Pegasus_rc's blog

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マン島の宝物

2013-05-31 20:11:38 | 雑感









松下ヨシナリさんから頂いたマン島TTのキーホルダー。

使うのが勿体無くて大事にしていたけど、一生の宝物になってしまった。


「マン島で待っているよ」と言ってくれて、いつか必ず行こうと決めていたけど、松下さんはもういない。



寂しいね。




それでも、レースは続く。

明日、オートポリス戦に行ってきます。



Yoshinari

2013-05-29 00:25:51 | 雑感
いつか、僕もマン島に行こうと思っていた。


マエジュンや松下氏は逝ったけど、彼らの思いはわかっている。
危険だとか、無謀だと人々は言う。
しかし、持っている価値観は誰にも測れない。


僕にはわかる。
走ることで生きることを。
理屈じゃないんだ。


悲しいけど・・・





R.I.P.




3.11

2013-03-11 18:10:31 | 雑感



東日本大震災から2年が経ちました。

昨年、仕事で仙台を訪問する機会がありました。
その際、被災地を見ておこうと、仙台周辺、石巻、南三陸町と訪問しました。
実際にこの目で見た被災地の現状は想像を超えるもので、津波のエネルギーがいかに凄まじかったのかを物語っていました。

仙台空港は、何事も無かったように復旧していましたが、そこから外に出れば、何もかもが流されてしまった更地が広がっていました。
閖上地区は、人々の生活があったはずの場所には何も無く、遠くまで見通せる状態であり、建物の土台が僅かに痕跡を残すのみであった。
タクシーの運転手は、この地域が最も復旧が進んでいない地域だと言っていました。

多くの児童が犠牲となった大川小学校は、私も子を持つ親として、訪問したかった場所でした。
流された子供たちが、どれだけ怖かったか。
子供を失った家族が、どんなにつらい思いをしているのか。

南三陸町も壊滅状態を目の当たりにしました。
そこに至る海岸沿いの集落も同じような状況でした。

松島の観光地は、観光客であふれていたので、以前の賑わいを取り戻したように見えましたが、まだ8割程度との事。
海外からの客が戻ってこないようで、これは国際状況が影響しているようです。

国が大型予算をつぎ込み、被災地に集中投下されている様子が見て取れ、どこもトラックが土埃を巻き上げながら行き交っていました。
今後も着実にインフラ整備が進んでいくでしょうが、被害の大きさを考えれば道のりは平坦ではありません。

あまりに課題が多すぎて、これに立ち向かう事は、日本にとって大きな挑戦となりますが、皆で支えて行くことが大事です。
被災地には、まだまだ、支援が必要な多くの人々がいます。
支援する側の人間も、どこにどのような支援が必要なのか判断し、適切な支援をおこなうことも必要でしょう。

被災地を訪問したことで、あらためて支援が大切な事。
思いを共有することの大切さを認識しました。
これからも、復興の一助に少しでもなれるようサポートしていきます。

東北のみなさん、がんばってください。



KENNYの言葉

2013-01-29 00:25:14 | 雑感





テレビを見る暇もなく、見たい番組の録画がたまっていく一方の今日この頃。
昨日、ようやく昨年放送されたモトライズを見た。

番組では、ケニー・ロバーツやフレディ・スペンサー、原田哲也などのインタビューが取り上げられていた。

ケニーは、リスペクトしている最大のライバルはフレディではなくバリー・シーンだったことや、鈴鹿八耐に出てからレースに対する考えが変わったことなどを語っていた。

そして、最後に日本のファンに向けて発した言葉が印象的だった。




日本のファンのみんな ケータイなんて置いといてモーターサイクルを手に入れよう

大きさなんてどうでもいい 日本にはこんなにも熱狂的なファンがいるのに廃れていくなんて見ていられない

素晴らしいモーターサイクルの国なんだから

ケータイなんて捨てて、モーターサイクルを手に入れよう

サーキットで会おうぜ




近年、私は国産モーターサイクルの魅力が乏しくなってきたと感じている。
モーターサイクルに乗る若者が減っていけば、その楽しさを知る機会も減るわけで、メーカーの開発者も楽しさを知らなければ、魅力的なものづくりが出来るわけがない。
そんなことが、欧米などの成熟市場で日本メーカーがシェアを落とし苦戦している一因なのかなと、ふと考えてしまったのであります。



