■ 「コンクリートから人へ」が支持された理由 ■
民主党の掲げた「コンクリートから人へ」の政策は、
政権発足時に、多くの人に共感を持って受け入れられました。
その理由は以下の通りだと推測されます。
1) 自民党政権は永年に渡り公共事業を行ってきた
2) 高度成長期の終了と共に、不効率な公共事業が増えた
3) 整備新幹線や、地方の高速道路など採算に乏しい公共事業が問題となった
4) 財政赤字が拡大し、財政圧縮の気運が高まった
5) 公共事業が利権の温床で、一部の既得権者が富を得る事に国民が反発した
6) 無駄な公共工事より、高齢化社会で必要とされる医療福祉分野への予算配分が求められた
7) 一部の人が儲かる公共事業より、公平な所得の再配分を国民が望んだ
8) 地方に投資される公共事業に、大都市の住民が反感を抱いていた
■ 共通通貨「円」によって富は都会に集中する ■
小泉改革以来の公共事業の縮小で、地方経済は瀕死の状態になりました。
本来、共通通貨である「円」を使用する日本では、
地方の資金は、預金を通じて、より資本効率の高い都市部に集中します。
ですから、政府が何もしなければ、地方経済は衰退します。
そこで、都市の税収を、地方に還流する必要が生じます。
それが、公共事業の本来の目的です。
公共事業とは所得の再配分の一形態なのです。
その公共事業が縮小された為、地方経済は困窮します。
公共事業で直接利益を得ていた建築土木関係の企業と従業員が減少します。
金回りの良い彼らを相手にしていた地方の歓楽街に閑古鳥が鳴きます。
さらに、大規模店舗法の改正により地方の街道筋に都会に本社を置く大型店が進出します。
車社会が進んだ地方では、駅前の商店街よりも郊外の大型店に客が集まります。
こうして、本来、地方経済に還元されていた消費支出が、都市部の企業に吸い上げられました。
結果として、地方の商業施設は衰退し、シャッター商店街が出現します。
■ 都市住民の声を反映した民主党政権発足 ■
日本経済が好調の時は、公共事業による再配分に国民は寛容でした。
しかし、バブルの崩壊以降、都市住民の生活レベルも低下します。
非正規雇用の拡大や、若者の失業率上昇などが顕著になります。
民主党政権の「コンクリトから人へ」の政策は、都市部の住民の心を捉えます。
都市部に新たに発生した貧困層は、公共事業による所得再配分の恩恵にあずかれないからです。
民主党が政権を取った原因は、都市部の議席数を大量に確保した事でした。
「浮遊票」と呼ばれる票が、民主党に集中したのです。
■ 「お湿り」にもならなかった民主党の「バラマキ」 ■
民主党は「子供手当て」など、分かり易いバラマキで政策をアピールします。
一方で、財源の手当ては、「埋蔵金」の発掘に頼っていました。
「仕分け」を大々的に実施して、「対財務省」の姿勢をアピールしますが、
実際には「仕分け」を仕切っていたのは財務官僚で、
さらに埋蔵金は、思っていた程発掘されませんでした。
財源が手当てされないので、「子供手当て」なども早期に終了してしまいました。
公立高校の授業料に無料化で、高校に通っていた子供達の中には、
授業料が納められずに、退学する学生も出る結果となりました。
民主党の「バラマキ」は、「お湿り」にもなりませんでした。
■ 「バラマキ」の裏で行われた「見えない増税」 ■
長引く不況で財源が逼迫した事により、民主党(財務省)は「見えない増税を」を行います。
「特別減税」を廃止したのです。
サラリーマンの方は、源泉徴収される為、ご自分の納税額に鈍感です。
しかし、給料明細を注意深く見ると、増税されている事に気付くでしょう。
消費税増税の議論が伯仲する裏で、増税は確実に行われているのです。
さらに、「国民総背番号制」と揶揄された「マイナンバー法案」が国会に提出されました。
しかし、これは個人事業主などの所得把握が確実になる為に、
自民党の反対によって、国会を通過していません。
■ 公共投資が減少し、生活保護が増大した民主党政権の政策 ■
民主党政権下で減少したのは公共投資です。
これは建築土木分野だけでなく、仕分けによって様々な予算が縮小しています。
一方、失業業率の増加により、生活保護世帯が増大しました。
生活保護に関しては、様々な意見がありますが、
「労働せずに、生活出来る事」が幸せかどうかは疑問が残ります。
民主党政権下においては、公共事業から生活保護へ、財政支出が変化しただけとも言えます。
■ 欧州型社会民主主義と、アメリカ型資本主義の間で揺れる日本 ■
日本は資本主義国家ですが、一方で、世界で最も成功した社会主義国家でもあります。
「和」を主じる国民は、「富の再配分」に寛容でした。
これは、欧州型の社会民主主義にも共通する感覚です。
欧州各国は、税負担が日本よりも高く、社会保障も充実しています。
「ワークシェアリング」などの制度も普及しています。
一方で日本の社会民主主義は若年層の多い人口構成が支えてきました。
高齢者など非労働者の割合が増加する中で、
低コストの日本の社会主義的システムは破綻し始めています。
一方で、日本は小泉改革以降、アメリカ型の資本主義に大きく方向転換しています。
バブル崩壊によって経済が縮小する中で、
