ペトロとカタリナの旅を重ねて

あの日、あの時、あの場所で
カタリナと歩いた街、優しい人たちとの折々の出会い・・・
それは、想い出という名の心の糧 

続・閑話休題 ‐ 飛んでミラノ

2011年03月18日 | イタリア

 初めてミラノを訪れたのは、99年の晩夏。

 永い歳月をかけたサンタ・マリア・デッラ・グラツィエ教会の 「<最後の晩餐>」。
 その修復作業が、その年の晩春にようやく終わり再公開されていたが、迂闊にも鑑賞には予約が要ると、ミラノに着いた日に知った。

 修復が終わったこの傑作をひとめ見ようと、教会前は予約のキャンセル待ちの長い列が延びていた。

 Photo_3鑑賞は25名ずつで十五分間という限られた時間。
 予約に欠員がでた分のみ待機者から補充、今の状況では何時間かかるか判らないらしい。

 一旦は諦めたカタリナ だが、この傑作を見ずして 「帰りたくない」と言う。
 うべなるかな、「よし、並んでやろうじゃないか!と腹を括ったもののこれが全く動かない。
 そのうえ雨まで降ってきて、教会の庇に慌てて身を寄せる始末。

 2_21_2雨が止んでやれやれと思うと今度はかんかん照り。
 すっかり天にも見放されてしまったようで暗澹たる気分、途中でカタリナを教会前のベンチに休ませる。

 こんなことをしながら三時間。
 ようやく入口の前まできた時は万歳と叫びたい気持ちだったが、それはカタリナとても同じ思いだったろうと・・・。

 ところで、この壁画にはこんな逸話が残っているのだそうだ。

 修道院の食堂の壁画制作を依頼されて3年、イエスとユダのイメージが今ひとつ浮かばず、「困ったなあ、どないしよう」と悩んでいたダ・ヴィンチ。
 
ある日のこと、修道院長がミラノ公を訪ね 「まだ、スケッチもしていない」と制作の遅れをこぼした。

 Photoこのことを聞いた彼、ミラノ公に 「わては毎日、朝な夕なミラノの貧民街に通うて、ユダ(写真:手前で左を向く男)の悪辣さを持っている顔を探しているんやけど、まだ見つかりまへんのや」と言い、少し間をおいてこうつけ加えたとか。
 
修道院長をモデルにすれば済むんやけど、彼が笑いもんになるのも気の毒や思うて・・・」と。

 3年の歳月をかけ、1498年2月、壁画は完成した。

 旅先で三時間もの貴重な時間をかけて傑作と対面。
 たちまちにして十五分という時間が過ぎ、ため息とともに押し出されるように出口に向かった。
 外にはまだ、長い、長い列が続いていた。

 後日談だが、翌年の大聖年の巡礼の折に再訪。
 小雨降る夕刻のグラツィエ教会、並ぶ人の姿もなく、予約もあってバスから降りて直ぐに入れたのだが、同時に、あの日のあの三時間を、ほろ苦くも懐かしく思い出した。

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