長崎 8.9

2011-08-09 21:44:20 | 雑感










長崎に行ってきました。

1945年(昭和20年)8月9日、午前11時02分に、アメリカ軍が8月6日の広島に続き長崎に2発目の原子爆弾を投下してから、今日で66年目となる。

多くの犠牲者に対し祈りをささげるため、そして、この事実を忘れないために、初めて8月9日に長崎を訪問しました。


尊い命が無差別に奪われたことは人道的に許されない。

ここで多くは語りませんが、この悲劇を二度と繰り返さないように、一人ひとりが少しでも考える日になってくれればいいと思います。






爆心地
この上空500メートルで、原子爆弾がさく裂した。




原子爆弾 - Wikipedia


広島市への原子爆弾投下 - Wikipedia


広島平和記念資料館


長崎市への原子爆弾投下 - Wikipedia



長崎市 平和・原爆 総合ページ







東北地方太平洋沖地震 メッセージ

2011-03-15 23:00:00 | 雑感



 このたび東北地方太平洋沖地震により被災された皆様に、心よりお見舞い申し上げます。

 幸いにも私には何ら被害を受ける事はありませんでしたが、多くの人々が被害を被ったことに非常に心を痛めています。
 今この瞬間も辛く大変な思いをされている人々の事を思うと、不自由なく今まで通りの生活を続けていていいのだろうかと自問しています。

 今回の大地震は、多くの尊い人命が奪われ、社会基盤や産業にも甚大な被害をもたらしました。まさに国家の存亡がかかった試練と言っても言い過ぎではありません。
 今回、被害を受けなかった地域の人々もまったく他人事ではありません。日本の経済損失は計り知れなく、国民一人一人にも必ず影響が及びます。

 今こそ、日本国民が一致団結して、この国難に立ち向かわなければなりません。被災者たちの思いを共有し、被災地域をバックアップしていきましょう。

 人のつながりが希薄になったと言われている昨今ですが、日本人は世界で最も思いやりという素晴らしい精神を持つ国民性があります。それぞれ、個人、職場、地域で何が出来るか考え、日本があるべき姿を考える機会となる事を望みます。




 被災地の皆様、私達はあなた方と共にあります。決して、あきらめないでください。私達も最大限のサポートを誓います。




命を使いきる

2010-03-31 20:58:48 | 雑感






















最近、仕事以外に時間を割くことが難しくなってきている。
可能ならば24時間仕事に使いたい位だが、それでも十分ではないだろう。
アイデアを具現化する作業も必要だし、何より勉強する時間が欲しい。
もっともっと得なければいけない知識がたくさんある。
人と会う時間も欲しい。
多くの人の話を聞いて、ビジネスにも人生の糧にもしたい。



明日から新年度。
このブログも4月以降、時間が取れなくなれば更新の頻度が落ちるかもしれない。
それでもロードレースは私の最大のホビー。
出来る限りブログも続けていきたい。




NHKの大河ドラマで竜馬の父が言っていた。




この世に生まれたからには、己の命を使い切らんといかん。
使い切って生涯を終えよ




この言葉を胸に、今を突っ走っていきたい。












これは十日前の写真、菜の花と桜が同時に咲く場所でお弁当を食べた。
こんな平凡なひと時に、ふと幸せを感じる。













100,000 感謝

2010-03-15 21:36:35 | 雑感
 ブログの更新を休んでいる間に、100,000アクセスを超えました。

 ブログ1周年の時にも書きましたが、私の趣味であるレースを記録する意味合いで設けたブログですが、多くの方にご覧頂いて感謝しております。

 2010年のMotoGPも1ヶ月後には始まりますが、4月以降は私の仕事の都合上、タイムリーな更新が出来るのかまだ分かりません。しかし、日本において2輪ロードレースがポピュラーなスポーツとして認知されるまでは、ファンの1人として微力ながら情報発信を続けていきたいと思っていおります。

 なんて、大げさな表現をしてしまいましたが、このスポーツが大好きなので、同じ趣味を持つ人たちとつながりを持てる喜びを感じつつ地道に更新をしていきます。



 私がブログを続けている中で、少し物足りない事は、コメントの書き込みが少ない点があげられます。もっとくだけた文章を書いたり、自分自身の情報発信をすれば、親しみを感じコメントが増えるのかもしれませんが、ネット上では我を抑えるというのがマイルールなので、今後もこのスタンスで行きたいと思っています。また、ブログの存在を知り合いなどにほとんど公にしていないのですが、一部の既知の知り合いは全くコメントくれた事がありません。 ← 催促

