雄弁は銀、されど沈黙は金と言ったのは、誰だったか?
英国の評論家・歴史家カーライル(1795-1881)の 「衣装哲学」に見える言葉で、“ 雄弁は大事だが、沈黙すべきときを心得ていることはもっと大事だということ ” とコトバンクにあった。
なるほどねえ、賢い人は弁えを知り、どうでもいいことに口を挟んだり、軽々に意見を言ったりしないんだ。
真逆の酔狂、どうでもいいことに口角泡を飛ばし、いざ肝心の時に口を閉ざしてしまうんだよなあ。
でも、お喋りと笑いは心の潤滑油、心置けない友たちと、どうでもいいことをくっちゃベるのも楽しいものだ。
そんな場にお酒が入ると、人の話を聞かず喋りまくる御仁、酔狂じゃありませんぞ。もいるが、そうなるとお手上げ、拝聴するしかない。
話がそれたが、鰥夫(やもめ)になってべらぼうに喋る機会が減った。
お喋り渇望症に加えて生来の皮肉屋、どうでもいいことにちょい皮肉を込めて口を挟む癖がしゃしゃり出て嫌われる仕儀に。
で、余計なことを喋りそうになると、口にチャックをするのだがこれがいわゆる緩ふん、それで掌に “ 貝の字 ” を書いて呑み込むことにした。
それとは別に、やゝ短気?な酔狂、癇癪を起しそうになった時の自制手段<六秒の間>を置くため、コーピングマントラ・呪文を唱えている。
てなことで最近、集会などで、文字を呑み込んだり、ブツブツとマントラを唱えたりと結構忙しく、周りからは 「とうとう呆けたか爺さん!」なんて思われてるかも? 口は災いのもと、どうでもいいことには貝になるに限るようで、はい。
本文に関係なく語呂合わせに「貝」の写真を貼ったけれど、この貝のこと時間があれば<こちら>を覗いてみて下さい。
Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1184