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日本の不景気は外需の落ち込みが原因ではないのか・・・外需主体の産業構造を変革できるのか?

2012-10-31 17:29:00 | 時事/金融危機
 

■ 日銀の追加緩和11兆円は、栄養剤みたいなもの ■

日銀の追加緩和が発表されましたが、市場は模様眺めの状況です。
既に、市場は今回の緩和を「折込済み」でしたので、相場が好転する材料には乏しい様です。
何もしないよりもマシですが、効果としては栄養剤みたいなものでしょう。

今回は政府と日銀の共同声明が発表されました。
その中に下記の様な一節が見られます。

「適切なマクロ経済政策運営に加え、
 デフレを生みやすい経済構造を変革することが不可欠であると認識している。」


ところで、「デフレを生みやすい産業構造」とはいったい何なのでしょう?

■ モノは製造コストの安い国で作られる ■

グローバル化の時代において、工業製品は製造コストの一番安い国で作られます。
中国は「世界の工場」と呼ばれて来ましたが、
労働コストが上昇したので、工場は中国の沿岸部から内陸部へ、
そしてさらには、中国よりもさらに労働コストの安いベトナムやラオス、ミャンマーに
工場が移りつつあります。

これは歴史的に繰り返されて来た事です。

イギリスは産業革命によって繊維工場が発達しますが、
工場は次第に国外に移転して行きます。

アメリカは第二次世界大戦後までは、世界の工場でしたが、
次第に高い技術を必要としない産業から順に空洞化が進行し、
現在では、国策で保護された自動車産業や航空宇宙産業、
さらには軍事産業くらいしか製造業は国内に残っていません。

日本もかつては世界の工場の役割を担っていましたが、
現在では空洞化が進んでいます。

■ デフレの原因は、同一労働同一賃金の原則 ■

関税などの障壁が取り除かれたグローバル化の世界では、
同一労働、同一賃金の法則が貫かれます。

同じ物を作るのに、同じ作業をするのであれば、
同一の賃金で無ければ、価格差が生じます。(設備の効率や歩留りを無視したとして)
当然、性能や信頼性が同じであれば、安い商品が選ばれます。

こうして、「同一賃金・同一労働」の原則によって、
輸出産業の労働コストは世界標準に近付いてゆきます。

「労働賃金の世界標準」は、「最も安い労働賃金」に収束しようとします。

賃金が低下するのですから、購買力が損なわれ、
国内ではデフレが進行します。


■ 「外需はたった13%」という誤解 ■

リフレ派や積極財政を主張される方の多くが、
「外需はたたの13%しか無い」と言います。

円の増刷や、財政出動で、残り87%の内需を刺激すれば、
日本の景気は回復すると言います。

しかし、日本の内需は、はたして外需と関係が無いのでしょうか?

GDPの定義は次の通りです。

GDP=一定期間に企業が財・サービスの市場で自身の最終財・サービスを売り、その対価として得た金の総額

財やサービスは「中間財・中間サービス」「最終財・最終サービス」に分類されます。

最終財の製造の為に製造される部品や素材、エネルギーや輸送サービスは、
「中間財・中間サービス」としてGDPにはカウントされません。

「外需産業のGDP比率は13%」しかありませんが、
実は、その下の部品・素材産業などすそ野の企業群の売り上げはGDPにカウントされないのです。

例えば、もしトヨタやパナソニックが日本の工場を閉鎖し、
なおかつ、部品調達を海外で行えば、傘下の部品製造企業の売上が消し飛びます。
当然、相当数の雇用が失われ、結果的に消費が減るので、内需も比例して失われます。

既に、日本の多くの製造業が、工場を海外移転し、
部品調達の一部を海外で行い始めたので、
日本の外需と内需の両方が減少しています。
結果的に日本のGDPは伸び悩み、経済が停滞します。

当然、需要は低迷するので、物価は下落し、
海外生産の安い商品(日本ブランドであっても)が流入してデフレが進行します。

日本のGDPに占める外需産業の直接的比率は13%ですが、
外需産業に関係する部品や素材、エネルギーや流通業のウェイトを考慮すれば、
日本のGDPに占める外需産業の影響は、13%などよりは余程巨大なのです。


■ 部品・素材産業はいつまで優位性を保てるのか? ■

「日本は大丈夫」と主張される方の多くが、
「工場が海外流出しても、部品や素材は国内から供給される」とか、
「韓国や中国の工場で使われるのは日本の部品」と言われます。