 よかったら、レースの感想など、何でもいいので気軽に書いてください。 



 話は変わりますが、今シーズンに福岡のスポーツバーを借りてMotoGP観戦会をやろうかなと考えています。

 賛同者が多ければ行動に移したいと思いますので、まずは意思表示を頂ければと思います。詳細はこれから詰めていきますが、九州でMotoGPファンが集まる機会は少ないので、ファン同士交流の場を設けて、普段職場でGPの話なんて出来ない人もうっ憤を晴らせる場所を提供できればいいなと考えています。

 この計画への感想や要望をお聞かせください。





さて、画像は100000でググったら最初に出てきたもの。






次に100000で地図検索したら、アメリカのミルウォーキーにあるお店がトップでたどり着いた。







We Are The World

2010-02-16 22:16:53 | 雑感





ハイチの人々を助けようと、またミュージシャン達が立ちあがりウィアーザワールド(ハイチバージョン)が出来た。

僕は、音楽に目覚めて以来、ほとんど洋楽しか聞いてこなかった。
そして、この We Are The World も若かりし頃、沁みこむほど聞いていた歌でした。

今日、最初に聞いたのはハイチバージョンだったのだが、なかなか良いではないか。
それからハイチバージョンを数回聞いた後、昔のバージョンも聞いたら、思いが巡ってきて感極まってしまった。

僕が音楽にドップリ浸かっていたのは、主に70年代と80年代の音楽だった。
この年代の音楽だったら、何でも分かる位だ。
そして、当然のようにマイケルのファンでもあった。
We Are The World には、マイケルも出てくる。
マイケルが亡くなった時、僕はあえて情報を絶って平静を装っていたのだが、今日堰が切れた。
今頃と言えば今頃だが、マイケルの声を聞いた瞬間にドーンと来た。
彼の偉大さと素晴らしさにあらためて打ちのめされた。
もう届かないところに行ってしまったが、何とか戻ってきて欲しいと思った。
なんと表現したらいいのだろうか、彼のピュアな歌声を生で聴くことができないと思うと辛い。
生きていれば、また東京ドームで会える可能性もあったのに・・・







We Are The World 25 For Haiti



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Γ と共に駆け抜けた青春

2009-08-08 14:10:13 | 雑感



Γと共に駆け抜けた青春
スピードが我がアイデンティティだった時代



ある人のブログで、ガンマの記事を見つけ、当時の色々な思いが蘇ってきた。

なんだか昔の恋人の事を思い出すような甘くて切ない感情を伴って、走馬灯のように思い出が駆け巡る。

ガンマの思いを綴ろう。






SUZUKI RGV250γ

僕は、このオートバイでライディングを覚え、旅もしました。
まさに青春と共にあったオートバイです。

乗っていたのは学生時代。
当時、僕は大学の2輪サークルに所属していたのだが、いわゆる走り屋系のサークルで、先輩方は凄まじい方ばかりでした。
走り屋といっても、そんじょそこらの走り屋とはレベルが全く違う集団だった。

少し紹介してみましょう。
サークルのメンバーには走りをメインにする者もいれば、ツーリングがメインの者もいるし、オフロード系もいたり多種多様な人種が揃っていた。
その中でも走りに特化していた人たちは競技へと向かっていき、その殆どがGP250マシンを所有していた。
その競技者たちはレベルが高く表彰台も珍しい事ではなかった。
レースをやっている先輩の一人は、筑波の選手権(GP250)で青木宣篤選手と同じ表彰台に上がっていたりした。
この先輩は、現在あるメーカーに就職し開発をしている。

しかし、このようにレースへの参加も盛んではあったが、サークル活動のメインはやはりツーリングであった。
多才な人種が揃うサークルなので、ツーリングのエピソードも事欠かない。

あるツーリングの道中、ローリング最盛期の大垂水峠を通りかかった時の事。
僕らは峠になるとフリー走行になるので、それぞれローリングしている小僧たちに交じって走り始めた。
その中、GPX750という重たいオートバイに乗っていた凄腕の先輩がいて、前後ドリフトさせながら凄まじい走りで小僧たちを突っつき始めた。
恐れおののいた小僧たちは、いつの間にか駐車場に引っ込んでギャラリーと化していた。
僕もギャラリーしていたのだが、タイヤから白煙をあげてスライド走行する姿は小僧たちを圧倒する迫力でまさに鬼のような走りだった。

