■やっぱり今見るなら日本映画■
先日、アカデミー賞がらみで日本映画が素晴らしいと書きましたが、
では、「現在イチ押しの日本映画は何?」って聞かれたら、
「愛のむきだし」と答えるしかありません。
但し、万人にお勧め出来る映画ではありません。
しかし、ここ5年の日本映画の中で、
いや、世界の映画シーンの中でも
最もインパクトのある映画である事は間違いないでしょう。
先ず、その常識外れの長さ・・・・4時間です。
その4時間をあっという間に感じさせる映画は史上初では?
4時間見終わって、まだ続きが見たくなる映画。
あるいは、連続してもう1回見れてしまう映画。
■むちゃくちゃなストーリーで4時間を爆走■
高校生のユウ(西島隆弘)は牧師である父・テツ(渡辺篤朗)と二人暮らし。
そんな二人の静かな生活に破天荒なアバズレ女のカオリ(渡辺真紀子)が
割り込んできます。そして嵐の様に去って行きます。
牧師であるテツは神に背いた自己嫌悪から息子を自分から遠ざけます。
親子の唯一のコミニュケーションは「懺悔」。
その為にユウは罪作りに励みます。
そして彼の見つけた最良の罪とは・・・パンチラの盗撮。
ここまでは漫画的な演出で、???。
これで4時間持つのか??と不安になります。
友人とのパンチラ勝負に負けて、罰ゲームで女装して街に出たユウは
大勢のチンピラと格闘する少女ヨーコを助けます。
ヨーコはサソリと名乗った女装のユウに一目ぼれ。
そして、ユウもヨーコに理想の女性を見出し、彼女に夢中になります。
しかし父の元にカオリが又転がり込んできます。
しかも、その連れ子が、ヨーコ。
ヨーコはサソリに憧れ、ユウを嫌悪します。
そんな寄せ集めの一家に、
新興宗教教団の幹部コイケ(安藤サクラ)の魔の手がしのびよります。
父の暴力で傷ついたコイケは、
同じ父との葛藤の中で「罪」に飢えたユウに興味を引かれます。
ユウの家族を教団に引きずり込む事で、ユウを教団に取り込もうとします。
コイケはサソリを名乗り、ヨーコに接近し、
ユウの家庭に入り込みます。
コイケの謀略を阻止するべく、
自分こそがサソリである事を告げますが、
ヨーコは彼を信用できません。
さらにコイケはユウの盗撮を学校で暴露し、
ヨーコに変態と蔑まれたユウは家を出ます。
ところが、家族はコイケの教団(ゼロ教団)に拉致され洗脳されてしまいます。
ヨーコとの再会を条件にコイケはユウを盗撮モノのAV監督に推薦し、
彼はAV界の寵児となりますが、彼は盗撮以外の企画を拒否しヨーコへ愛を貫きます。
そして、ヨーコを拉致し、海辺の廃バスに監禁します。
しかし、教団によってヨーコは奪還され、ユウも教団の前に屈します。
教団で修行に励むユウはしかし密かにヨーコの奪還の機会を窺っています。
そしてとうとう、教団本部に爆弾と日本刀で武装して乗り込み
教祖を殺害し、ユウを発見しますが、またしてもコイケに阻止されます。
そてしヨーコは、決定的にユウを拒絶し、ユウは発狂します。
その壊れ行くユウを見ながらコイケは日本刀を自分の腹に突き立てます。
教祖を失った教団は崩壊し、
テツとカオリは更正施設に入り
ヨーコは田舎の親戚に預けられます。
そして徐々にユウこそが自分の救世主であった事に気づきます。
精神病院でサソリとして暮らすユウに面会し、
ユウに思いのたけを打ち明けます。
しかし、ユウは彼女を思い出す事も出来ず、
ヨーコはナイフを振り回して職員を脅すも、二人は引き離されます。
ヨーコが去った後、自我を取り戻したユウは
ひたすらヨーコの元へ走ります。
職員を振り切って走ります。
ヨーコを乗せたパトカーを追って走ります。
そして二人は・・・・・。
とまあ、このブログを読む方は少ないので
あえて全ストーリーを書いてしまいましたが、
なんと無茶苦茶なストーリーでしょう。
しかし、このストーリーで4時間を飽くことなく魅せてしまう力が
この映画にはあるのです。
■映画の歴史をハンマーで叩き壊しながら爆走する映画■
「愛のむきだし」に一番肌合いの近い映画は、
クエンティー・タランティーノの「キル・ビル」ではないでしょうか。
内容のバカバカしさも良い勝負です。
しかし、「愛のむきだし」は「キル・ビル」よりも数段素晴らしい。
「キル・ビル」の目的が血しぶき飛び散るバイオレンスならば、
「愛のむきだし」の目的は、触れれば血が噴出しそうな愛の痛さです。
「キル・ビル」の日本刀が切り裂くのは、単なる肉塊ですが、
「愛のむきだし」の日本刀が切り裂くのは、自分や家族を縛る宗教や道徳です。
飛び散る血は、薄いガラスをこぶしで突き破るような、自傷の痛みを伴います。
ユウがヨーコに出会う街中の乱闘のシーンは、
二人の出会いのトキメキを拳に載せて、
チンピラの体に叩き込んでいきます。
このシーンのなんと心地よい事か。
暴力的なまでの喜びを、暴力で描き切るこの大胆な試みは快感です。
再びテツの前に現れたカオリから逃げるテツの車に、
カオリが喜びで体当たりするように車をぶつけまくるカーチェースのシーンの
なんと溌剌としている事か。
車=身体である簡単な図式を、
ハリウッドはさんざんカーチェースを描いていながらも、
とうとう発見出来ずに、日本の監督が発見するこの皮肉。
とにかく、映画はストーリーでも絵作りでも演技でもなく、
映画が映画として生まれ出ようというその根源的欲求が全てなのかもしれません。
既存の映画理論や映画観を、大きなハンマで叩き壊しながら爆走する。
そんな「愛のむきだし」と園子温監督は、
映画の歴史に一つのエポックを刻むかもしれません。
この映画に比べたら、ワン・カーウェイもキム・ギドクも霞んで見えます。
ベルリン映画祭はこのとてつもない映画に2つの賞を与えています。
アカデミーの「おくりびと」と対照的で、これがヨーロッパ文化の厚みです。