実際にロームや村田製作所は、スマートフォン向けの素子で利益を拡大しています。
液晶ディスプレー用の特殊フィルムのシェア世界一の富士フィルムも、この分野が好調です。

しかし、ロームや村田製作所は将来に危機感を抱いています。
中国や韓国企業は、安いコストで生産しなければ成らないので、
コストダウンの圧力がもの凄いのです。

同性能の素子を台湾や韓国のメーカーが製造し始めれば、
ロームや村製作所のシェアーは一気に失われます。

この2社は、医療機器分野に活路を見出そうとしています。
この分野は、高い性能を要求される為、価格競争にさらされにくいのです。

しかし、同じ事を試みて見事に失敗したメーカーがあります。
「シャープ」です。
シャープは液晶TVの価格下落の影響を受け、
医療分野の高額商品の開発を進めました。
しかし、元々ニッチな分野ですから、
巨大なシャープ全体の売上に占める割合は微々たるものです。
結果的に、シャープは会社存続の危機にあります。

この様に、素材、部品産業と言えども、新興国の追随を間逃れる得ません。

以前は台湾や韓国製の電解コンデンサーは性能が悪く、
サムソンの製品の故障の原因の一つでしたが、
現在では、その信頼性は格段に向上しています。
「日本の電解コンデンサーで無ければ・・」というのも過去の伝説と化しています。

■ 国内の雇用を守ると、企業が潰れる ■

シャープの失敗は、国内生産に拘った事でした。
結局、円高という最悪の環境変化によって、
シェアーを失う結果となりました。

尤も、SAMSUNも液晶事業を分社化したくらいですから、
既に、液晶TVは中国生産でなければ、採算が取れないビジネスになっています。

各局、国内の雇用を守る為に、企業が国内生産に拘ると、
輸出企業は存続すら危ぶまれる状況に陥ります。

これは、繊維産業や鉄鋼、造船業がかつて歩んで来た道です。

■ 技術革新から遅れた途端に、企業業績の悪化に歯止めが掛からなくなる ■

現在の産業の傾向でもう一つ顕著なのは、
技術革新の方向性を見誤ると、衰退に歯止めが掛からなくなる事です。


スマホとガラケーの例が分かり易いかと思います。

日本に携帯電話はDocomoなどの携帯電話会社の全量買い取り方式でした。
製品の仕様はDomocoなど携帯電話会社が細かく決定し、
各社、決められたフォーマットの中で細かな違いを競っていました。

性能や機能で差別化が図れないので、
デザインの更新周期を早めたり、不必要な機能を付けたりしました。
これは、あたかも限られた環境の中で独自進化した、ガラパゴス諸島の生物の様でした。

一時業界では、頻繁なデザイン変更に対応した、金型用のモデルの製造技術や、
少量ロットでの、製造コストの削減が注目されていました。

ところが、そこにiPhoneという黒船が出現します。

iPhoneは、日本のメーカーが専用組み込みソフトで対応していた様々な機能を
PCのソフトウェアー同様に、ソフトをダウンロードする事で対応しました。

必要と思えるソフトを、ユーザーがチョイス出来、
必要と思えるソフトを多くの開発者が世界中で開発するモデルを確立したのです。

そもそもスマートフォンは携帯電話では無く、
屋外に持ち出せる、電話も出来る小型端末という全く新しいカテゴリーの商品でした。
要は、シャープの電子手帳ザウルスの進化系。

Appleの優れていた点は、高性能の共通プラットフォームとしてのiPhoneを提供し、
さらにiTunesなどの連動を確保する事で、
PCネットワークシステムの端末としての位置づけを携帯電話に与えた事。

Docomoなど携帯電話会社のニーズでしか製品を製造してこなかった日本の電気各社は、
iPhoneの登場で、完全に時代に乗り遅れます。

ただ、iPhoneはコンピューターですから安くは作れない。
それを、あの価格で提供する為には、
製造コストの安い中国で製造し、
大量に販売する事で、部品調達コストを下げる必要があります。

頻繁なモデルチェンジやデザイン変更もコストを引き上げるだけですから、
日本メーカーの得意とする、短期間の開発や、モデルチェンジは無意味です。

むしろ、モデルチェンジのスパンを長めに設定し、
スタンダード化する事で、ブランドイメージを高めています。
そして、新型の登場は、世界的なイベントとなる様に仕向けたのです。