伝説を挙げればキリがない。このサークルの数多くの武勇伝(自慢?)は本題から外れるので、いつか別記事に出来たらと思う。
このようなサークルで、僕は鍛え上げられ、腕を磨いていったのだ。



横道に逸れたが本題。

スズキのオートバイとの出会いは、2輪サークルゆえに2輪メーカーに就職している先輩方も多く、その中でスズキに勤める先輩との繋がりでSBSに出入りするようになったからだ。

レプリカ全盛の時代だった。
250も、400も、各メーカー多種多様なオートバイを揃えていた。
しかし、僕の興味は最もレーサーに近い2サイクル250㏄のオートバイに限られていた。
ホンダのNSRにも惹かれたが、先程述べたスズキの先輩の関係で、ガンマにたどり着くこととなった。
今考えればこの時に、当時最強と言われていたホンダへ立ち向かう打倒ホンダの気概が植えつけられるキッカケになったのだろう。
矛盾するが、今所有しているレーサーは全てホンダになってしまった。ちょっとしたタイミングの問題なのでしょうがない。




このガンマには、とにかく良く乗った。
どこに行くにもガンマだったし、何もかもがオートバイと結びついている生活だった。

今の僕から言わせれば、バカで呆れてしまうのだが、長野のスキー場まで雪道を登っていった事もある。
対向車はすれ違うたびに目をまん丸にさせてビックリしていたが、当時の僕にはオートバイ(当然ガンマ)で行くこと以外の選択肢が思い浮かばなかった。
幹線は融雪してあるので普通に走られたが、スキー場までの数キロは、完全な雪道だったので、前に進まないオートバイを死に物狂いで走らせた。
宿泊したユースホステルの人も、スキーシーズンにオートバイで来た人は初めてだと感心(呆れて)していた。
何をするにもオートバイが基本だったので、車だとかバスなんかで行く事は、これっぽっちも考えに無かったので馬鹿としか言いようが無い。

都内に、数十年ぶりの大雪が降った時があった。
そんな時も、ワクワクしながらオートバイを走らせた。
幹線道路すら完全に雪で覆われており、平日なのに車が全く走ってなかった。
いつもは渋滞する道を走っているのは、チェーンをチャラチャラ言わせながら走る路線バスとトラックだけだった。
2輪車は当然走っていない。
環七を独り占め出来るなんて、ありえない光景だ。
道路って排水の為に側道に向かって緩やかに傾斜しているのだが、その傾斜のせいで、ちょっとしたキッカケでリヤが流れたりした。
リヤが流れ出すと、止まるまで1車線分スライドしてしまったりした。
車が走っていると危ないだろうが、走ってないので何とか無事に帰ることが出来た。
こんな馬鹿は僕だけかなと思っていたら、カブのおじさんが一人だけ走っていた。
信号で並んだ時に、互いの勇敢な姿を称えるように挨拶をした。
この時は、確か二日間くらい交通が麻痺していたと思う。



そんな2輪生活を送りながら、サーキットにも通うようになっていた。
オートバイブームの時代であったが、レースブーム全盛の時代でもあった。
僕の走っているクラスはSP250クラスで、筑波選手権では予選参加台数が200台を越えていた。
パドックもトランポが溢れかえり、マシンは青空整備といった感じだった。
お金は無かったが、若さゆえの自信だけはあった。
誰にも負ける気はしなかった。
人より少し遅れたのは、マシンのせいだと決め付けていた。
僕は、完全にノーマルで走っていたからだ。
良いパーツと練習時間さえ確保できれば誰よりも速く走れると思っていた。
根拠なんて何処にもないのだが、エネルギーを持て余している若さのほとばしりってやつかな。


