フランスに揺られながら DANS LE HAMAC DE FRANCE

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マザリン・パンジョ - bouche cousue - ミッテラン

2005-05-08 19:26:13 | 海外の作家

この休みには、これまで読めなかった本でもじっくり読もうかと思っていた。出かける直前に、amazon.fr から届いたばかりの1冊を読み始めると、どんどん自分の中に入ってくるので、予定してはいなかったが、この本に付き合うことにした。Le Point の紹介で知ったフランソワ・ミッテラン (François Mitterand) の娘マザリン・パンジョ (Mazarine Pingeot) の自伝的な最新本 « Bouche cousue » (Juillard) (「沈黙を守って」というような意味) である。

以前に、フランスの大統領が婚外に子供がいることをあっさり認めた、日本では大変な問題になるのにフランスは違う、というような調子の報道があったことを記憶していた。著者は、1974年12月18日、父親が58歳 (大統領になる6年前) の時に « un des plus belles villes de France » である Avignonで、アン・パンジョ (Anne Pingeot) との間に生まれている。現在30歳。ミッテランは10年後にマザリンを認知、さらに10年後に彼女の存在を公表。その2年後の1996年に彼は亡くなっている。

Paris-Match にスクープされ、ミッテランの口から自分が癌に冒されているということと同時に公表されるまでは、彼女の存在は国家によって抹殺されていた。ただ、身元は明らかにしてはいないが、公の場に彼女を引っ張り出したりしている。その中での父親との ambivalent な関係、母親の苦しみ、自分の存在をはっきりと言えない苦悩 (学校で自分の父親は大統領だと言って、先生から精神を病んでいるのではないかと言われたりしている)、父親が大統領になった時にもみんなと一緒に祝えないなどの彼女の置かれた状況から考えられる日常と心の動きが描かれている。最後は、自分の妊娠の喜びと死産の悲しみに触れられている。この本自体が、これから来るだろう自分の子供に呼びかけるような形をとっている。これらすべてを乗り越えてこれからが新しい自分の人生だ、というところで終わっている。

読んでみて、ミッテランが以外に頻繁にこの家族とともに生活していたことに驚いた。深い愛情を持っていたが政治家としての成功を考えての判断だったのだろう (彼が公表した時期は、政治的ダメージがない時だったと著者は書いている)。また、ミッテランの私生活を垣間見ることもできた。彼は彼女の家にいる時、ベッドに横になってよく本を読み、アメリカのテレビ番組 (Dallas など) を一緒に見ていたようだし、公園を一緒に散歩した時に子供のお尻を蹴飛ばすような仕草をしたり、茶目っ気もあったようだ。想像を超える生活を強いられた中での親に対する ambivalence は相当なものであったのだろうが、やはり娘の父親に対する深い愛情に溢れているように感じた。その意味では、父親に対する鎮魂の書であるのかもしれない。

影の生活をしていた前半部分を読んだ後に、彼女のインタビューを聞いてみたが、才気に溢れる快活な声を聞いてなぜか救われた気持ちになった。彼女が考えているように、これからが本当の人生だろう。

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