この写真、誰かわかるだろうか。
マシンは、ヘロン・スズキ。
ライダーは、ランディ・マモラとグレーム・クロスビー。
マシンを押すのは、ジェレミー・バージェス。
バージェスのグランプリ活動は、1980年にヘロン・スズキのメカニックから始まっている。
1983年までスズキに在籍し、その後、ロッシと共にヤマハに移るまで21年間をホンダのメカニックとして過ごす。
その間、スペンサーやガードナー、ドゥーハン、ロッシといったチャンピオン達をサポートし続けてきた。
2011年は、ロッシのドカティ移籍に伴いバージェスもドカティに移籍することとなる。
この時代は、スズキの栄光の時代でもあった。
1981年、それまでケニー・ロバーツにタイトルを奪われ続けていたスズキであったが、マルコ・ルッキネリによりタイトルを奪還する事に成功した。
マシンにγ(ガンマ)の名が付けられたのもこの年からである。
1982年は、フランコ・ウンチーニによりスズキ2年連続のタイトルを獲得。
しかし、1983年はランディ・マモラがランキング3位に入りはしたが勝利は無く、その後、ずっと勝利に見放され続けることとなる。
この年は、ロバーツとスペンサーの激しい争いがおこなわれた歴史的な年でもあった。
成績不振のスズキは翌年からワークス活動を停止し、マシンの貸与のみの活動となる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/c4/def92b5009032c4e09d2dc4f98b426a1.jpg)
フランコ・ウンチーニ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/69/d070f2568180b13b4d8a2b0e937e829f.jpg)
XR40(1982)とXR45(1983)のエンジンらしい
僕は、この時代のスズキのマシンが一番好きだったりする。
スクエア4のエンジンにチャンバーの美しさに畏怖の念を抱いていた。
開発にも多くのチャレンジがなされ、失敗や成功の連続だったが、人間の感が生きていた。
セッティングもギャンブル的要素が強く、当たり外れがレースを左右する事もあった。
マシンの差を人間の力で縮める事も出来た。
ライダーも個性的で皆一癖も二癖もあったが、それがグランプリサーカスの面白さであった。