フランスに揺られながら DANS LE HAMAC DE FRANCE

フランス的なものから呼び覚まされることを観察するブログ

J'OBSERVE DONC JE SUIS

野茂英雄 Hideo Nomo, a Trailblazer

2005-05-17 19:57:54 | 自由人

今日のネットで、野茂英雄がメジャーで10年在籍し、年金や殿堂入りの資格を得たというニュースを読んだ。

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日本球界では最高で年間142万円の年金が、62歳からなら満額の最高約1800万円(16万5000ドル)受給が確実となった。加えて「実働10年」が義務づけられている大リーグの殿堂入り候補者の資格もクリア。
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これを可能にした大きなものは、自分が求めるものがまずしっかりとあり、今いる場には完全には馴染まず、群れず、機会を見て大胆に動き、挑んでいったことによるのではないかと、勝手に想像している。江夏の後、おそらくは駄目だろうと見ていたマスコミ(われわれ)には目もくれず、メジャー行きを敢行した野茂は、やはり凄い精神力の持ち主であったことが証明された。

その記事の中に、「ダメなら一からやり直せばいい。失うものは何もない。」「いつまでも若い選手のようにやっていけたらいい。」という彼の言葉が紹介されていた。あやかりたいものである。

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(17 juillet 2008, à Paris)

今、日本のサイトに行ったところ野茂が現役を引退したことを知る。
彼の持っている描いたものを実現しようとする精神の強靭さは、
道を開くためには不可欠のものだろう。
今、いろいろなところで求められている精神のあり方かもしれない。
これからもその独特の発想で新しい道を切り開く姿を見てみたいものである。

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「千々にくだけて」 が呼び覚ましてくれたもの

2005-05-16 23:40:46 | 

この本は、先日(10 mai 2005)お昼の遊歩時に目に付いて買ったもの。リービ英雄の9・11体験に基づく小説とされている。彼の語り口は、いつも(と言うほど読んではいないが)そんな印象を受けるのだが、意識的にものを外から見ようとするところがある。そこから生まれる aloof な雰囲気、微かな sarcastic な響きは嫌いではないが。

この小説を9・11に絡めて読むことも可能だろし、おそらく多くの人がその周りで論じているのだろう。ここでは、9・11のためにニューヨーク・ワシントンへ向かうところが、カナダの町に足止めされたことから始まるこの小説から呼び起こされたものについて書いてみたい。

これまでにトラップされているということを意識したことが1-2度ある。本来いるべきではないと思われるところに閉じ込められているという、どうしようもない状況に陥ったと感じたことが。始めはアタフタと、もがいたりしたものだが、そのうち、そういう状況にいること自体に意味があるのではないかと、その意味を探るようになった。そうしているうちに、自分というものが少しずつわかってきたような気になったものである。

これは著者の生き様とも関係があるのだろうが、自分がいたところ、あるいは本来いるべきところから抜け出た人の漂わす何か、さらに言葉・文化の上でも育ちから抜け出てしまった(ファーストネームで呼び合い話していることに違和感を感じるところまで)ところからくる不思議な浮遊感のようなものを至るところに感じることができる。ある時期アメリカで暮らした経験から、すべてではないにしても理解できる。その名状しがたい何かに共鳴してしまう。それにしても肉親との関係が遠く、やや機械的に感じてしまうのは私だけだろうか。

この小説では、たばこがアクセントとして頻繁に、しかも印象的に使われている。ニコチン中毒ではないかと思われるくらい強烈な黄に染まった彼の歯をテレビで見たことがあるが、主人公はほとんど彼の分身ではないか。

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ワインに関するプチ情報も。

 「S大学で日本語を学んでいた頃、エドワードはよく地元のカペルネ・ソービニヨンの赤ワインを飲んでいた。同じ西海岸だから買えると思ったが、カベルネ・ソービニヨンは合衆国のワシントン州までしかとれなくて、ここまで北になると赤のしぶいものといってもカベルネより甘口のメルローしか作れない、とフランス系なのかわずかななまりで話す白人中年の店員に言われた。」

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『千々にくだけて』の続編として書かれた『コネチカット・アベニュー』の最後の方に自分の育ったワシントンを出てカリフォルニア、東京へと移り住んでいった主人公が以下のように述懐するところがある。