従来の社会主義的システムを維持していては、企業の競争力が奪われるためです。
円高の影響を緩和する為には、高い人件費や社会保障費が企業の負担となったのです。
同時に、地方への富の再配分は、経済の非効率化として縮小されました。
その結果、地方では貧困化が進行し、
都市部では貧富の差の拡大という「二極化」が進行します。
この不満の受け皿となったのが、民主党政権である事は、前述しました。
■ 財政拡大無くしては成り立たない社会主義政策 ■
民主党の支持団体は労働組合です。
民主党の前身の一角を、旧社会党や民社党が占める様に、
民主党は半分は社会主義的政党です。
ですから、民主党がマニフェストにうたった政策は、社会主義的でした。
ところが、これらの政策は財政の拡大無くしては成り立ちません。
民主党は財政拡大政策を実施しながら、財政圧縮をするという自己矛盾を抱えて立ち往生します。
■ 戦後社会民主主義的政策の復活 ■
安倍総裁の打ち出す政策が注目を集めています。
1) 金融緩和を拡大してマネーサプライを増やす
2) マイナス金利(日銀当座預金)なども視野に入れ、資金のブタ積みを解消する
3) 建設国債の発行など、積極的に財政出動して資金供給と景気刺激を同時に行う
4) 規制緩和なども検討する
5) 為替介入は行わない
6) 3%のインフレ率を目指す
どれも評価に値する政策で、それなりの規模で実行すれば、
日本経済が復活する可能性は大きいと思います。
公共事業を柱とした経済活性化は、戦後の自民党の社会民主主義政策の復活とも言えます。
一方で、この政策が自民党政権末期同様、財政赤字の拡大をもたらす事は疑いがありません。
人工動態が高齢化に偏る社会では、
公共投資が高度経済成長時の様な経済効果を生む事は無いでしょう。
税収増による赤字の縮小という自民党支持者の主張が現実性の無い事は
私達が経験的に理解していることでは無いでしょうか。
日本の過去の公共支出と経済成長の相関や、
世界の別の国のこれらのデータが、
必ずしも現在の日本に当てはまらない事を無視した議論は危険なのです。
■ グローバリゼーションの時代に不効率な社会コスト増大政策が通用するか ■
財政と金融両面からの経済支援は、リーマンショック後の中国やアメリカの政策です。
アメリカはこの政策で、経済の失速を最低限に抑えてきました。
一方で、この政策が経済を回復軌道にまで乗せられるかどうかは、
今後の米経済の動向を見てから判断する必要があるでしょう。
中国は国営企業が経済を動かしているので、
民間の支出と、政府の支出の区別が付きません。
中国では、誰も済まないマンション群など、無計画な投資が注目されています。
地方政府が旗振役とって推進した開発計画が頓挫したのです。
これと同じ状況を日本もかつて経験しています。
地方自治体が旗振りとなって造成された工業団地やニュータウンが、
荒地となって放置されていた事は、記憶に新しいと思います。
あるいは、採算性に乏しい事から半官半民で運営された「第三セクター」方式の事業が、
ことごとく失敗して赤字の山を築いたことも記憶い新しいかと思います。
この様に、需要を無視した行政主導の事業は、ほぼ赤字に陥ります。
何故なら、採算性が合わないので、民間が手を出さない分野だからです。
結局、行政主導の事業は、将来に渡って黒字化しない事が宿命付けられています。
これらの不効率は資本主義的には否定されるべきものです。
一方、社会主義的には容認されます。
しかし、その非効率さ故に、社会主義国家は滅亡しています。
■ 「国土強靭化」という新たな看板 ■
安倍総裁と自民党が掲げる「国土強靭化」は、従来の公共事業の看板を架け替えただけに思えます。
確かに東北の大震災依頼、防災に対する感心が高まっています。
一方で、冷静に考えて、東北の海岸線を高さ10mを越える堤防で囲う事が現実的かという問題もあります。
何百年に一度、大津波に襲われる集落が、居住に適しているかは疑問があります。
人命が軽い明治時代以前ならば、津波による人命の損失は「仕方が無い」で済まされます。
人々は、しばらく非難した後は、漁業に便利な海岸近くに戻って来ます。
社会資本も、木造建築程度ですから、掘っ立て小屋なら直ぐに再建できます。
ところが、人の命が重くなった現代では、人命は何事にも優先します。
今回、10mを越える津波が発生した集落で安心して人が居住する為には、
10mを超える防波堤が必要となります。
まさに、中世の要塞都市の様に、海を眺望する事もままならない異様な光景が出現します。
ところで、車という運送手段が発達した現在、
そうまでして海辺に居住する必要があるかと言えば、これは疑問です。
ただ、先祖伝来の土地に対する責務は、日本人にとって重要なので、
「高台に引っ越すべきだ」と言う合理的主張が正しいとは言い切れません。
東北の津波災害危険地と同様に、日本の沿岸部は、どこも津波の危険が無いとは言えません。
リアス式海岸の様に、山が海に迫った入り江では、津波被害は起こりやすくなりますし、
房総半島などでも、元禄地震で、大きな津波被害が発生しています。
それでは、日本の津波警戒地の海岸線を、高さ10mの堤防で全て覆う事が正しいのでしょうか?
