先週から、昼休みには L'homme qui marche になっている。昨日は夏を思わせる暑さの中、隣の駅の本屋まで歩く。画家三岸節子(1905-1999)についての澤地久枝の ドキュメンタリー「好太郎と節子 宿縁のふたり」 が目に入る。おそらく、先日の新日曜美術館でその経歴を知り、非常に興味を引かれたためだろう。今年は生誕 100年。
節子の夫は画家の三岸好太郎(札幌出身)。31歳で亡くなったので、結婚生活は僅か10年で終わる。それから65年生きたことになる。40代中頃には日本を代表する女流画家になっていたらしい。丁度その頃(1954年)息子黄太郎が留学していたパリを訪れている。彼女のどこかに何かを感じたのだろう。1968年、63歳の時にひたすら絵を描きたいという一心で日本を脱出、フランスへ向かう。言葉が通じない孤独の中、作品だけによって償われるという求道的な生活を続ける。途中迷ったこともあったようだが、結局20年もの間、緊張感の中若い時と同じように一生懸命に描いたそうだ。日本に帰れば得られるであろう老後の栄誉、お金、平和な生活が何だ、と思いながら。今、澤地の本を読み始め、結婚に至るところまで来ているが、その印象では子供の時からの反骨の精神が最後まではっきりと宿っていたことを感じる。それにしても、その精神力には感動させられる。
テレビで息子黄太郎は母親を次のように評していた。「向こう見ずで、やりたいことをやる人」と。またその時の私のメモには以下のような書き込みがあった。
何のために描くのか?神を見るためか?「人間を完成させるために描くのです。」
高齢 - Activite (IV) - リズ・スミス
高齢 - Activite (III)
高齢 - Activite (II)
高齢 - Activite (I)