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映画 『若おかみは小学生』は期待以上の傑作・・・この作品に比べたら、NHKの朝の連ドラは「ゴミ」だ!

2018-09-25 05:37:00 | アニメ
 




■ 原作は小学生向けの大ベストセラー小説 ■

私が今年一番期待しているアニメ映画『若おかみは小学生』が劇場公開されました。

原作は令丈ヒロ子原作の児童小説ですが、全20巻、累計300万部を誇る「青い鳥文庫」の大ベストセラーです。(2003年~2013年)

交通事故で両親を亡くした少学6年生のオッコ(関織子)が祖母の営む温泉旅館で若女将として奮闘する物語。これだけ書くと「小学生版・細腕繁盛記」の様ですが、そこは流石に児童小説、オッコには霊的なものが見えるという設定が小学生向けのスパイス。

オッコの働く「春の屋」には男の子の幽霊が住んでいます。彼、ウリ坊はオッコの祖母の幼馴染。子供ながらに峰子ちゃん(祖母)に恋心を抱いていたウリ坊ですが、彼女が引っ越して行ってしまった後、ふとした事故で死んでしまいます。それ以来、片時も峰子ちゃんの傍を離れる事無く見守っていますが、残念な事に彼の存在は峰子ちゃんにも、他の誰にも見えません。

ところがオッコにはウリ坊が見える・・。ウリ坊は大喜びでオッコに憑きまといます。そして、オッコはウリ坊の懇願で、何故か若おかみになる事に。慣れない中居修行に奮闘するオッコですが、少女の幽霊や小鬼まで「春の屋」に住み着く様になって、彼女の周りは賑やかになります。

小鬼は客を呼び寄せるという不思議な力が有ますが、彼が呼び寄せるのは、問題を抱えた客ばかり。しかし、彼らは健気に働くオッコと交流する事で癒されて旅館を後にします。

こうして、「春の屋」の若おかみとしてオッコ自身も成長していくというのが、原作やTV版アニメのストーリーです。

■ 子供向けアニメと侮るなかれ・・・号泣する大人が続出 ■

先日、最終回を迎えたTV版アニメは原作にほぼ忠実なストーリーですが、横手美智子が脚本だけに15分アニメとして、朝の連ドラのお手本になる様な、骨太の見事な作品でした。15分という短い時間にOP.EDもしっかり入るのですがら、実質12分の間に起承転結が有り、そして次週への期待をしかりと盛り上げて終わる。

実は家内の気に入りで、「ねえ、若おかみの続きって未だなの?」って聞いて来るぐらい。ネットを見ていると、孫と一緒に観ている祖父母の方も多い様で、劇場に高齢者の姿が散見されるのはTV版でファンになった方々の様です。

一方、映画版は監督に『茄子・アンダルシアの夏』の高坂希太郎、脚本に『ガールズパンツァー』や『聲の形』の吉田玲子という完璧な布陣。

高坂希太郎は宮崎駿の共同作画監督としてジブリアニメを支え続けた人物。それ故に監督作品が少ないのが残念ですが、『茄子 アンダルシアの夏』や『茄子 スーツケースの渡り鳥』の評判は高く、彼の監督作品を期待するファンも多い。

自転車のロードレースの選手を描く「茄子・・」ですが、原作は黒田硫黄の短編マンガ。短いページに人生の喜怒哀楽がギューと凝縮した傑作ですが、粗削りな所が魅力でもあります。それを、丁寧にアニメ映画の尺に引き延ばした手腕はなかなかの物が在りますが、実は私個人としては、今一つ物足りなさを感じる映画でもありました。原作の持つ自転車乗りの悲哀が薄れてしまった感じがして・・・。ただ、アニメとしての映像表現はピカイチですから、ジブリが作品を作らなくなった今、一番期待を寄せる監督でもありました。

一方、吉田玲子は『おジャ魔女どれみ』の脚本家ですから、少女の成長物語を書かせたら彼女に右に出る人は居ないでしょう。『けいおん』『ガールズパンツァー』『のんのんびより』『聲の形』『リズと青い鳥』『夜明け告げるルーの歌』とヒット作や傑作を連発し、今一番、脂が乗り切った脚本家です。

この二人のコンビで製作がマッドハウスですから、映画版『若おかみは小学生』に期待するなといっても難しい。映画の90分という尺の中で、どんなドラマが展開されるのか、映画公開が発表された4月から、私はもうワクワクが止まりませんでした。