伝説のライダー、松本憲明さんから教えていただいたこともあった。
僕のどういう所を見込んでくださったのかは分からないが、RS125を用意してやるから、125で走ったらと言ってくれた。
しかし、僕は排気量の小さいGP125よりもSPであっても250のマシンで走りたくて返事をしなかった。
後から考えて、ようやく気が付いたのだが、人生の大チャンスを逃していたのだ。
ものすごく後悔している。
今だったら分かるのだが、純レーサーの125で基本を学ぶ事がとても重要だったのだ。
その時、僕がもっと素直であったならば別の人生があったかもしれない。
とにかく乗れていた時代にGPマシンに乗らなかった事は、残念でならない。
タイムマシンで、当時の自分に教えに行きたいくらいだ。


僕は、よく転んだ。
無茶で、怖い物知らずだった。
転ぶたびにお金が無くなっていった。
そして、怪我をして、サーキットから遠ざかって行くことになった。

僕は、傲慢で世間知らずだった。
レースの世界でも、多くの人達が、血気にはやる僕を温かく見守り手を差し伸べてくれた。
そんな愛情にも気づかずに僕は我が道を行った。

レーシングスピードで駆け抜けていった青春のひとコマです。




結局、レースにも、ツーリングにも、通学や買い物にもガンマに乗り続けて、計3台のガンマを所有していた。
全部、新車で買った。
日本で最初にデリバリーされたSP仕様を、SBS高田馬場で手に入れたのは僕だ。
それらも、山のようにあったパーツと共に消えていってしまっている。
また、あの時のように2サイクルの弾けるように加速するマシンに乗りたい。



ある日、出張先の田舎で、バイク屋の店頭にガンマが置いてあった。
僕は懐かしさというよりも何か引っ張られたような感じで車をUターンさせて見に行ってしまった。
近くで見てみると年式の割には手入れのされているガンマであった。
エンジンも掛けてもらい跨ってみると、十数年ぶりにもかかわらず、体に染み込んだ感覚が蘇ってきた。
文字通り手足のように使いこなしていたマシンの感覚であった。
バイク屋の主人が乗っているマシンだが、譲ってもいいと言われた。
金額もプレミア的なものは無く、妥当な金額だった。
ものすごく欲しくなり衝動買いしてしまいそうだったが、グッとこらえて連絡先だけ頂いてきた。
もうそれから1年以上が経ってしまっているが、まだあるのだろうか。気になる。

VJ21型ガンマ、いつまで手に入るか分からないが、お金に余裕が出来たら何とかして手に入れたい。
パーツも手に入らなくなるだろうし、出来るだけ早いうちに手を打たなければならない。


RGV250ガンマは、僕の青春時代の酸いも甘いも一緒になって過ごしてきたオートバイである。
いつか、また乗られる日を夢見て・・・



ここまで僕の駄文を読んでくれてありがとう。
ガンマを愛していて共感してくれる人はコメントを残していただければ嬉しいです。


























MotoGP : 戦士の顔

2009-07-28 22:53:05 | 雑感
今回は、情報ではなくエッセイです。
ある人へ宛てたコメントなんですが、せっかく書いたのでブログの記事にしました。








2輪のモータースポーツって、他のスポーツと違って、怪我をしたり最悪の場合、命を落とす可能性もあるスポーツなんで、本能に近い部分での闘争心(生存を賭けた戦い)が無いと勝てないし、精神的な要素がライディングにも現れる。

特に最高峰で戦うには、生活や人生すべてを賭して戦う位でないとまともな成績すら難しいだろう。

おそらく克昭は、自分では攻めているつもりでも守りに入っている。
これは、精神の根源的な部分が影響しているので、本人がいくら気合を入れても解決しきれない事が多い。
自己啓発しようにも限界があり、何らかのきっかけが無いとなかなか厳しいと思う。


これは僕自身が経験してきた事なので、走っている本人の気持ちも少しは理解できる。
努力もしているし、リスクも負うつもりで走っている。
でも思うようにいかないので、エンジンが気になったり、足回りが気になったり、あちこちが気になり始めてドツボにハマる。
乗れているときは、不思議な事に多少足回りが整っていなくても走れてしまうから気持ちの影響は大きい。

さて、本題に戻ると、今年の高橋もシーズン始まった頃から少し腹立たしいというか、もどかしい思いをしていました。
僕が良く見る点は、顔つき(目つき)なんですが、高橋の場合、戦う顔つきに最後までなりきれていませんでした。

最高峰で戦うには、精神的土台が出来上がらないと簡単には勝てません。
精神的土台が出来ると顔つきまで変わります。
ロレンゾの表情が変わっているのはGPを見ている人はお気づきでしょう。

