ドームにしろ鐘楼にしろ、歩いて昇らなければならない所が苦手のカタリナ、何時もの「下で待ってる」を封印、修道院まで続く階段、喘ぎながらもガイドの背を追っている。
長時間バスに揺られて来たのは何のためということだろうけど。
衛兵室の前、修道院への最後の大階段(上段左)、これが九十段あるのだそうだが結構きつい。を、ようよう登り切ると急に視界が開けた。西のテラス(上段中/右)である。
秋の柔らかな陽光を浴びてサンマロ湾の干潟がきらきらと輝き、潮風が心地よい。
干潮なのか所どころに岩礁が覘き、果てもなく泥濘が広がっている。
この干潟、危険な流砂床で勝手に歩くのは禁止されているが、ガイドに引率されて歩くツアーもあるらしく、沖合の干潟に芥子粒みたくなその一行らしき人影(中段右)が望めた。
この地を語るには、“ 8世紀のはじめ、サンマロ湾の対岸の町アヴェランシュの時の司教オベールが夢で、神の御使い大天使ミカエル、フランス語でミッシェル = 神に似たる者という意。の、お告げを聞いた ” という逸話から始まる。
話は、“ ミカエルがオベールの夢枕に現れて三度目、彼の額に触れさらに強く命じられる。夢から目覚めた司教は、額に残る感触からやっとそのお告げを信じ、小さな聖堂を建立したのだが、それまで陸続きだった山が一夜にして海に沈み孤島になった ” と続き、“ 以来この地は聖地になった ” と締められる。
大天使ミカエルが司教オベールの額に触れ聖堂建立を命じるシーン、そのレリーフ(下段左)が今も聖堂に残る。
ちなみに、ミカエルのアトリビュート(属性)は、公正を表す剣と秤、ここ、モン・サン・ミッシェルの聖堂の頂にもその像(下段中/右)が輝く。
余談だが、初期ネーデルランド期(ルネッサンスと同じ時期)、ネーデルランドの画家ウェイデンは、「最後の審判の祭壇画」(フランス・ボーヌ施療院蔵)で、天国に召される者(向かって左)と地獄へ落ちる者(同右)を裁くため、キリストの足下で秤を手にするミカエル(中央)を描いている。
話は戻って、最初にノルマンディとブルターニュに跨るシシイの森の中、標高80mのトンブ山と呼ばれる小高い地に礼拝堂が建てられ、やがて966年に、ノルマンディ公リシャール1世によってベネディクト派の修道院が建てられたのだそうだ。
オルレアンの乙女、<ジャンヌ・ダルク>が活躍した百年戦争、彼女も大天使ミカエルに「フランスの敵と闘え」と告げられる。に、巻き込まれて一時は城塞に。
また、フランス革命時には政治犯の牢獄として使用されるなど数奇の運命をくぐってきたこの聖地、1874年、フランスの歴史的記念建造物に指定されたという。
Peter & Catherine’s Travel Tour No.476
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