ペトロとカタリナの旅を重ねて

あの日、あの時、あの場所で
カタリナと歩いた街、優しい人たちとの折々の出会い・・・
それは、想い出という名の心の糧 

サン・マルコ修道院 ‐ フィレンツェ

2011年02月15日 | イタリア

 サン・ロレンツォ教会から、メディチ家の邸宅でもあったリッカルディ宮殿の前を通り、サン・マルコ修道院に向かった。
 この修道院、今は美術館となっていてサン・マルコ美術館とも、アンジェリコ美術館とも呼ばれる。

2_21_2  ここはかつて、サン・マルコ信心会の礼拝堂だったそうだが、15世紀になってローマ教皇の命により、ドメニコ派の修道院になったと言われている。

 サン・マルコ修道院(写真上左) が、歴史にその名を留めているのは、ここを拠点に活躍したふたりの僧がいたればこそ。

 そのふたりとは、“ 天使のような ” と呼ばれた画僧フラ・アンジェリコと、後にフィレンツェの実権を掌握するジロラモ・サヴォナローラ。

 ちなみに、サヴォナローラはフェラーラで生まれ、ドメニコ会修道士として禁欲的生活を説き、「虚栄の焼却」を行うなど終生ローマ批判の舌鋒止まず、後には処刑された。

Photo_8  修道院の2階へと続く階段の途中に踊場があって、そこから右に曲がっている。
 その踊場から見上げると、正面の壁に大きな画が架かっていて嫌でも目に入る。

 フラ・アンジェリコ描くところの、「<受胎告知>」である。                                                                         

 と、いう訳でこの絵は、少し見上げる視点(写真上右)で架かっている。
 ゆっくりと階段を登りながら近づいていった時に、最も美しい印象を与えるという、心憎いばかりの演出である。

 大天使ガブリエルが、“ おめでとう、恵まれたかた、主があなたと共におられる ”ルカ1章26~38:新共同訳)とマリアに告げた場面(写真中)が描かれている。

2  カタリナ は、「聖らかな女性像、無原罪の女性とはこの方」と納得。

 また、ここには、若き日のミケランジェロが師事した画家ギルランダイオの「最後の晩餐」(写真下)がある。

 この絵はダ・ヴィンチが、ミラノのサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会の食堂の壁に描いた、「最後の晩餐」の参考にしたとされていて、「なるほど!」と思わせた。

 廊下を進むと小さな僧房、祈りの空間が数多く並び、それぞれに絵が架かっている。

 とまれこの修道院、神への祈りに生きた名もなき修道士の声が、今も「空間に漂っている」ようにも思え、同時に、「フラ・アンジェリコの優しい作風に酔ったひと時」でありました。

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