 「ぼくは二十年前にここを出た、かれらはそのまま、ここにいた。エドワードは日本語でそう考えた。
 ぼくは出てよかった、という傲りもなく、ただ、かれらは、ここを出ないで、ここにいた、という思いだった。」

この一節を読んでいて、こんなエピソードを思い出していた。

その昔、札幌のホテルでピアノの弾き語りをしていたジャズシンガーが語ってくれた。まだ30を越えたばかりにしか見えない彼女はサンフランシスコから来ていたのだが、ジャズドラマーの大御所で若手のプレーヤーを育成したアート・ブレーキー(Art Blakey)がその町に来た時に彼女に聞いたという。「ここで一体何をやっているの?」と。

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エドワードは9・11の半年後に血の繋がらない妹アニータにワシントンで久しぶりに会い、近くのカフェで話をする。

「ピクチュア・ウインドーには、三月のやわらかな光が流れ込んでいた。
 若い黒人のウェイトレスにアニータは、ハイ、ベロニカ、と声をかけながらピクチュア・ウインドーの近くの席にエドワードをさそった。 ...
 ピクチュア・ウインドーのすぐ外を、どちらもグレイのビジネス・スーツの男と女が通り過ぎて行った。男も女も二十代だった。」

数年前、ワシントンを訪ね、抜けるような、乾燥した青い空の下、人影のほとんどないダウンタウンの広い通りを歩いている自分の姿が目の前に浮かんでいた。

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ルオー展にて

2005-05-15 10:16:58 | 展覧会

昨日はゴッホ展とルオー展を目指して出かけた。最近知った Ana Vidovic を聞きながら。ゴッホ展会場の近くまで行って驚いたが、サーカス cirque 状態。あっさり諦めてルオー展へ。ゴッホ展に足を運んでよかったのは、駅で貰ったチラシで The Phillips Collection 展(印象派が中心らしい)が来ることを知ったことか。

ジョルジュ・ルオー展は、ゆったりとした空間で充分に楽しめる雰囲気であった。作品が多いことにも好印象を持った。絵を買い占めて、自分だけで見ようとした人もいるようだが、そこまで行かなくとも作者と自分とが1対1で対峙しているということが意識できないと、感動などは得られないのではないか。展覧会場で見る実物より画集で多くの楽しみを得られるという状況の一端は、そういうところからきているのかもしれない、などと考えていた。

会場の中にあったROUAULTという文字を見て、しばらくピンと来なかった。初めて彼の名前を知ったという瞬間であった。

彼の絵は深い精神性を描いているようなので、形で理解しようとする今の私にはいずれも同じように見えてきて、訴えかけてくるものは少なかった。その中では、版画の「回想録」 « Souvenirs intimes »、「ユビュおやじの再生」 « Réincarnations du Père Ubu» や「グロテスクな人物たち」 « Grotesques » と題する連作は自分の中に入ってきた。また、全作品のタイトルを読みながら見ていると、彼の考えていることが少しずつわかってくるように感じた。フランス語を勉強するようになって、作者が以前よりも近くに感じられるようになるのは理解できるが、タイトルの音の美しさを感じていると、不思議なことに絵の方も気に入ってくるという変化も起きていた。嬉しいことである。例えば、

« Crépuscule ou Île de France » 「たそがれ あるいは イル・ド・フランス」
« Paysage biblique » 「聖書の風景」
« Fin d'automne II » 「秋の終わり II」

また « Passion » 「受難」シリーズではタイトルが文章になっているものが多く、美しく感じられた。

« ...Sans poids, sans volume, il s'avance » 「…影まぼろしのように彼は進む」
« Est-ce que vous savez les douleurs du monde ? » 「お前たちは世の苦しみを知っているか?」
« ...nous mourrons le même soir... » 「…私たちは同じ晩に死ぬだろう…」
« Ces yeux, ces tristes yeux » 「この眼、この悲しそうな眼」
« Je revois le démon et son air de docteur ... » 「私は再び悪魔を見る、学者ぶるそのさまを…」
« Je cours tout le long de votre ombre » 「私はあなたの影に寄り添って走ります」
«...il sera professeur au Collège de France... » 「…彼はコレージュ・ド・フランスの教授になるだろう…」
« Elle est sortie de son trou, à l'heure chaude du soir ... » 「彼女は自分の穴から外へ出た、夕暮の暑い時刻に…」
« Celui-là qui ricane sans jamais rire ... » 「決して笑わないで嘲る人…」
« Le silence des nuits est fait d'une innombrable plainte » (chemineau) 「夜のしじまはおびただしい嘆きによってつくられている」(渡り者)
« Le rêve me repousse et je ne peux plus être » 「夢は私を拒み、私はもういらない」

などなど。いずれにせよ、彼の絵を理解するには人生経験がもっと必要なのかもしれない。あと10年、20年後に見てみたい画家になった。

会場を出た後、彼の画集やショップで見つけた「アジェのパリ」という写真集を、館内の人影のないカフェで眺めながら、展覧会を振り返っていた。さらに、この前 (27 avril 2005) 話に出たシェフのHHさん (岡本太郎の若い時に少し似ている) のお店に久しぶりに顔を出し、手の込んだ料理と Corse の Rosé をいただきながら余韻を楽しんで帰ってきた。

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「かのようにの哲学」に触発されて

2005-05-13 20:22:34 | ブログの効用

最近、密度の濃い素晴らしいサイトを創られている方からのコメントやトラックバックをいただき、自分の世界が広がる喜びを味わっている。これこそが bloggeur の醍醐味というものなのでしょう。有難いと思う反面、恐縮し、身に余ると感じている自分がいるというのも正直なところです。昨日 traumeswirren さんの「夢のもつれ」を少し読ませていただいた。その中に森鴎外の小説「かのように」をもとにした 「かのようにの哲学」 を読んでいるうちに自分のことに想いが及んだので、そのことについて書いてみたい。

その小説は読んだことはない。しかし、そのテーマを自分なりに想像してみると、それはいつも自分の中にあったことと関係がありそうに思えた (いずれ読んでみて間違いがあれば訂正したいが)。大学を出たあたりから、社会における自分の姿はあくまでも仮の姿、割り振られた役割にしか過ぎない、なりきらない方がよいのではないか、というようなことを薄々と感じていたようだ。それから30年ほど経ってみて、その直感に従って生きてきたように思う。

「夢のもつれ」でも指摘されているように、鴎外はいくつもの社会的役割を与えられていた。それをどのように受け止めていくのか、という点は非常に大きいだろう。彼が最後は生まれた時の森林太郎として死んだということは、やはり彼は芸術家的(!)精神で生きたということを意味しているのではないだろうか。社会的に相応な役割を本気では演じていなかったのではないか。もしそうだとすると、深い共感を覚える。自分もそうありたいという欲求を持ってやってきたのではないか、と感じるからだ。結局のところ、この世のこと(現実のもの)だけを真実 la vérité として捉えるのか、それ以外のもの、例えば、目に見えないもの、記憶の中にあるもの、夢の中で経験したことなども真実として受け入れられるのかによって人生は大きく変わってくるのではないだろうか。真実を自分の中に起こるすべてのものとして捉えると、より重層的に生きられるのではないか。

昨日は、久しぶりにジャズを聞きに出た。体格のよい、声量のある、リズム感のよい女性ヴォーカルだった。彼女の歌を聞きながら、音楽に感動を覚えるのは、何かと繋がっているという感覚が呼び起こされるかどうかにかかっているのではないか、というようなことをワインとともに考えていた。外との繋がりもあるが、自分の中に澱のように溜まっている過去の出来事、過去に呼び起こされた感情などが再び浮かび上がるということもありうる。そうでなければ、自分の中に化学反応など起こらないだろう。同じことは、文学や美術など芸術一般に言えるのだろう。一方、発信する芸術家の方は、何を考えて演じ、創造しているのだろうか。

似たようなことは以前にも触れています(13 avril 200518 avril 2005)。 

「かのように」 を読んで (22 mai 2005)

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高齢 - Activite (IV) - リズ・スミス

2005-05-12 23:09:43 | 年齢とヴィヴァシテ

今日はどういう訳か、出勤時のキオスクに出ていたニューズウィークの「外国人が見た日本」というような特集に目が行って、買ってしまった。朝に雑誌を買うなどということは今までになかったこと。最近は日課になりつつあるお昼の散歩に出た時、カフェで読んでみた。いつものことながら、英語圏の本が主に取り上げられている。フランス語でも日本に関する本は出ているのだが、影響力は英語には到底及ばないらしい。ほとんど取り上げられていなかった。

雑誌の最後のページに目をやると、懐かしい顔にお目にかかった。もう20-30年前にもなるのだろうか。アメリカ滞在中にニューヨーク・ポストかデイリー・ニューズのゴシップ欄を担当し、テレビにも定期的に顔を出ていたリズ・スミス (Liz Smith) である。やや太めで裏返るような返らないような、ごろごろ(形容が難しい)という感じの声で、いつもストレートに話していてなかなかよかった。すでに82歳になるということに驚いたが、まだ現役。写真が現在のものだとすると、いまだ若さを十分に保っている。これまでに経験した芸能人との衝突についても触れられている。圧巻はドナルド・トランプ (Donald Trump) に、「あんたを首にするために、会社を買収してやる」と言われたことだろう(今は仲直りをしているようだ)。彼女の場合、仕事を辞める度にいい仕事が転がり込んできたという。やはり、人生終わってみないとわからないことが多いようだ。

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仕事中毒 - リトレ - バルザック

2005-05-11 19:13:13 | 自由人

辞書編纂に精力を費やしたエミール・リトレ (Émile Littré:1801-1881)と、コーヒー中毒にして猛烈な仕事ぶり (Sans café, pas de travail) が有名なオノレ・ド・バルザック (Honoré de Balzac:1799-1850) についてのエピソードをいくつか。バルザックについては、以前に少し触れたことがある (juillet 2003)。こういうお話をするということは、仕事に向かう気力が戻ってきたということか。

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私はノートを閉じた。三分の一ヘクタールの庭のある、セーヌ・エ・オワーズ県メニル・ル・ロワの古い小さな家で、リトレは朝八時に起床し、二階にある寝室兼書斎を妻が片づけてくれるあいだ、階下で序文などの融通のきく仕事をし、九時になると書斎に戻って『辞書』の校正刷に手を入れ、昼食を済ませて午後一時には机にむかい、三時まで「ジュルナル・デ・サヴァン」のための記事を執筆、三時から六時までふたたび『辞書』に没頭する。夕食後、七時から零時までまたしても『辞書』。ここで妻と娘がやすみ、リトレは午前三時まで仕事にかかっていたという。わずかなずれはあるにせよ、十数年これを規則正しく反復していた強靭な体力と精神力には心底驚かされる。

堀江敏幸 『熊の敷石』 (講談社、2001)

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...c'est le seul homme peut-être dont on peut dire sans exagération qu'il s'est tué au travail. Jamais le calendrier de Balzac n'a été d'accord avec celui de son temps : quand pour les autres c'était le jour c'était pour lui la nuit, quand c'était la nuit pour les autres c'était le jour pour lui.

誇張なしに仕事で死んだと言えるのは恐らく彼だけだろう。バルザックのスケジュールは彼の同時代人のものとは全く違っていた。他の人にとって昼であれば彼にとっては夜で、夜になればそれは彼の昼であった。

  Enfin - minuit ! Paris repose dans le silence ; des millions d'yeux se sont fermés, des milliers et des milliers de lumières se sont éteintes. Maintenant que les autres dorment, c'est pour Balzac l'heure du travail ; maintenant que les autres rêvent, il est temps pour lui de veiller. Maintenant que, pour le monde, le jour est fini, commence sa journée.

ついに深夜!パリは静寂の中にある。多くの人は眠りにつき、街の光りは消えている。他の人が眠っている今こそバルザックにとっての仕事の時間である。他の人が夢見ている時が彼が覚醒している時間。世界の一日が終わった時に彼の一日が始まる。

  Balzac écrit, écrit et écrit sans arrêt, sans trêve. Une fois enflammée, son imagination continue de flamber et de s'embraser comme dans un incendie de forêt où le brasier gagne de plus en plus vite de tronc en tronc, toujours plus chaud, toujours plus ardent.

バルザックは、休みなく書いて書いて書き尽くす。一度火がつくと、彼の想像力は幹から幹へとその熱に勢いを増す森の大火のように燃え続ける。

« Balzac: Le romain de sa vie » par Stefan Zweig (Albin Michel)

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お昼の遊歩

2005-05-10 20:59:50 | 日本の作家

昨日に続いて、昼休みに40分ほど散策する。この解放感を味わうために花粉症があったのかと思われるほど、気持ちのよい時間であった。行き着いたところにあった本屋に立ち寄る。最近、旅に関するセクションに足が向くようになっている。特に、アジア方面の話題に食指が動く。今まで全く興味がなかった地域なので不思議である。

今日目に付いたのは、今までであれば目に入らなかっただろう種類の本、小林紀晴著「遠い国」(新潮社)とこれまでに何冊か読んだことのあるリービ英雄の「千々にくだけて」(講談社)。「遠い国」を読み始めたところなのでよくはわからないが、著者は詩人の金子光晴の魂とともに主にアジアを旅しているようである。もう少し読み進んでから、書いてみたい。「千々にくだけて」と併せて。

『千々にくだけて』 が呼び覚ましてくれたもの (16 mai 2005)

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花粉明け -マザリン・パンジョ (II)

2005-05-09 23:46:01 | 海外の作家

花粉が去ったせいか、久しぶりに集中力を持って仕事ができるようになった。晴れた日、風が吹いている、という状況でもその中を歩きたくなる。今日はお昼の散歩をするも気持よかった。なんともいえない解放感である。花粉症にやられていたこの3ヶ月を振り返ってみると、いろいろな考えが頭を巡っていたが、なぜか現実感がない。どこか遠くの出来事のように感じられる。徐々に日常が戻ってきて、これまでの出来事はまた記憶の彼方に沈んでいくのだろうか。


昨日取り上げたマザリン・パンジョの « Bouche cousue » から気になった表現をいくつか。

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J'ai longtemps souhaité être différente, c'est-à-dire normale.

Le plaisir n'est pas dans le résultat. C'est le contact du stylo et la douceur du papier qui me plaisent.

Bien avant mois, papa fut qualifié d'« illégitime ». Illégitime parce qu'à gauche alors qu'il venait de la droite ; illégitime à gauche parce qu'il a crée un nouveau parti qui n'était ni la SFIO ni le PSU, illégitime parce qu'il n'était pas en Angleterre quand il était prisonnier, et parce qu'il est passé par Vichy, illégitime parce que n'étant pas affilié....Il a su trouver une légitimité en lui-même, cela en revanche ne se transmet pas. Mais pour ça aussi, bien sûr, il était illégitime.
(自分の illégitimité を認めた上で、父親に対しても冷静で厳しい見方をしている。Vichyで何をやっていたのか、ということも最近マスコミ取り上げられている。これはもう少し読んでみたい。)

Je suis coupable. Coupable d'exister – illégitime –, coupable parce que cachée – trop moche ? trop bête ? trop ressemblante ? –, coupable parce que honteuse, coupable parce que traître – j'ai choisi de vivre plutôt que de me souvenir –, coupable d'appparaître – prétentieuse –, de publier – profiteuse –, coupable d'être l'aimée – désolée pour les autres –, coupable socialement, affectivement, coupablement. Tout le monde est d'accord.

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マザリン・パンジョ - bouche cousue - ミッテラン

2005-05-08 19:26:13 | 海外の作家

この休みには、これまで読めなかった本でもじっくり読もうかと思っていた。出かける直前に、amazon.fr から届いたばかりの1冊を読み始めると、どんどん自分の中に入ってくるので、予定してはいなかったが、この本に付き合うことにした。Le Point の紹介で知ったフランソワ・ミッテラン (François Mitterand) の娘マザリン・パンジョ (Mazarine Pingeot) の自伝的な最新本 « Bouche cousue » (Juillard) (「沈黙を守って」というような意味) である。

以前に、フランスの大統領が婚外に子供がいることをあっさり認めた、日本では大変な問題になるのにフランスは違う、というような調子の報道があったことを記憶していた。著者は、1974年12月18日、父親が58歳 (大統領になる6年前) の時に « un des plus belles villes de France » である Avignonで、アン・パンジョ (Anne Pingeot) との間に生まれている。現在30歳。ミッテランは10年後にマザリンを認知、さらに10年後に彼女の存在を公表。その2年後の1996年に彼は亡くなっている。

Paris-Match にスクープされ、ミッテランの口から自分が癌に冒されているということと同時に公表されるまでは、彼女の存在は国家によって抹殺されていた。ただ、身元は明らかにしてはいないが、公の場に彼女を引っ張り出したりしている。その中での父親との ambivalent な関係、母親の苦しみ、自分の存在をはっきりと言えない苦悩 (学校で自分の父親は大統領だと言って、先生から精神を病んでいるのではないかと言われたりしている)、父親が大統領になった時にもみんなと一緒に祝えないなどの彼女の置かれた状況から考えられる日常と心の動きが描かれている。最後は、自分の妊娠の喜びと死産の悲しみに触れられている。この本自体が、これから来るだろう自分の子供に呼びかけるような形をとっている。これらすべてを乗り越えてこれからが新しい自分の人生だ、というところで終わっている。

読んでみて、ミッテランが以外に頻繁にこの家族とともに生活していたことに驚いた。深い愛情を持っていたが政治家としての成功を考えての判断だったのだろう (彼が公表した時期は、政治的ダメージがない時だったと著者は書いている)。また、ミッテランの私生活を垣間見ることもできた。彼は彼女の家にいる時、ベッドに横になってよく本を読み、アメリカのテレビ番組 (Dallas など) を一緒に見ていたようだし、公園を一緒に散歩した時に子供のお尻を蹴飛ばすような仕草をしたり、茶目っ気もあったようだ。想像を超える生活を強いられた中での親に対する ambivalence は相当なものであったのだろうが、やはり娘の父親に対する深い愛情に溢れているように感じた。その意味では、父親に対する鎮魂の書であるのかもしれない。

影の生活をしていた前半部分を読んだ後に、彼女のインタビューを聞いてみたが、才気に溢れる快活な声を聞いてなぜか救われた気持ちになった。彼女が考えているように、これからが本当の人生だろう。

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ラ・トゥール展にて

2005-05-07 23:10:48 | 展覧会

昨日あたりから、外を普通に歩いても鼻も眼も全く感じなくなった。花粉症からやっと解放 (!) されたようだ。この機会に、以前に (20 mars 2005) 見に行く予定にしていたジョルジュ・ド・ラ・トゥール (Georges de La Tour) の展覧会に上野まで出かけた。

会場に入ると始まったばかりという講演会があることを知る。塩川徹也氏による「見えないものを描く: 17世紀フランス思想とジョルジュ・ド・ラ・トゥールの作品世界」と題するお話。いくつか参考になる点があった。

まず、ジョルジュ・ド・ラ・トゥール (1593-1652) とパスカル (1623-1662) の関係である。ミシェル・セールという人の "La Tour traduit Pascal" (ラ・トゥールはパスカルを翻訳する) という論文から説き起こしていた。すべて理解したとは言いがたいが、これから注意して見ていきたいと思う。途中、"Paris vaut bien une messe" の アンリ4世 (Henri IV) の名前などが出てきて、当時の背景が少しだけ開けた感じ。

もうひとつ面白いと思ったのは、以前に出かけた2つの展覧会 (17 avril 200524 avril 2005) で感じたことと関係がある。クールベの展覧会で、原物よりは写真集の方が気持ちよく見られたのはなぜかと考えていて、その後に見たフランス絵画展ではそういうことがなかったので、絵を見たときの自分の体調のせいにしていた。しかし、ことはそれほど単純ではないのかもしれないと今日思った。

講演会の資料の中に、パスカルの「パンセ」から以下の引用があり、さらに塩川氏が註を加えている。

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「絵とはなんと空しいものだろう。原物には感心しないのに、それを写し取り、似ているといって感心されるのだから。」

 註:模倣すなわち再現は、伝統的に造形芸術の本質と考えられていた。それが、「原物」の与える効果を逆転させる力を秘めていることは、すでにアリストテレスが指摘している。「わたしたちは、もっとも下等な動物や人間の死体の形状のように、その実物を見るのは苦痛であっても、それをきわめて正確に描いた絵であれば、これを見るのを喜ぶからである」(「詩学」第四章)。
***************************************

ということは、コピーを好むというのは、それほど不思議なことではなかったのかもしれない。今日いろいろな作品(といっても期待したほど多くはなかった。むしろ、贋作が目に付いた。)を見ても、感動するというような作品はなかったように思う。すでに画集で見ていて自分の中にイメージが出来上がっていて、それを覆すような、上回るような驚きは得られなかった。強いてあげるとすれば、私の画集では小さな白黒写真でしか見られなかった 「書物のあるマグダラのマリア」 という作品が印象に残った。全体としてはほとんど動きがないのだが、よく見ると唇の僅かな動きと小鼻の緊張が感情の昂ぶりを確かに表現していた。それと"Sainte Jean-Baptiste dans le désert" (「荒野の巡礼者聖ヨハネ」) にも見られた色使いが気に入った。

見終わった後、カフェでゆっくりする。それから会場の方を遠くから眺めていると、なかなかよい景色であった。展覧会を知らせる案内に使われている "Le Tricheur" (「ダイヤのエースを持ついかさま師」) の絵が、後ろの芝生やロダンの "La Porte de l'Enfer" (「地獄門」)などと、やや傾きかけた穏やかな陽の光の中に響き合っているように見えた。会場の中では得られなかった感動であった。コピーが充分に私を楽しませてくれていることを実感。ラ・トゥールとの出会いからを振り返ってみると、一番惹かれたのは東京都美術館で初めて見た展覧会のポスターにあった 「蚤をとる女」 "La Femme à la puce" (ここで取り上げてある絵) であったということは、なんと皮肉なことだろう。

ジョルジュ・ド・ラ・トゥール (20 mars 2005)

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休みを求めるわけ

2005-05-06 20:46:05 | Weblog

連休が始まる前に、このところ休みを求める気持ちを意識するようになったことに触れた (28 avril 2005)。長い休みを取り、今日仕事に行ってみて、何となくその意味がわかってきた。

仕事のことであれば問題ないのだが、それ以外のことに頭を巡らそうとするとウィークデイでは時間的・精神的な余裕が持てないのだ。まとまった休みであれば、時間や空間を超えて考えを羽ばたかせることができることに気づいた。頭の切り替えがうまくいかなくなってきたこともあるだろう。しかしそれ以上に、別の世界に遊びたいという願望が表に出てきたことが大きいのかもしれない。そういう時に、フランス語やフランス的なものが忍び寄ってきたとすれば、むしろ歓迎すべきだろう。

想像の世界で自由に飛び回れる時間を持ちたいという気持ちがウィークエンドを待ち遠しくさせていたのだ。

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Ana Vidovic - クロアチア

2005-05-04 20:48:40 | 映画・イメージ

5月2日の衛星放送だったか、アナ・ヴィドヴィッチ (Ana Vidovic) というギタリストの演奏会の最後の部分に触れることができた。初めて聞く演奏家だが、白のドレスに身を包み、ギターを膝に抱えて演奏するその姿の美しさに目を引かれた。それから、演奏会ということもあるのだろうが、若い女性のおっとりとした身のこなしもよかった。調べてみると、今はアメリカを拠点にしているようだが、クロアチアのザグレブ出身で若くして才能を発揮し、将来を嘱望されている。早速仕入れたCDを聞きながら、この休みを思い返している。

クロアチアといえば、4年ほど前に仕事を通じての友人がいるリエカ Rijeka (川崎市の姉妹都市でもある) を訪れ歓待されたことがあり、懐かしさもこみあげてくる。アドリア海に面したこの町は日本では余り知られていないが、タイムスリップしたような建物や街並み、歴史を刻んだ教会などがあり、アドリア海の抜けるような青とともに強い印象を残した。また、時の流れを感じることができるほどにゆっくりと時が刻まれているのには感動した。友人と一緒に働いている若い女性も本当におっとりしていて、どうしてそんなに急ぐの?というのが口癖であった。そういう環境からアナの物腰も出てきているのだろうか。彼女の演奏を聞いていると心が和んでくる。息の長い演奏家に成長してほしいものである。

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