今日(1/12)は、移動祭日のひとつ “ 成人の日 ” 。
この日、かつて小正月(1/15)に元服の儀が行われていたことに由来するらしいのだが、はて・・・?
はて?と言えば、松が明けるの “ 松 ” とは一体何時を差すのだろうか? ところによって七日やら十五日やら諸説あるようだけれど。
それはそうと、神事なのか仏事なのか知らないが喪中に当たる昨年、賀状での新年の挨拶を欠礼した。
年末にその旨をお知らせしたので、事情を御存じない方や商用のものが数枚届いた他は、皆無と言っていいほど届かなかったが、それも当然と言えば当然のこと。
で、本年、それに便乗した訳ではないが大方の賀状を勝手させて貰った。
尤も、この慣習を全否定する訳でも、斜(はす)に構えて暮らすほど拗ねている訳でもないが、儀礼との気持ちがあったことは否めない。
退職後は、必然と言うべきか段々と疎遠にもなるという事情もあった。
賀状と言えば三年ほども前のこと、勤務時代に何かとご指導を賜った方がご内室を癌で見送られてから暫くしてのこと、“ 今後、一切(儀礼的な)お付き合いを遠慮する ” 旨の葉書を貰って驚いたことがあった。
そこまでしなくとも自ら控えていれば、そのうち自然に忘れられることだろうに、と思ったのを憶えている。
ところが、自分がその立場になって、彼、適切な表現が思いつかないので失礼乍ら彼とする。の、心情が聊かなりとも理解できるようにも。
さりとて同じ立場になった今、彼と同じように振る舞うこともできず成り行きに任すことにしたのだが、減ったとはいえ何人かの方から頂き、しかも、当方を案じて下さり丁重に添え書きをして下さった方も。
直ぐに返信をとも思ったが、松が明け、二十四節気のひとつ小寒、寒の入りを待って、お詫びを兼ねた “ 寒中見舞い ” でご勘弁願った。
彼が、賀状も含めた一切の礼を欠くと決めたのは、愛する人に殉ずる気持ちがさせたのかもと、今になれば思う。
その彼、年明け早々ご内室の元へ旅立たれたと洩れ聞いた。
以前、<後か、先か?>で、“ 後に残された夫はたった2年で ” という意のことを書いた。
逝かれるには早いけれど、天に徳を積まれていたのだろう、三年で愛する人の傍へ旅立つことを許された彼、ご遺族などからはご叱責を受けるだろうが、ある意味で果報者であり子供孝行をされた、と自分は思う。
携帯にフリーメールで連絡を頂いたようだが、フリーメールは開けず削除する癖があり、お別れは叶わず礼を欠いてしまった。
一昨々日(1/9)、詳細を朋から知り、酒と煙草をこよなく愛し笑顔を絶やさなかった彼を偲んで独り杯を傾けた。ご冥福を祈りたい。
Peter & Catherine’s Travel. Tour No.919
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます