部指導講習会」。長坂は講師(初の本部講師を務めた年)。青山展明さん、上原範子さんは、その講習会を受講した。この講習会は、少年部の指導者が「子どもたちに少しでもいい指導をしたいと思っている人のための講習会」・・世界一の拳士が受講すること、そのことだけでも感心した。(二人は日頃から子どもたちの指導もしながら世界の頂点に立ったのだ。) 実は、青山展明さんとはその講習会で初対面だった。

◎青山展明・上原範子の世界一ペアは「笑っていいとも出演」という快挙も成し遂げた!

◎その年の12月に「第一回 ドリーム祭」を企画した。相変わらず、一ヶ月前ぐらいからの急な企画だった。のぶちゃん、のりちゃんに、ダメもとで声をかけた。「喜んでいかせていただきます。」との返事。世界一の拳士が、橋本西支部にやつてくる!私たちは浮き足立った。

◎第1回ドリーム祭・・・青山展明・上原範子拳士の世界一の組演武を堪能した。また、今回同様、写真やサインにも気さくに時間をかけて取り組んでくれた。

◎その後、長坂とお二人との交流は急速に深まり、ちょうど全国大会に中学生の部で出場することになっていた、川崎真名美・山本葉月(当時中二)をつれて、木津に教えを請いに行った。また、逆に、二人の結婚式には、長坂もご招待をうけ、出席させていただたいた。

◎その後、「第二回 今宵は生ドリーム」でのゲストとして来訪。講演をしていただく。ほかには、プライベートで数回橋本西支部にお越しいただいている。

◎今回のドリーム祭も是非にと二人に声をかけていた。しかし、のぶちゃんが、本部デモチーム(少林寺拳法日本代表チーム)で、正道会館(空手団体・K-1の母体となっている団体)の全日本大会にデモチームとして演武を披露しに行かなくてはいけないかもしれない、と言っていた。しかし、それを、のぶちゃは行かないようになり「橋本西支部のドリーム祭に是非家族で行かせてもらっていいですか?」と連絡をもらった。当然大歓迎だ。

◎あと、のぶちゃんとは、市立福山中学・高校へも一緒に派遣講師として行ったこともある。

★青山展明さん・・1998年全国大会(神戸) 1999年全国大会(新潟) 2000年全国大会(東京)で四段以上の部日本一を三連覇。国際大会2001年(フランス・パリ)で最優秀、世界一に輝く。 のぶちゃんは、高校三年間はバレーボールに専念少林寺拳法は行っていない。

☆青山範子さん・・旧姓上原。同上に加えて、大学時代(武庫川女子大)には、単独演武で四年連続日本一に輝いた。また、のりちゃんは、稽古を休んだことがない。妊娠して、運動がストップさせれるまで、小4~26,7歳まで、稽古を「一度も休んだことがない」のである。テスト中も、受験中もである。そのあたりの詳しいことは、過去のドリームに載せてあります。

○おこさんは、楽生(らいき)くん・2歳。 怜生(れお)くん・六ヶ月