この辺のブランド戦略は、さすがはアメリカ企業です。
ライバルのSAMSUNでは、こういうワクワク感の演出は不可能です。

かつてのSONYの得意とした戦略は、
すっかりAppleにお株を奪われてしまいました。

Appleは携帯電話の新型を作ったのでは無く、
スマートフォンという携帯用小型PCを作ったのです。

スマートフォンの魅力は、情報端末としての「センス」です。
これを理解出来ない、日本のメーカーではAppleに対抗する事は出来ませんでした。

■ アメリカは製造業から、企画開発・販売業に移行した ■

Appleは自社工場を持たず、製造部門を早くからアウトソーシングしています。

Appleは創業当時から、企画設計と販売の会社であり、電気メーカーではありませんでした。
ここが、PCのアッセンブリメーカーとしてスタートした数々の米国メーカーと違う点でした。

アップル製品を支持する人達は、
スフトウェアーとシステムの洗練度と、
Appleというブランドを支持しています。


Appleは企業パワーの多くを、企画とシステム構築に振り向けています。
家ではiBook,出先ではiPad,ポケットにはiPhoneというライフスタイルこそが
Appleが人々に提案するものなのです。

ネットワークからどれだけの「楽しさ」を抽出できるか?

これがAppleのビジネスの根幹です。
だから、地図サービスがネットに存在すれば、
iPadやiPhoneを、カーナビとして利用すれば良いじゃないか。

これで、従来のカーナビという製品は存続出来なくなります。

ネットに映像コンテンツがあるならば、
TVはオンデマンドでそれらが見れる端末に進化すべきだ。

これにより、既存の放送局は、コンテンツの開放を余儀なくされます。
受像機に電波を送るビジネスは終わりを迎えるのです。
コンテンツは選んで、必要なものだけを見る時代に突入し、
TVコマーシャルの有りか方が根本的に覆ります。

この様な動きに対して、TVの映像の美しさを追及しても意味ありません。
パケット通信は、データ量の制約を受けるので、画質には制約があります。

今後、TVの製品としてのカテゴリーは、情報端末に移行してゆきます。
画像が美しいTVや、大きな画面のTVは、
かつてのオーディオの様に、ステータスの座を失ってゆきます。
先進国では大型TVは、だんだんと、ホームシアターなどの趣味の分野に追いやられます。

一方、新興国では大型TVはステータスですが、
ここでは、価格が安い事が重要な選択項目となり、
日本企業には魅力の薄い市場となってゆくでしょう。

既に、先進国では若者や知識層を中心にTV離れが始まっています。
リビングの巨大なTVが有る事が、恥ずかしい時代がやって来るのです。
(昔から、ヨーロッパではそういう意識が強く、TVは家具の中に収納していました)

アップルの進めるiTV構想ですが、
この源流を辿ると、SONYのコクーンに行きつくのは皮肉です。

シャープのザウルスにしても、SONYのコクーンにしても早すぎたアダ花です。
ただ、企業のトップが、それを失敗と判断するのか、
それとも、時代と技術の変化を待って再チャレンジするのかで、
勝ち組はAppleでは無く、シャープやSONYだったかも知れません。

Appleの成功は、スティーブン・ジョブスの妄執に依存していたのかも知れません。

未来のライフスタイルを強くイメージし、それを多くの人の「夢」として共有させる。
ジョブスの才能は、この点において突出していました。


一時はジョブスを追い出したAppleですが、結局ジョブスこそがAppleだったのでしょう。

■ 構造改革は「優等生の排除」から ■

話が大きく逸れましたが、「構造改革」に戻ります。

1) 現在の日本の経済構造は内需も含めて「外需依存型」
2) 工業製品は製造コストで決まる
3) 現在のヒット商品は、機能や性能では無く、「製品哲学」によって生まれる
4) 個人の「妄執」こそが、ヒットを生み出す。

かつての日本企業の「製品哲学」は、「高性能の商品を安く提供する」でした。
それは、現在は韓国や台湾に引き継がれ、中国やベトナムに引き継がれてゆきます。
これは「工場原理主義」とも言えるものです。

一方、アメリカやヨーロッパの成功企業は「ブランド原理主義」に貫かれています。

日本に求められる「構造改革」とは「工場」から「ブランド」への脱皮です。

いやいや、日本の家電製品は中国では「ブランド」だよと反論されそうです。
確かに、中国人は日本の高価な炊飯器が大好きです。
しかし、炊飯技術なら、米食文化の中国企業だって、やがては追いついてきます。

