パパと呼ばないで

再婚した時、パパと呼ばないでくれと懇願した夫(←おとうさんと呼んで欲しい)を、娘(27)「おやじ」と呼ぶ。良かったのか?

意識改革

2023年03月10日 | Weblog
3月9日(金)晴れ


老母から電話がくる。
「CさんとAさんが、猫のお礼にいらしたのよ。」
猫ばばあ3傑のうちの2傑だ。
老母「大きなお菓子の箱と、大きな苺と、焼き芋が3本よ!なぜか苺と焼き芋はAさんかららしいの。」
猫ばばあAとCは普段から仲良しで、立ち話をしてるのを良く見かける。
で、今回のCさんちの猫ちゃんが車に轢かれて死んじゃって、それをうちの母が道路の真ん中から脇の植え込みに連れてきてあげて、なおかつCさんちに行って・・・ということを、Aさんに話したのだろう。
それで、何かお礼をしようと思っているのよと。
Cさんは我が母よりさらに年上と思われるが、Aさんはまだ70代前半と思われ、早朝のお掃除の仕事をされている。
じゃあ、あたしが薩摩蒸気屋のお菓子詰め合わせを買ってきてあげるわ。
という事になったのではないかとワタクシが予測すると、老母が「まあ、Aさんが頼まれてお菓子を買ってきたのはわかるけど、なんでAさんまで苺や焼き芋をくださるのよ?」
かあさん、わたしゃAさんの気持ちが手に取るようにわかるよ。
猫好きな人がこの話を聞いて感動しないわけがない。
ましてや、お二人の家の場所が悪すぎるとはいえ(交通量の多い車道に面している)彼女達の意識は「地域猫のお世話をしている」(←家で飼っているわけではないと)
よって、あなたの猫はあたしの猫。あたしもお礼をしたいわ!!!
となったのよ。
そして、この、「口だけ猫好き」なワタクシも、「Aさんっ!その苺代はワタクシが出しましょう。ワタクシも感動いたしましたので。」と言いたいくらいだよ。
もらっときなさいもらっときなさいと言いつつ、蒸気屋のかすたどんやら銅鑼どん、大粒苺4個に焼き芋までおすそ分けいただくワタクシ。
ドンキの焼き芋って美味しいのねえ〜初めて食べたわ。
今度ドンキ行ったら買おう。

娘としばしラインで猫の飼い方について語らう。
初めは、野良猫が轢かれたという前提での話に始まり、あんな細い道でスピード出すなとか、轢いたらどうにかしろやと悪態をつく。
次にその轢かれた猫ちゃんは、小学校前のCさんが半年前に公民館前から連れてきたと知って・・・
娘「世の中には、猫を飼いたくても高齢だから責任持てないと諦める層もいるのに・・・」
そして、結局のところ、飼い方の問題だよねという話になる。

ここでワタクシは少し前の事を思う。
ワタクシが子供の頃、いや、まあまあ最近まで、犬は外飼いが当たり前だった。
そして、そうでない愛玩用小型犬は座敷犬と呼ばれていた。
そして、ワタクシは基本的にはこの種類の犬が好きではなかった。
チワワとか、マルチーズとか、、、
そういうの以外の、中型犬から大型犬は外で、鎖に繋がれるか檻に入れられて飼われていた。
ワンワン吠えられて怖かったり、犬の存在で家を知ったりしたものだ「あの大きな白い犬がいるお宅ね」と。
そして、猫はいつの時代も家と外を自由に行き来するものという認識だった。
初めて飼った黒猫チビは、野良猫かと見まごうほど真っ白に土埃や灰(←桜島の降灰)をかぶって帰ってきたり。
よそのお宅の門柱に寝っ転がっていたり。
ワタクシの出勤時には途中まで送ってくれて、夜、帰宅すると「にゃ〜」とどこからともなく現れて一緒に帰ったりしていた。
猫とはそういうものだと思っていた。
だから、東京のマンションに住んで飼い始めた黒猫イチは、ずっとマンションの中しか知らないんだと少し可哀想な気持ちがしたのを覚えている。
(まあ、脱走しては色々な事件を巻き起こしてくれたが・・・)
そして今、鹿児島に帰ってきて、外飼いの犬はほとんどいない事に気付く。
犬はいつからこういう事になったのだろう。
たまに、台風の時期、「犬を玄関に入れてあげて!」というツィートが回ってくるところを見れば、もう少し田舎の方ではまだ外飼いの犬もいるのだろう。
が、パーセンテージでは室内飼いが圧倒的に高いだろうし、さらにはもう野良犬という存在は皆無に近いのではないか。
しかし、猫の室内飼いと野良猫の減少はまだまだな気がする。
ワタクシは、今、完全に猫の室内飼いを認めているし、推奨する。
でも、岩合さんの「野良猫に優しい街は良い街」みたいな発言や、大好きな漫画「夜廻り猫」の野良猫達の叫びには心が痛い。
それは、ワタクシの好きな原風景に、屋根の上で寝ている猫とか、高い塀の上から見下ろしてくる猫とかがあるからだ。
頭では理解しているのだ。
猫も完全室内飼いをすべきと。
そうする事で、不幸な交通事故で落とす命も、野良猫がどんどん増える事もなくなっていくのだ。
しかし、そういう流れになっているのを知らない猫好きもまだまだいるのだ。
そしてそれは高齢者に多いから、彼らが死んでしまった後に、目を覆いたくなるような状態が発覚したりもする(これは猫だけに限らず、犬の多頭崩壊も然り)
猫ばばあ3傑も、高齢だ。
そして、少しずつ意識改革(避妊去勢等)はされてきている。
でもまだ完全室内飼いという意識は無いし、そもそも地域猫=自分ちの家族では無いという、娘の言葉を借りれば「愛護精神的」に猫の世話をしている。
だから、交通事故に遭っても、その原因が間接的に自分であるとは思わない。
わざわざどこかから連れてきているのに・・・
そして少ない年金で猫の餌を買い、ささみを茹で、寝場所を作ってあげ、、、
そして、ご近所トラブルはもれなく付いてきている。

書いても書いても、思いが募って、まとまらない。
正解はわかっているのだ。
犬も猫も室内飼いで、家族と同様の存在であると。
でも、今いる野良猫達をどうするか。
いや、これも正解はわかっている。
地域猫として避妊去勢手術をさせて、一代限りの命を皆で大切にする→そして野良猫はいなくなる
しかし、上手くいっているようには思えない。
心の弱いワタクシは、こういう活動をする勇気さえ持っていない。
頭の中でぐるぐる考えるだけ。

長くなりました。
またいつかおんなじ様な事を嘆くと思う。
余談ですが、義理堅い老母はAさんとCさんにお茶のお返しを買いました・・・
コメント (2)
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