公開二日目に上野のTOHOシネマズに観に行きましたが、上映終了後、しばらく呆然とするくらい素晴らしい出来映え。

劇場は空席が目立ちましたが、子連れの家族の外に、中高年の男性の一人、若い女性の一人、高齢のご夫婦などが目立ちました。さすがにアンテナが鋭い方々がいらっしゃる様です。だってタイトルが『若おかみは小学生』で、さらにあのキャラデザですよ・・・普通の大人は観ないでしょう。

Yahooシネマや映画.comの評価を見ると、星五つの方が圧倒的に多く、総合評価も『この世界の片隅に』に匹敵する高評価です。

ご覧になった方のコメントで一番多いのが「泣いた」「号泣した」「肩を震わせて泣いた」「子供向け作品と思ってナメていたら、泣かされた」といった類のもの。「ハンカチ2枚持っていって下さい」というコメントも。

そして「子供も大人も楽しめる作品です」「安心してお子さんに見せられます」「見終わった後心がほっこりします」「孫を連れて来ましたが本当に良かった」などのコメントが並びます。

これがTVキー局の肩入れの作品ならば、ワイドショーなどで盛んに宣伝して劇場ももっと埋まるのでしょうが・・・上映スクリーン数も少なく、空席も目立つのが残念な限りです。間違いなく今年一番のアニメ映画です。

■ 映画版は、両親を亡くした少女が悲しみを克服する物語 ■


TV版ではオッコが両親を亡くした設定は、「祖母の旅館で小学生が若おかみとして健気に働く」という設定を成立させる為のものでいた。ですから、物語初期以降はオッコの「不幸アピール」はほとんど有りません。むしろオッコの活躍がメインの物語です。

ところが映画版は「両親を亡くした悲しみ」をメインに組み立てられています。しかし、その悲しみはオッコ自身が意識の奥に押し込めて、決して前面に出て来ません。

映画版は事故のシーンをリアルに描く事で、両親の死を観客に強烈に印象付けます。しかし、その直後のシーンで、オッコは涙も感慨も無く普通に「行って来ます」と言って両親と暮らした家を離れ祖母の旅館に旅立ちます。観客はオッコが、両親の死から立ち直ったと思い込みます。さすがに小学生向けの作品でドロドロと悲しみを引きずる事は無いだろう・・・と。

しかし、春の屋で働くオッコは、両親の夢を度々見ます。そして、彼女はお父さんもお母さんも生きている様に思えると、客の占い師の女性に打ち明けます。そう、彼女は両親心の死を心の奥では否定しているのです。占い師の車で買い物に出かける時にも高速道路で心的外傷の発作を起こします。事故の記憶が蘇って来るのです。

物語の表層は、健気に働く小学生を明るく描きましが、時折現れる両親の幻影が、物語の裏側に常に暗い影を落とします。ただ、それは巧妙に「暗さ」が隠されています。オッコの思い出に偽装されているのです。これはオッコ自身の心の自己防衛なのでしょう。

ところがオッコの両親の死という現実を否応無く受け入れざるを得ない事件が起こります・・・。それは・・・・(ここから先は劇場で)

■ 吉田脚本と高坂演出が見事に噛み合い、不穏な鼓動が絶頂に達する映画 ■


この作品、何が凄いかというと、明るく健気なオッコの姿を描きながらも、冒頭から「不穏な動悸」がスクリーンを支配し続ける事。具体的には、オッコが無感情に両親と暮らした家を出る辺りから始まり、両親の幻影をオッコが頻繁に見る辺りで、敏感な観客は違和感を覚えると思います。

さらには、登場人物には「死」の影が寄り添っています。峰子ちゃんに寄り添うウリ坊の幽霊。オッコのライバルの若おかみの姉で幼くして死んだミヨちゃんの幽霊。「春の屋」に泊まる客も母を亡くしたばかりの少年や、死線をさ迷った男など・・・「死」はこの物語の隠れたテーマとして、オッコの明るさの裏に絶えず付きまといます。

そして「不穏な動悸」が最高潮に達した時に、決定的な瞬間が訪れます。

「オッコは善良な大人に囲まれ、見守られて幸せだ・・」と観客が確信した時、小学6年生の女の子には残酷過ぎる運命がオッコに襲います。観客は、ただ唖然としてスクリーンを見つめるばかり・・・。そして、オッコの決断と決心は、彼女のみならず、茫然とする観客への救済となり感涙でスクリーンが滲んで見えなくなりのです。