主観的判断をするならば、それは「美しく無い」と思えます。
■ 自然災害のリスクとコスト ■
NYを襲ったハリケーン・サンディーの被害に世界は驚愕しました。
大潮の満潮と重なったことが原因で、高潮による被害がNYで発生しました。
日本では当たり前の防潮堤や排水施設が、NYではオザナリになっていたのでしょう。
ところが、アメリカでは災害復旧の迅速さは賞賛されていますが、
一方でNYの防災施設を増強しろとの声も挙っている様です。
ところで、サンディーの報道で面白いのは、
台風通過後に直ぐに、保険支払いの総額が発表された事です。
アメリカ人は合理的ですから、被害が発生しても保険が支払わればOKと判断するのかも知れません。
保険料は値上がりするでしょうが、災害保険に加入する人も増えるでしょう。
災害すらも、彼らはビジネスチャンスに変えてしまいます。
ただ、保険に加入できない貧乏人は、リスクに怯えることになります。
アメリカでは今後、防災設備の補強のコストとメリットが測りに掛けられるでしょう。
しして、保険による損失のカバーも、その計算の中には含まれるのでしょう。
■ アルマジロの様に、殻に閉じこもる日本人 ■
災害の対応一つ取っても、日本人とアメリカ人の違いは明確です。
アメリカ人は最低限の対策をして、後は危機対応の迅速さと保険でカバーします。
危機に際しては、現場判断が充分に機能し、
命令系統が混乱しても、現場は充分機能するのでしょう。
一方、日本は危機に対して、事前の対策を重視します。
堅牢な堤防を築き、ダムを設置し、山も砂防ダムの要塞の様にして災害を事前に防ぎます。
防災訓練も、職場単位まで徹底して行い、予行練習に余念がありません。
しかし、予想を上回る危機が発生した時、対処が出来なくなります。
津波においても、地震後の予測行動が出来たかどうかが、生死を分けました。
復旧に際しても、命令系統が混乱すると効率的に活動が出来ませんでした。
しかし、個々人のレベルでは、混乱も無く、必至に災害に耐える姿が世界に感動を与えました。
何が良くて、何が悪いのかは、一概には結論できません。
ただ、リスクを積極的に取る事で収穫を得る狩猟民族と、
リスクを事前に極力回避して、収穫を守る農耕民族の差が明確に出ていると思えます。
日本は大きな危機を予知すると、アルマジロの様に殻の中に閉じこもる習性があるのでしょう。
「国土強靭化」は、そんな日本人の習性に強くアピールする事でしょう。
一方で、世界的危機を前に、日本人はやはりアルマジロの様に殻に閉じこもっている様に感じます。
安倍氏の打ち出した政策は、攻撃的の様に一見見えますが、
実は、非常に内向きである事が、気になります。
民主党政権発足時に、私達が見た夢を、今回は自民党に見ているのでは無いか?
国民が怠っているのは、実は、努力なのでは無いかと、
バリバリ働く東南アジアの若者と接して感じる今日この頃です。
水は高い所から低い所に流れる様に、グローバル化の時代には労働市場は賃金の低い国に移動してゆきます。中国ですら、既に賃金の上昇の影響で、ベトナムやラオス、カンボジア、ミャンマーに労働市場を奪われはじめました。労働市場が安定していそうに見えるヨーロッパですら、東欧諸国に工場が移転し、西欧諸国は移民を安い労働力として利用してきました。これは、資本効率を追及する経済の物理法則の様なもので、抗う事は出来ません。
かつげは関税が労働市場を保護してきましたが、自由貿易と言うなの暴力が横行しています。この流れを止める為には各国が保護主義に戻れば良いのですが、どうも世界の経営者がそれを望まない様です。
興味深いのは中国の動向ですが、米国がこのまま中国の封じ込めを続けるのか、それとも反日で日本の企業を追い出し、生産設備を略奪した後から中国に再進出するのか、情勢は不透明です。
いずれにしても、労働賃金は世界的に同一労働同一賃金が進行するので、単純労働の賃金は下がる一方で、逆に一部のエリートの賃金はさらに上昇するでしょう。何だか、昔のSF映画の様な世の中が出現しそうで、憂鬱になります。