それに青山も表情が今までと違います。
顔に甘えが無くなり、時折見せる鋭い眼光。
これが戦士の顔つきです。

高橋は残念ながら、最高峰で戦う準備が出来ていませんでした。
高橋は、今回の出来事で精神的に成長できるかどうか。
もし、高いレベルで戦う準備が出来たならば、ホンダはもう一度チャンスをやってほしい。
何といっても、日本のトップレベルの逸材なので、このまま埋もれさせるにはあまりに惜しい。




旅の効用

2008-12-30 16:03:19 | 雑感


旅は感性を鋭くする。そんな経験、皆さんもお持ちのことと思います。

 私も9月に数年ぶりの一人長旅に出かけた際、日常では感じ得ない感動を受けて帰ってまいりました。

見るもの触れるものすべてが新鮮に感じられ、それまでに眠っていた感性が呼び戻され、まるで高校を卒業し自由がうれしくもあり何故かくすぐったくてシックリこない、そのような感じでした。

 旅から戻って、そんな感動を引きずるかのように色づく木々に心を奪われ、季節ごとに様変わりする街の様子を面白く感じたりするのでした。

 そのような感覚を見出すと、今度はそれを記録に残したくなります。旅の道中も何気ない風景にファインダーをのぞき、何枚も構図を変えては写真を撮っていました。最近の日常においても常にカメラを手元に置いて、何か気になる風景に出合うとシャッターを押します。車を運転していて銀杏並木が黄色いトンネルを作っていた時も車を止めシャッターを押しました。以前は見過ごして、いちいち立ち止まることも無かったと思います。

 これも旅の効用なのでしょうか。
 コンデジから一眼レフに変えたくなった今日この頃、下手の横好きで撮っていきましょうか。





さて、明日は大晦日。

ブログの更新もこれで今年最後になると思います。

今までお付き合いいただいた方、ありがとうございました。

皆様、良いお年をお迎えください。



人生の格言

2008-11-18 22:09:55 | 雑感
人生について考える機会があったので、その道しるべとしての人生の格言を集めてみました。

人生の先輩方の言葉には大変示唆に富んでおり、短い一行の言葉の中に無限の奥行きがあります。

こういった言葉に接すると自分は若輩で、まだまだ勉強が足りない事を痛感する。

もっともっと走り続けて努力する余地がかなりありそうだ。


Salvador Dalí


世の中には幸も不幸もない。ただ、考え方でどうにもなるのだ。
シェークスピア



乗りかけた船には、ためらわず乗ってしまえ。
ツルゲーネフ



人生とは、切符を買って軌道の上を走る車に乗る人には分からないものである。
サモセット・モーム



人生は学校である。そこでは幸福より不幸の方が良い教師である。
フリーチェ



貧しくとも、君の生活を愛したまえ
ソロー



寒さにふるえた者ほど太陽を暖かく感じる。人生の悩みをくぐった者ほど生命の尊さを知る。
ホイットマン



もし、人生に再版があるならば、私は改訂したい。
ジョン・クレア



人間、志を立てるのに遅すぎるということはない。
ボールドウィン



涙とともにパンを食べたものでなければ人生の味はわからない。
ゲーテ



人生のバッターボックスに立ったら、見送りの三振だけはするなよ。
小林茂



人生は道路のようなものだ。一番の近道は、たいてい一番悪い道だ。
ベーコン



人はその生涯の40年間で本文を著述し、
これにつづく30年間において、前者についての注釈を付加する。
ショーペン・パウエル



たとえ今日負けても、人生は続くのさ。
メチージュ



一度だけの人生だ。だから今この時だけを考えろ。
過去は及ばず、未来は知れず。死んでからのことは宗教にまかせろ。
中村天風



人間が人間として生きていくのに一番大切なのは、頭の良し悪しではなく、心の良し悪しだ。
中村天風



われわれは現在だけを耐え忍べばよい。過去にも未来にも苦しむ必要はない。
過去はもう存在しないし、未来はまだ存在していないのだから。
アラン



人生は一冊の書物に似ている。
馬鹿者たちはそれをパラパラとめくっているが、賢い人間はそれを念入りに読む。
なぜなら、彼はただ一度しかそれを読むことが出来ないのを知っているから。
ジョン・パウル



自分が立っている所を深く掘れ。そこからきっと泉が湧きでる。
高山樗牛