「華の湯温泉のお湯は、誰も拒まない、神様から授かったお湯なんです」と劇中何度も繰り替えされる言葉は、実はオッコ自身の救済も意味していた事に観客は気づくのです。

■ 作画の凄さと言ったら・・・ ■

当然ながら、作画も背景も素晴らしいの一言。

特にジブリを支え続けた高坂の作画は、ほれぼれするばかり。

原作の挿絵に忠実なシンプルなキャラクターですが、動きの隅々から、表情の一つ一つから小学生らしい生命力が溢れ出します。基本的には人間の肉体の動きに忠実なのですが、ちょっとデフォルメする事で、アニメならではの生命感がみなぎります。

オッコの中居修行の一連のカット、廊下を雑巾がけする時の脚の描写、草履の鼻緒が切れた時の小走り・・・もう惚れ惚れとする動きの連続です。


さらには、オッコが若おかみになると決めた時に、ウリ坊が天井を突き抜けて大空に舞い上がり、喜びを表現するシーンでの俯瞰カットの使い方・・・無意味な俯瞰を多用した『未来のミライ』の細田監督は爪の垢でも煎じて飲むが良い。

このシーンと鯉登のシーンは、2次元であるアニメ―ションが実写以上に3次元的表現に長けている事を実感するでしょう。

■ 構成と演出が、素晴らしい音楽を奏でる ■

オッコの中居修行という明るいテーマが流れる裏で、ボレロのリズムの様に「死」の影が次第に旋律に覆いかぶさり、最後は救済と希望のファンファーレへと雪崩れ込んでいく・・・そんな壮大な楽曲を思わせる展開の力強さに圧倒される作品です。

脚本と演出が一体となって、90分という時間をフルに使って観客をカタロシスへと導きます。高坂監督の『茄子、アンダルシアの夏』で感じた「物語を駆動するリズムの弱さ」は、『若おかみは小学生』では完全に克服されています。

脚本の構成の巧みさと、演出の巧みさがガッチリと噛み合った時、こういう傑作が生まれます。


■ 恥ずかしがらず、堂々と傑作を鑑賞する為に劇場にGO!!。ハンカチは2枚で ■

この作品が『この世界の片隅に』の様なヒット先になる事は無いでしょう。(有名人がTVで紹介したり、日経や朝日新聞が特集を組まない限り・・・)

しかし、私は全ての方にこの作品を全力でお勧めします。アニメの技法が・・・とか、脚本の技術が・・・なんて細かい事は無視で、「骨太の物語」として、昨今の小手先ばかりの映画(実写も含む)の対極にある作品だからです。

奇をてらう事の無いシンプルなストーリーの何と素晴らしい事か。この作品を前にNHKの朝の連ドラは「ゴミ」と言えよう!!



ちなみに昨日、家内を半ば強引に劇場に連れて行き、2回目を観ました。ラストのクライマックスで家内は隣で盛大に鼻を鳴らしていましたが、「全然泣けないじゃん、アレルギーで鼻が出たけど」って‥‥正直じゃないんだな。

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13 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (ゆうこ)
2018-09-25 21:08:27
あらら(笑)
NHKのひよっこや今年の半分青いは面白いですよ

ひよっこはテレビであるにもかかわらず舞台演出のように真ん中にちょっとした広場があって、いろんなお店の人が休憩して顔を出す仕組みが面白かったです
これはそのまま舞台でやってもひよっこは出来ると感じました
後ミュージカルの手法(モブフラッシュ)も楽しかった

半分青いは今はやりのDCモーターの扇風機ですよね
モデルになったバルミューダは高くて買えないのでユーイング社のDC扇風機3台使っています
凄いさわやかな風です・・
この作品の面白いのはセリフが短い
LINEでしゃべっているように短いセリフでそれが小気味いい
今週のカンチャンのおもらし事件(2011年の地震で教室が揺れカンチャンがお漏らしをしてしまいました)
同級生の男子にからかわれたのをお友達が、グーで男の子をアッパーカット(お見事です)
///////////////
それとは別にこの漫画は映画館に行ってみようと思いました
返信する
Unknown (人力)
2018-09-26 02:30:48
ゆうこ さん

