Pegasus_rc's blog

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パリス・ヒルトンのカラー

2010-12-18 11:03:22 | MotoGP 2010





パリス・ヒルトンがサポートする125クラスのチーム、“SuperMartxé VIP by Paris Hilton“ のカラーリングだそうだ。

これでレースするのもなんだかなぁ・・
レーシングスーツも合わせたカラーリングになるだろうが、俺がライダーだったら、ちょっと恥ずかしいぞ。

BQRと来季契約したライダーは、セルジオ・ガデアとマーベリック・ビニャレス。
成績がふがいなかったら、パリスから蹴っ飛ばされそうだな。
何かと注目されるだろうから、まぁがんばってくれ。



JB, Mamola & Crosby

2010-12-18 00:34:46 | レース その他
この写真、誰かわかるだろうか。

マシンは、ヘロン・スズキ。
ライダーは、ランディ・マモラとグレーム・クロスビー。
マシンを押すのは、ジェレミー・バージェス。

バージェスのグランプリ活動は、1980年にヘロン・スズキのメカニックから始まっている。
1983年までスズキに在籍し、その後、ロッシと共にヤマハに移るまで21年間をホンダのメカニックとして過ごす。
その間、スペンサーやガードナー、ドゥーハン、ロッシといったチャンピオン達をサポートし続けてきた。

2011年は、ロッシのドカティ移籍に伴いバージェスもドカティに移籍することとなる。









この時代は、スズキの栄光の時代でもあった。
1981年、それまでケニー・ロバーツにタイトルを奪われ続けていたスズキであったが、マルコ・ルッキネリによりタイトルを奪還する事に成功した。
マシンにγ(ガンマ)の名が付けられたのもこの年からである。
1982年は、フランコ・ウンチーニによりスズキ2年連続のタイトルを獲得。
しかし、1983年はランディ・マモラがランキング3位に入りはしたが勝利は無く、その後、ずっと勝利に見放され続けることとなる。
この年は、ロバーツとスペンサーの激しい争いがおこなわれた歴史的な年でもあった。
成績不振のスズキは翌年からワークス活動を停止し、マシンの貸与のみの活動となる。





フランコ・ウンチーニ




XR40(1982)とXR45(1983)のエンジンらしい



僕は、この時代のスズキのマシンが一番好きだったりする。
スクエア4のエンジンにチャンバーの美しさに畏怖の念を抱いていた。

開発にも多くのチャレンジがなされ、失敗や成功の連続だったが、人間の感が生きていた。
セッティングもギャンブル的要素が強く、当たり外れがレースを左右する事もあった。
マシンの差を人間の力で縮める事も出来た。
ライダーも個性的で皆一癖も二癖もあったが、それがグランプリサーカスの面白さであった。