セーヌが街をほぼ二分するパリ。
旅の案内書に、北を Rive Droite ・ 右岸、南を Rive Gauche ・ 左岸と呼ぶとある。
セーヌ川畔のコンコルド広場から周りを見渡せば、まず目に入るのが左岸のエッフェル塔、そして、右岸では小高い丘の白亜の建物。
その白亜のサクレ・クール寺院が聳える丘(写真/デジタルズームで粗いが、凱旋門から眺めた夕陽のモンマルトルの丘)を中心としたモンマルトル界隈。
名前を聞くだけで、芸術の都パリの香りが漂ってくるような気がするから不思議。
モネの旅の合間に、「モンマルトル日記 ‐ 小雨降る秋の一日」を紐解く。
10月××日(曇り)「パリの地下鉄」
オペラ・ガルニエの近くのホテルから一筋ばかり北、ノートルダム・ド・ロレット駅からM12号線でモンマルトルに向った。
アベス駅で下車、出口を通った乗客の多くが、エレベータの前に並んで動こうとしない。
お年寄りならいざ知らず、若い男性までもがポケットに手を突っ込み、所在なさげに待っている図は、「えっ、なんで?」「おかしくない?」と首を傾げさせる。
よく分からないまま列に並んだが、なかなかエレベータがこない。
気長に待つということが不得手?なペトロ 渋るカタリナを促し、「いい若いもんが何だ。心がけが悪い」と、八つ当たり気味に階段を歩き始めたのだが、若者までが我慢強くエレベータの前を動こうとしなかった訳が直ぐに分かった。
この駅、モンマルトルの丘の直下、すごく深い所にあるのだ。
延々? と続く螺旋階段、壁にペンキ絵? が描いてあるのだが、とても楽しむ余裕もなく、「恐れ入りました!」と手を上げてもまだ続く。
カタリナ 肩で激しく息を継いでいて可哀想なのだが、その一回り先が地上かも知れないと思うともう元には引き返せない。
途切れそうな声で、「少しは我慢することも覚えなきゃ」と、誰かの声がしたような。
ところで、ガラスの天蓋がユニークな入口(写真)の意匠、作者は、エクトル・ギマールという建築家で、看板も彼の手によるとか、「幾らモダンでも」「こうも深こうてはなあ!」。 .(続く)
※ 「モンマルトル日記(二)」へは、<コチラ>からも入れます。
ペトロの半分位の体型のカタリナ、体力もなさそうだしちょっときつかったかも。[E:coldsweats02]
私はエレベーターがあるなんて知らなかったし一人で行ったのでタクシーを利用しました。
様々の国の人たちが絵の勉強しながら観光客に絵を買ってもらおうと一生懸命でしたね。私は頑張ってねの気持ちもあって日本人の青年の絵を購入しました。
困ったのはランチでもとレストラン入ったものの写真のないフランス語のメニュー、なんとかサンドイッチとジュース頼むと3,40センチはある長ーいパンにハム、チーズなどたっぷり挟んだもの、ジュースもビールジョッキか?と思ったわ。日本人女性なら3~4人分はあるね。
そうそうムール貝注文した時も洗面器一杯でてきて[E:sign03]
ごめんなさい、ちょっとコメントするつもりがいつも長々とおしゃべりして。
ペトロはすごく文章上手いしよく勉強してるし又覚えてるのが凄い、カタリナとコンビで講演したらと思います。