初期Ugly ducklingの代表作を金蘭がどうアレンジして見せてくれるのか、と期待していたのに、なんと台本はそのままに、正攻法で見せる。これには驚いた。いつもならどんな作品でもある種過剰な演出によってメリハリのあるスペクタクルとして見せるのが金襴ワールドのやり方なのに、今回はとても静かな芝居として、見せてくれる。その徹底振りは、アグリーのオリジナル以上である。
アグリーによるこの作品を見た時も、これがこんなにも寂しい芝居だとは思わなかった。なのに今回この作品を見ながら、『眠りの切り札』ってここまできつい話だっただろうか、なんて思わされた。その見せ方も含めて、両者は全くテイストの違うものになった。しかし、それは原作の改変ではない。これはオリジナルの中に秘められた世界をさらに突出させたのだ。
もちろん高校生たちの声を張り上げる芝居は、この作品のテイストを少し損なっている部分もある。だが、そんなこと充分承知の上でそれでも演出のねらいは損なわれない。
特にラスト10分間。縦の構図を使って、校舎の窓から飛び降りようとする少女と、それを受け止めるために両手を大きく広げる少年の姿を捉えた部分は素晴らしい。下に少女、上に少年を配する位置関係もいい。さらには、あそこを感動的なものとして盛り上げようとするようなあざとい演出をしないのもいい。それどころか、2人の間に目撃者である香を挟み、彼女の絶望にフォーカスを当てるという作り方は、これが高校演劇であることを忘れさすくらいにシビアであり、見事な処理だ。
改めて言うが、これはとても勇気のある芝居である。総演出の山本篤先生とそのチームはこの戯曲のもつ「寂しさ」に共鳴した。アグリーの芝居はその「寂しさを乗り越えていく強さ」を前面に出した芝居だったと記憶しているが、今回、金蘭はその「どうしようもない寂しさをそのまっま受け止めよう」とする。どうしようもない孤独の中で消えてしまいそうになる弱い心にスポットを当てる。それが狂気になる。
衝動殺人、伝染していく集団睡眠の恐怖、不登校といった事象を通してパニックに陥っていく子供たちと、それを見守る大人たちが描かれる。
こういう内容だから、見終えたときには、少し気持ちが滅入るくらいだ。しかし、そんな暗さを受け止めた上で生きていこうとする強い意志こそが、今という時代には必要なのだ、と思う。そのことをこの作品はしっかり提示してくれる。
アグリーによるこの作品を見た時も、これがこんなにも寂しい芝居だとは思わなかった。なのに今回この作品を見ながら、『眠りの切り札』ってここまできつい話だっただろうか、なんて思わされた。その見せ方も含めて、両者は全くテイストの違うものになった。しかし、それは原作の改変ではない。これはオリジナルの中に秘められた世界をさらに突出させたのだ。
もちろん高校生たちの声を張り上げる芝居は、この作品のテイストを少し損なっている部分もある。だが、そんなこと充分承知の上でそれでも演出のねらいは損なわれない。
特にラスト10分間。縦の構図を使って、校舎の窓から飛び降りようとする少女と、それを受け止めるために両手を大きく広げる少年の姿を捉えた部分は素晴らしい。下に少女、上に少年を配する位置関係もいい。さらには、あそこを感動的なものとして盛り上げようとするようなあざとい演出をしないのもいい。それどころか、2人の間に目撃者である香を挟み、彼女の絶望にフォーカスを当てるという作り方は、これが高校演劇であることを忘れさすくらいにシビアであり、見事な処理だ。
改めて言うが、これはとても勇気のある芝居である。総演出の山本篤先生とそのチームはこの戯曲のもつ「寂しさ」に共鳴した。アグリーの芝居はその「寂しさを乗り越えていく強さ」を前面に出した芝居だったと記憶しているが、今回、金蘭はその「どうしようもない寂しさをそのまっま受け止めよう」とする。どうしようもない孤独の中で消えてしまいそうになる弱い心にスポットを当てる。それが狂気になる。
衝動殺人、伝染していく集団睡眠の恐怖、不登校といった事象を通してパニックに陥っていく子供たちと、それを見守る大人たちが描かれる。
こういう内容だから、見終えたときには、少し気持ちが滅入るくらいだ。しかし、そんな暗さを受け止めた上で生きていこうとする強い意志こそが、今という時代には必要なのだ、と思う。そのことをこの作品はしっかり提示してくれる。