「半分、青い。」は北川悦吏子の脚本だけに面白いですよね。世代も私達の世代ですし。さすがはトレンディードラマの女王と言われただけの事はありますね。先週はまさかのキスシーンも有りましたし。昔は新人俳優の登竜門でしたが、佐藤健の起用はちょっとズルいかも・・・。

ただ、連ドラって難しいですよね。15分で毎日「引き」を作り、かつ長丁場。どの作品も最初は面白いのですが、中盤から中だるみして、最後はグダグダになるケースが多い。

良い印象があるのは内館牧子の「ひらり」かな。主人公の「一代記」的に長い時間を描く作品が多い中で、お茶の間ドラマ的に徹したのが勝因かと。

最近の連ドラや大河ドラマは子役人気を利用してスタートダッシュを図る姑息さが気になります。「半分、青い。」は子供時代だけで押し通したらgoodだったりして・・・。まあ、子役の学校の関係で無理なのでしょう。


バミューダのグリーンファン。我が家はエアコンが無いので2台在ります・・・が、先週娘が倒してしまい、1台は首が回らなくなった。DCファンの良い所は、極微風で寝ている時も付けっ放しに出来る事。普通の扇風機の微風では強すぎて、夜中に凍え死にそうになりますから・・。

『若おかみは小学生』是非劇場に足を運んでみて下さい。連ドラとは対極で、90分ならではの凝縮した構成を楽しめると思います。
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Unknown (よたろう)
2018-09-26 20:47:25
『今、行きつけのネットカフェで“惑星のさみだれ”読んでます』

「プラネットウィズ」あまりにも非の打ちどころのない傑作だったので原作者の過去作も気になりました。
「惑星のさみだれ」も序盤はスローペースという印象ですが台詞回しやキャラのバックボーンの匂わせ方は上手いですね。

さて「若おかみは小学生」ですが私はてっきり映画版はTVのディレクターズカット的な物かと思っていました。
人力様がお気に召さなかった「のんのんびより ばけーしょん」同様の「ファンムービー」的な。
しかしスタッフはおろか作風まで再構築されている様ですね、同じ原作を持ちながら。
確かにTV版に於けるオッコの両親との死別設定は重い割に若女将修行に至るための単なる記号に過ぎませんでしたね。
又あちらは主人公の成長録の短編集という様相が強くて最終回もいち短編が終わったに過ぎず余韻は薄かったです。
対してコチラはキッチリ映画として収めていると…ただ私、ヲタ向けアニメはいくらでも一人で見に観に行けますが…
こういう完全な児童向け作品は気が引けてしまいます、『声かけ事案』を恐れる毒男に近い心理ですw

ところで今週は水島精二を病院送りにした快作「BEATLESS」最終4話が一挙放されますね、覚えている者はどれだけ残っているのか…
一方、水島努の方は新作を来年スタートさせるようです、「ガルパン最終章」「SHIROBAKO劇場版」があるというのに…
http://kotobuki-game.bn-ent.net/
よっぽどやりたかったんですね「第三少女飛行隊」、迷家でストール(失速)した努は復帰できるのか?
個人的に主役機が隼なのが好印象です(素人は零戦と勘違いしてるかもしれませんが)天国の大叔父も喜んでることでしょう…
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Unknown (人力)
2018-09-27 09:21:04
よたろう さん

『のんのんびより ばけーしょん』と脚本は同じ吉田玲子でありながら、こうも違う作品になるのかと・・・大変興味深い。

引き算と足し算の違いだと思うのですが、原作20巻を90分にまとめる引き算によって『若おかみ・・』は凝縮と精錬を繰り返し物語の強度を異常なレベルまで高めています。

一方、『のんのん・・・』は、「いつものメンバーが沖縄に行ったらどうなるか」というシンプルな発想から足し算で肉付けした作品ですが、現地の民宿の女子中学生との交流というテーマが、「出会いと別れ」という単純な物語に収束してしまった点が残念です。私はこの映画の敗因(私的な)は、登場人物全員で沖縄に行った事にあると感じています。夏美と小毬二人だけで行けば、きっとロードムービーの傑作になっていた。レンゲちゃんが行かない事にはファンが納得しないのすが、それ故に大人が引率として物語に入らざるを得ず、「子供の世界」という「のんのん」の本当の魅力が消失してしまいました。

ただ「れんチョンの出ないのんのん」をファンが受け入るハズは無く、これがファンサービスとしての映画の限界なのかなと・・・。これに対して劇場版でTV版の世界を大きく逸脱してくる「クレヨンしんちゃん」や「ドラえもん」は野心的で面白い。

川面監督と吉田玲子ならば、のんのんをベースにしてほとんどセリフの無い90分作品を作れるハズなので、もし劇場版二作目が有るのならば、是非それを見てみたいと思うのは欲をかき過ぎていると自覚はしているのですが・・・。
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Unknown (人力)
2018-09-27 09:38:12
よたろう さん

『プラネットウィズ』、今期の収穫ですよね。ただ、良くも悪くも「見事にまとまっている」感じがします。大円団で終わるのは良いのですが、『グレンラガン』や『ゼーガペイン』の様な「カタロシス」が無い・・・。1期のみの作品では限界がありますが、『宇宙よりも遠い場所』で「13話での可能性」をあそこまで拡張されてしまうと、物語にもう少し捻りが欲しくなります。

ただ、「きぐるみ族」というあのキャラクターで、作品世界が維持できるのは、「作画厨」への見事なカウンターパンチですね。

1) 物語として面白い事
2) 劇としての演出がしっかりしている事

アニメでも漫画でもドラマでも、この二つがしっかりした上での「表現のクォリティー」のハズなのに、昨今の作品は土台がスカスカで上辺だけの完成度で誤魔化すものが多い。特にロボット物にその傾向が強いかと。

今期は『はねバド』が変な作品として印象に残ります。作画も作劇もそこそこなのに、纏まりと、流れが悪い。しかし、今週の試合でラケットを右に持ち替えたのはビックリしました。やっぱり梶原一騎で『巨人の星』と『新巨人の星』が下地に有る様な。

本当は右利きなのに、競技で有利な左利きに矯正していた・・・。親は子供の選手としての成長の為に、あえて鬼になる・・・。ね、『巨人の星』ですよね。それと、なんだかドロドロとした気持ち悪い流れは『柔道賛歌』を思い出させます。(古いけど、これも梶原作品)

「母親、或いは父親しか居ないが、それが師匠」「師匠は弟子(子供)を鍛える為に、あえて敵に回る」など、梶原作品の要素満載です。
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Unknown (楽譜)
2018-09-27 17:54:48
お勧めに従い、拝見してきました。
TVも小説も未経験です。

良い映画でした。
涙腺は言うに及ばず、PTSDのシーンでは
こちらも胸が(物理的に)痛くなりました。

ただ、おっこちゃんの救済はなされたのでしょうか?
尋常でない状況(両親の急逝)に対して
尋常でない環境(幽霊の存在)があるから
精神的にイーブンでいられます。
映画のような短期間(1年未満の設定?)で
幽霊がいなくなって今後無事でいられるか心配です。

最低最悪に残酷な状況から、
ただ泣いて話を聞いてもらっただけで
立ち直れるものでしょうか。
占い師の「一人じゃない、見守ってくれているよ」も
ちょっとしっくり来ない言い方です。

癒してくれるという「おまじない」や
若おかみという「立場」は
本当の意味で子供の心を癒してはくれません。

両親の死を主題に持ってくるのであれば
原作とは異なっても癒しにつながるような
伏線が張られていても良かったなぁと思いました。
(母親の「神楽で踊るのを楽しみにしてた」だけでは
少し弱いですね。というかそもそも両親の亡霊は
いつも意味のある事を言いませんし…)

自分の流した涙の半分以上が「おっこの健気さ」に
対してのみ流されていたことに、違和感を感じるのです。


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Unknown (人力)
2018-09-28 03:25:37
楽譜 さん

基本的に子供向けの映画なので、最後はハッピーエンドなのですが、小学校6年生という多感な時期に少女が両親の死をどう受け入れるのか・・・。

実は原作では、事故のシーンは全く描かれておらず、オッコが祖母の旅館にやって来る所から始まります。「両親の死」は「オッコが一人で旅館で働く」為の設定でしか無いのです。

実は児童小説や漫画やアニメなどでは「両親との死別」という設定は洋の東西を問わず珍しく無い設定です。主人公が「冒険」を始めるに当たり、親の庇護を排除する為に両親は作者に殺される事が多いのです。例えば大昔のアニメ『てんとう虫の歌』などが良い例でしょう。『ガンダム』も両親不在がアムロの成長の原動力となります。

