初めてミラノを訪れたのは、99年の晩夏。
永い歳月をかけたサンタ・マリア・デッラ・グラツィエ教会の 「<最後の晩餐>」。
その修復作業が、その年の晩春にようやく終わり再公開されていたが、迂闊にも鑑賞には予約が要ると、ミラノに着いた日に知った。
修復が終わったこの傑作をひとめ見ようと、教会前は予約のキャンセル待ちの長い列が延びていた。
鑑賞は25名ずつで十五分間という限られた時間。
予約に欠員がでた分のみ待機者から補充、今の状況では何時間かかるか判らないらしい。
一旦は諦めたカタリナ だが、この傑作を見ずして 「帰りたくない」と言う。
うべなるかな、「よし、並んでやろうじゃないか!」と腹を括ったもののこれが全く動かない。
そのうえ雨まで降ってきて、教会の庇に慌てて身を寄せる始末。
雨が止んでやれやれと思うと今度はかんかん照り。
すっかり天にも見放されてしまったようで暗澹たる気分、途中でカタリナを教会前のベンチに休ませる。
こんなことをしながら三時間。
ようやく入口の前まできた時は万歳と叫びたい気持ちだったが、それはカタリナとても同じ思いだったろうと・・・。
ところで、この壁画にはこんな逸話が残っているのだそうだ。
修道院の食堂の壁画制作を依頼されて3年、イエスとユダのイメージが今ひとつ浮かばず、「困ったなあ、どないしよう」と悩んでいたダ・ヴィンチ。
ある日のこと、修道院長がミラノ公を訪ね 「まだ、スケッチもしていない」と制作の遅れをこぼした。
このことを聞いた彼、ミラノ公に 「わては毎日、朝な夕なミラノの貧民街に通うて、ユダ(写真:手前で左を向く男)の悪辣さを持っている顔を探しているんやけど、まだ見つかりまへんのや」と言い、少し間をおいてこうつけ加えたとか。
「修道院長をモデルにすれば済むんやけど、彼が笑いもんになるのも気の毒や思うて・・・」と。
3年の歳月をかけ、1498年2月、壁画は完成した。
旅先で三時間もの貴重な時間をかけて傑作と対面。
たちまちにして十五分という時間が過ぎ、ため息とともに押し出されるように出口に向かった。
外にはまだ、長い、長い列が続いていた。
後日談だが、翌年の大聖年の巡礼の折に再訪。
小雨降る夕刻のグラツィエ教会、並ぶ人の姿もなく、予約もあってバスから降りて直ぐに入れたのだが、同時に、あの日のあの三時間を、ほろ苦くも懐かしく思い出した。
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