この1週間ほど、フィリップ・フォレストの目から山端庸介の人生を見てきた。私のフランス語力ではなかなか辛い作業であった。しかし得るものも多かったように思う。
その一つ。現実に意味を持たせるには、見たと思っていたものを一度何らかの形に移し変えることが必要であるということ。山端の場合は、昼間自分の裸の眼で見たことを写真という形で見直すことによって初めてその意味を悟ったとフォレストは想像している。
この視点から自らを振り返ってみた。そうすると、ブログを書く過程で日常(およびその時の自分の中に起こった変化)を切り取っていること、しかもそれを書き留めるという作業とその結果のブログを読み直すことによって、現実だと思っていたことの意味を理解するということが無意識のうちに行われていることに気付いた。
これはまさに、ブログが山端にとってのカメラ(真実を写し取る « fixer la vérité » ための道具)と同じ役割を担っているのではないだろうか。そんな思いが過ぎった。
ブログの効用(I)
ブログの効用(III)