一方で、両親に代わる「代替家族」が準備されるのが通例で、「冒険の旅の仲間」などがそれに当たります。オッコにとってはウリ坊たち幽霊がそれに当たります。

原作ではウリ坊達との「冒険=若女将としての試練」がメインの話なのですが、映画では「オッコの悲しみの救済」に重点が置かれているので、オッコの救済の代償としてウリ坊達や両親の幻影は消えてしまうのでしょう。

その代わりオッコは祖母や旅館の従業員、女占い師、ライバルで親友となる同級生という、新たな家族や友人を手に入れます。これがオッコにとっての救済に当たります。

原作では失恋した落ち込みから立ち直るだけの女占い師ですが、映画版では重要な役割を担わされています。監督によると未来のオッコの姿を象徴しているとか。

現実の話として、子供は精神的に意外にタフで、「両親の死」も柔軟に受け入れる事が出来ます。生物学的には「代理親」が見つかればその存在に対する依存が高まる様に出来ているのでしょう。思春期を過ぎると「精神的依存」が強い場合は「引きずる」事も多いのでしょうが。
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Unknown (楽譜)
2018-09-28 10:20:56
人力様

御返信誠に恐れ入ります.

細かくて申し訳ありません…

少なくとも最後の事故の会話の時点で
「全く救済されていない」(別の言い方をすると
克服されてない)のは明らかです.
引越は春(すぐ後にこいのぼり),
物語の終わりは秋(紅葉,神楽など),
ということを考えると,人,幽霊達の支えにも
関わらず半年間は克服されていません.

そして高々1-2時間で,人は変われるものでは無い.
だとすると「若おかみです」と言い切った心は
「こうあらなきゃ」という,健気さとも
無理な頑張りともとれる非常に危ういものです.

人の喪失を心の穴と言い換えるなら,
その穴を自分で埋めるには時間がかかります.
(しかもおっこちゃんは物語終盤まで
その穴に眼を背けています)
幽霊がぽっと出てきて,その幽霊は
100%味方と言う,家族にも匹敵する存在.
だからいる間は,その心の穴を見かけ上
埋めておくことも可能です.

しかし克服できてない状態で幽霊が消えれば
がっぽりと開いた穴がまたむき出しになるのでは
ないでしょうか.

ここら辺は映画の難しさですね.
クライマックスとして激情の描出は非常に効果的ですが
その回収を行う尺が足りない,というか.

物語終盤前にであの親子のエピソードがあり,
その後に次第に幽霊が見えなくなっていく,
(自分の心の穴を見つめ,それを自力で
癒す段階に入っていく,幽霊が要らなくなる)
という設定のほうがストンと腑に落ちる感じです.


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Unknown (ハノイの塔)
2018-09-28 19:55:11
劇場版には2つの掟があって、
①「泣き」の要素を入れること
②サブキャラも含め、登場人物は全員出すこと
だからギャグアニメの劇場版は、無理して「泣き」の要素を入れようとして
別の作品になってしまうことが多い。
でも「のんのん」劇場版は成功してたと思います。
「金色モザイク」は失敗、「ごちうさ」はなぜか「泣き」の要素がなかったのですが、
それだとTVシリーズの延長というか、TVと同じじゃん、
ということでちょっと物足りない。
なかなか難しいものです。

若おかみは対象年齢的に劇場まで行ってみることはないでしょうが(TVでやるなら見る)
日本のアニメ、すげーだろ、と自慢するには格好の作品かと。
来年あたり「ゆらぎ荘」のスピンオフ、若おかみは中学生!
というのを是非、作って欲しい(笑)
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Unknown (人力)
2018-09-29 06:24:44
楽譜 さん

おっしゃる通り、両親や親友を失った子供の悲しみは容易には癒されません。だから映画のラストはオッコが悲しみを克服したと言うよりも、悲しみに向き合う覚悟をしたと捉える方が正しいのかも知れません。

実際にはオッコはその後も折に触れ両親やウリ坊達の事を思い出して、時に涙するのでしょう。ただ、彼女はウルトラポジティブですから、悲しみに暮れる様な事は無いでしょう。悲しみを糧に、素敵な少女、そして大人に成長すると私は妄想しています。

監督はグローリーさんを生長したオッコと捉えている様です。失恋の傷心から立ち直ったグローリーさんは占いで多くの人を元気付け、そしてオッコの危機に際しては颯爽と現れる。オッコもそんな大人になると監督は考えているのでしょう。
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