三連休が明けるのを待って市役所に出掛けたその日(1/13)、風が冷たく、時折、雪交じりの小雨が降った。
連休明けで混むかとも思った窓口、正月気分が抜けないのか、寒い所為なのか判らないが空いてい、ほんの10分ほどで用は片付いた。
振り返れば、夏の晩い頃だったか秋口の頃だったか?
ホスピスに移って体調が安定した頃だったのか、それとも、もっと遅く在宅介護に踏み切った頃だったのか? カタリナ の強い勧めもあって生協の<個配制度を再開>したのは。
もともと個配は、稽古もあって買い物もままならない彼女が加入したものだが、病を得て直ぐに中断した。
再開してからは、彼女名義のまま利用していた。
配達してくれる方も、玄関から車椅子や酸素ボンベが消えたり、女物の履物を見かけなくなったりした辺りから、それとなく気付いていたようだが、此の方の気持ちを慮ってか何も言わず配達を続けてくれていた。
しかし、幾らなんでもそのままにしておけないと思い、年が変わったのを機に名義を変更することにした。
配達員の方にその旨を告げると、簡便な名義変更手続きを思案してくれている風だったが、それを感謝しつつも、「この際、正規に相続したうえで利用するから」と告げた。
暫くして生協事務局から何枚もの用紙が届いた。
僅か両指に満たない程の出資金を相続するため、ふたりが夫婦であったことなどを洗い浚い証明しなければならないらしい。
大方の所はコピーでも可の思い遣りも見せてくれるが、それとても原本があってこその写し、なければ何の足しにもならない。
途中、手続きの煩わしさに幾度か、今のままでなどの思いも過ったが、これは金額の多寡ではない、相続という法律が定めたことそのもの。
何れ誰かがしなければいけないこと、それならきちんとしておくべきだと思い直した。
暮していくうえで、守って貰わなければならない権利もあれば、果たさなくてはならない義務もある。
兎角、この世は面倒くさいことで成り立っているのだ、ということをあらためて実感した。
ギリシャ語でスリッパの意らしい「カルセオラリア」(上)、和名を「巾着草」、そう言えばどちらにも似ている。
もうひとつ秋桜みたくなのは「セネシオ」(下)とあったが、最近の花は名前を探すのが面倒で敵わんよなあ!
Peter & Catherine’s Travel. Tour No.921
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