フランスに揺られながら DANS LE HAMAC DE FRANCE

フランス的なものから呼び覚まされることを観察するブログ

J'OBSERVE DONC JE SUIS

薔薇の名前

2005-05-31 21:08:22 | 映画・イメージ

先日読んだジャック・ル・ゴフのインタビューの中で、中世の時代で目を見張るものとして、大聖堂、城壁、僧院(の回廊)の3つをあげていた (27 mai 2005)。図書館 (la bibliothèque) は入らないのですか、との問いに次のように答えていた。そう聞くのはウンベルト・エーコ (Umberto Eco) の 「薔薇の名前«Le nom de la rose» のことを考えているからでしょう。エーコは優れた中世研究家 (médiéviste) だが、彼の中世はその模倣でもないし、夢の世界でもない (ni imité ni fantasmagorique) と。エーコの中世は少し違うというニュアンスだろうか。

フランス語訳でも読んでみようかと一瞬思ったが、長そうなのでまず映画の方を見てみた。実はこの映画が出た時のことは覚えているが、その時は全く見る気にはならなかった。

舞台は北イタリアの僧院(雪がなかなかいい効果を出していた)。時期から言うと、教皇庁がアヴィニヨンにあった時代で、Pope John ヨハネ教皇の名前が出ていたので、14世紀前半だろう。キリスト教の本が揃っているという最大の bibliothèque と本が重要な舞台装置である。それから異端審問 l'Inquisition、魔女狩り、不寛容、拷問、火あぶり、などなど、ゴフ先生から聞いていた中世を特徴付けるもので溢れていた。アリストテレスの「詩学」第二部の中に、「笑いは人間だけのもの」というような記述があるらしいのだが、イエスも笑わなかったし、神に仕えるものは笑ってはいけない、というのが正統。そういう本は危険極まりないもので、修道僧は笑うだけで異端になる時代でもあったのがわかる。

主人公の元異端審問官フランシスコ会の"バスカヴィルのウイリアム"とその弟子"アドソ"がベネディクト会の僧院での会議に召ばれる。すでに僧一人が死んでいるのだが、その後殺人事件が続発、それが異端をめぐるものであることに行き着く。本筋の彼らの推理は映画を見ていただきたい。これに絡むように横糸として描かれているのでは、と思われるものがあった。

映画は、年老いたアドソが当時を振り返る形で語られる(初めてアメリカ映画に触れた時に感じた音の美しさ、当時は sexy とさえ感じた、その記憶が残っているのだろうか。以前ほどではないが、感じるものがある。)。彼が、偶然に若い貧しい(底辺に生きる)娘と触れあう、その記憶は時間が経っても消えない、次第に心の底から湧き出る彼女をいとおしむ気持ち。彼女はあるきっかけで魔女にされてしまうが、誰も彼女を救うことができない。ウイリアムは若者の心に彼女に対する愛が生まれていることを読んでいる。一方アドソは、本の中に生きていて哀れみの心など持ち合わせていないよう見える師の態度に苛立ちを覚える。そんな中で女性について、愛についての会話がある。

-----------------------------

アドソ: これまでに愛したことは?

ウイリアム: 何度も。アリストテレス、トマス、、、

アドソ: そうじゃなくて。彼女を救いたい。

ウイリアム: 愛は修道士にとって問題。トマス・アクイナスが言っている愛は神への愛。女性への愛ではない。女は男の魂を奪う。女は死よりも苦い。しかし神が創ったのなら女性にも何らかの徳があるはず。

愛がなければ人生は安寧。安全で、静かで、、、そして(しかし)退屈。
(How peaceful life would be without love! How safe, how tranquil and , , , how dull.)

-----------------------------

火炙りの刑にあった彼女は助かり、アドソは再び会うことになるが、逡巡しながらも別れを選び、師に付いて行く。そしてそのことを悔いてはいない、師から多くのものを学ぶことができたのだ、と語る老いたアドソの声。人生を振り返り、折り合いをつけているような声。

ル・ゴフに中世の扉を少しだけ開いて(initiation をして)もらった後だったので、この映画の根っこを捕まえているのだという感触を持つことができ、興味が尽きることなく最後まで見ることができた。エーコの中世に浸ることができたようだ。

******************************************

jeudi 2 juin 2005 20:56:38

follow-up です。

この映画のDVDの特典の中に、ドイツ語版のドキュメンタリーがあり、若き日のル・ゴフさんが時代考証について語っていた。感激。

真実味を出そうとしたら、細部 (détail) に注意して再現しなければならない。水差し、薬瓶、すり鉢、薬草、、、、

監督の Jean-Jacques Annaud は見慣れた中世ではない中世を見せることによって真実味を出したい、というようなことを言っていた。

コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 雨の日 | トップ | 5月の記事 »
最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
TBありがとうございます (華やぐ時間)
2005-06-04 00:47:56
本のほうも良いとの噂ですが この映画は良かったなぁと思います

中世の様子など 想像することが出来ませんので 映像で見せてくれる映画は楽しめました



”愛がなければ人生は安寧。安全で、静かで、、、そして(しかし)退屈。”

わたしも このセリフには感銘を受けました

返信する
いつもコメントありがとうございます。 (paul-ailleurs)
2005-06-05 20:10:44
本か映画かのお話ですが、古代に関する歴史家がこの本を52回読んだという記事に刺激を受け、今日、本を買いに行ってしましました。この歴史家の話はいずれ書いてみたいと思っています。またよろしくお願いいたします。



返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

映画・イメージ」カテゴリの最新記事