結局、「美味しいご飯が炊けます」というのは、極めて「優等生的」な発想です。
「優等生」は、やがては追いつかれ、追い越されます。

結局、今日本に求められているのは、「優等生」の排除の様な気がします。

■ かつて「はねっ返り」が興した企業は、「優等生」になってしまった ■

松下幸之助や、本田宗一郎や、盛田昭夫は「はねっ返り」でした。
戦後の焼け野原から、雑草の様に伸びてきたこれらの企業家の精神を、
現在の巨大企業を支える経営者は、持ちうる事は出来ません。

近年の日本は「はねっ返り」をパージし続けてきました。
唯一の例外が、孫正義かも知れません。

■ 「構造改革」とは、「破壊」と「創造」のカップリング ■

政府の言う、構造改革が嘘くさく聞こえるのは、
真の改革は、破壊的であり、かつ創造的であるという根幹が欠落しているからでしょうか?

橋本大阪市長や、石原氏は、「破壊者」ではありますが、
創造者としての魅力を感じません。
そこは、小泉純一郎氏と同じ匂いがします。

「破壊」と「創造」を兼ね備えた人物は、それこそ時代のカリスマになれるのでしょうが、
そういう人材が居ない事が、今の日本の不幸なのかも知れません。

■ 「物質的豊かさ」を無視した豊かさは存在しない? ■

アレ、随分と話が逸れてしまいました。
最後に基本認識の確認を。


「豊かさ」を「物質的豊かさ」と定義するならば、
「豊かさ」=「外貨(ドル)の獲得能力」と言い換える事が出来ます。


物質的豊かさは、エネルギーと資源、食料によってもたらされます。
日本には、このいずれも乏しく、輸入に頼っています。
輸入が途絶えれば、日本は戦中や明治時代の豊かさに戻ってしまいます。

「外貨獲得」の手段は「輸出(外需)」と、「所得黒字(投資収益)」です。

確かにGDPは、人の手から手へと、お金が手渡されるだけでも増大します。
例えば、「微笑んだくれたら1000円」もビジネスです。
キャバクラなんて、こんなビジネスです。

しかし、この様な究極の内需産業は、物質的製造に関わりません。
仮に、日本の全ての国民が、ニコニコ、ニヤニヤして、
1000円を受け渡すだけのビジネスを始めたら、
GDPは加速度的に拡大しますが、物質的豊かさは一切拡大しません。
確かに美女がほほ笑んでくれるだけでも、精神的には豊になりますが
それで腹は膨れません。
(但し、「ニコニコはニコニコを生む」と定義すれば、
ニコニコは中間財となりGDPを拡大しませんが・・・。)

とにかく、私達の日々の生活は「消費」とは無関係ではいられず、
必要な物資の多くは、海外から購入する必要があります。

ですから、私達が物質的な豊かさを維持する為には、
外貨を稼いで、海外から物質を買い続ける必要があります。

その手段が、「優秀な製品やサービス(コンテンツやソフト)の輸出」でも構いませんし、
「詐欺的金融商品の販売」でも構いません。

日本は「製品の輸出」で躓き、
欧米は「詐欺」の輸出で躓いています。


これが現在の世界であり、
ここから目を背けて、構造改革などあり得ないのです。

■ 豊かさを実現する内需は、外需の稼ぐドルに支えられている ■

「内需を拡大」とか、「心の時代」というのは、
物質的従属が約束されているから言える寝言みないなもので、
もし、日本が財政破綻したら、「何が何でも外貨を稼げ」の戦後の時代が出現します。

自給自足だけが、高見に見物の条件となる訳ですが、
それが許される人は少数に限られます。
個人的には、この様な生活にあこがれもします。

「自給自足」は国家という単位では、あり得ない選択だという事は、これまた疑い様の無い事実です。

ここら変は、個人の幸福と、国家の幸福は同一では無いという事なのでしょう。

という事で、「構造改革」とは、いかに効率的に「外貨を稼ぐ」かに他ならない。
これが、本日の結論。



<追記>

GDPの中間財の扱いが分かりにくかったので、
加筆しています。

外需産業に納品する部品素材産業の売り上げは、GDPに直接加算されませんが、
そこで働く人々の賃金が、内需を支えている事を考えると、
外需産業の影響を過小評価する事は出来ません。