■ 「真実とは何か」 ■
「真実は一つである」 ・・・これは正しい。
「真実は人の数だけある」 ・・・これも正しい。
ある「物」が存在したとする。物理的には色も形も一つである。要は「真実は一つ」。しかし、この物の全容が隠されて、部分的にしか見えない状態で、何人かの人が覗き穴から一部を観たとしよう。
ある人は「赤い球体」だと言い、ある人は「黒い立方体」だと言い、ある人は「白い平面」だと言った。実は物体は様々な曲面と色を持った複雑な形をした巨大な物体だった。
この物体を部分的に見た人は、全体像を想像して「赤い球体」だとか「黒い立方体」だとか「白い平面」と言っているに過ぎませんが、それぞれが、それぞれの人には「真実」と思えています。
しかし、このままではこの物体の形や色は確定しませんから、全体のコンセンサスとして色と形が決められます。政府が「これは赤い球体である」と発表して、マスコミもこれに異論を唱えなかった場合、複雑な形と色をしたある物体は「赤い球体」と正式に決定されます。国民の多くは、をれを「赤い球体」だと認識して疑問を持ちません。
■ 真実の作り方 ■
私が大学1年生の時の夏、バイトから帰ってきたらTVで重大な事故の報道をしていました。初動報道では様々な情報が錯そうし、「赤い球体」や「黒い立方体」や「白い平面」の断片的な情報が各報道機関から発せられましたが、翌朝に「赤い球体」が発見されます。
それ以降は「赤い球体」を裏付ける情報が積み重ねられ、いつしか人々はそれは「赤い球体」だと思い疑いを持たなくなります。いえ、最初から「赤い球体」以外を考える人はほとんど居ませんでした。
しかし、初期の断片情報の「黒い立方体」や「白い平面」が気になった人がごく少数居ます。或いは、立場上それが「赤い立体」で無い事を知っている人も少なからず居ました。後者の多くは立場上、それを公に口にする事は有りませんでしたが、会話の中でそれを匂わせて人も居るでしょう。「これだけは真相は話せないんだよ」という言い方で心の苦悩を誤魔化す人も居たでしょう。
そうして、いつしかネットでは「赤い球体」は実は「複雑な形と色をした物体」だったという説が蔓延して行きます。
しかし、正式には「赤い球体」とされ、常識的にも「黒い立方体」や「白い平面」であってはならないその物体は、未だに「赤い球体」として人々に認識されています。
■ 善良な社会は「常識」に支えられている ■
この物体が「赤い球体」である事は社会に混乱を招きません。人々の常識で納得し得る色と形だからです。しかし、この物体が「複雑な色を形をしている」事は、世の中を混乱させます。常識が覆ってしまうからです。
実は善良な社会は「常識」に支えられています。相手を信じるという行為は、相手の常識を信じるという判断に等しい。「人々が同じ常識を共有している」という信じ込みが社会を支えています。
真実は大切ですが絶対ではありません。社会を維持する為には、場合によっては真実を隠しても「常識」を守る必要もあります。社会を治める人達はこう考えています。政治家が、官僚が、マスコミが、「常識」を守る為に団結します。そして、人々は無意識に「常識」を求めます。
こうして、オボロゲに真の形が見えている物でも「赤い球体」であり続ける事が出来るのです。そして、実はそれ程悪い事ではありません・・・。「常識」が崩れるリスクに比べれば・・・。
■ 陰謀論とは「常識」の外から世の中を見る行為 ■
陰謀論者は「常識」に重きを置きません。「真実」に重きを置きます。尤も多くの場合が「真実」とは「自分だけの真実」です。全体像を見る立場に無い多くの陰謀論者は、「断片」を繋ぎ合わせて「自分だけの真実」を作り出します。
「赤い球体」は実は「白い平面の上の在る黒い立方体」なのだと主張したりします。
陰謀脳は「常識」を嫌うので、常識を外した世界で物を組み立て様とするのです。そして欠けたピースは妄想力で補います。この妄想がエンタテーメントに過ぎると、「地球は爬虫類型宇宙人に支配されている」とか「月の裏側には巨大な都市がある」という「トンデモ陰謀論」に発展します。
■ 「真実」は強請りの材料として最適 ■
冒頭の「赤い球体」ですが、メディアに登場する著名な方も最近「複雑な色と形をしている可能性がある」と言い出しています。ネットでも、その見方が定着しています。
実はこれは「常識」の危機です。そしてこの「危機」には利用価値が在ります。「本当の事をバラされたく無かったら言う事を聞け」というのが昔から悪党の常套手段です。
最近、「赤い球体」の本当に形に関する書籍などが発刊される様になりました。それでも多くの日本人は本能的に「赤い球体」を信じています。これは「常識」を守る為の自己防衛です。しかし、この自己防衛が自分達の利益を奪う事には注意が必要です。
「実はね・・・」と真実を認める事で悪党の強請りのネタを奪う事が出来るのです。
■ モリカケ事件も同じ構造 ■
モリカケ事件も同じ構造をしています。人々はおおよその真実の形に気付いていますが、今の生活を壊したくない為にそれに目を背けています。或いは「真実」に重きを置きません。
一方、メディアは周期的にこの問題を取り上げ真実に迫るかに見えて、肝心な所で手を抜きます。あたかも「脅し」の様に。
私達は、目先のチンケな悪党を晒しものにして溜飲を下げますが、いつの世も本当の悪党は裏に居て表には出て来ない。
その本当の悪党を妄想するのが陰謀論の醍醐味なのです。
先日の陰謀論記事に応援コメントが幾つか寄せられたので、私なりの陰謀論の矜持を書いてみました。