パパと呼ばないで

再婚した時、パパと呼ばないでくれと懇願した夫(←おとうさんと呼んで欲しい)を、娘(24)「おやじ」と呼ぶ。良かったのか?

ここだけの話

2016年01月14日 | おもいで
1月14日(木)晴れ

同窓会は非常に盛り上がった。
またこれを次回に繋げるために、各クラスにお世話役を決めたりした。
我がクラスは、「ずっと鹿児島、今後も鹿児島、出る予定一切なし!」と言い切るK君にお願いする。

数日経って・・・
同じクラスだったY君からラインの承認申請がくる。
その時、一瞬「ん?なぜY君はワタクシの携帯ナンバーを知ってるんだ?」とは思ったが、目くじら立てるのも大人げないし、
承認しないのも変だしってことで承認。
次に、Tさんからもライン申請がくる。
またしても「ん?携帯ナンバーの交換もしてないのになぜ???」とは思ったが、目くじら立てるのも大人げないし・・・承認。
で、このTさんがクラスのグループラインを作ったから!とそれにも招待。
てっきり、今後の同窓会等の連絡網用だと思い参加。
おそらく、今回の同窓会の幹事クラスには参加者名簿が回ってたとのことだったから、ワタクシの携帯ナンバー流出はここからだろうと思い、
よって、クラスのグループラインには、同窓会に出席していたメンバーは全員招待されるのだろうと考えたし、
そこから、同窓会に欠席していた人達にも広げて行くんだろうと思っていた。

が・・・Tさん、Sさん、Y君、N吉君、ワタクシで、スタートし・・・
連絡網用と思っていたが、その割には広がっていかない。
ワタクシの、数少ない友人かこちゃんはガラケーゆえに、「何か連絡来たら教えてね~」と、ワタクシ頼み。
そもそも、連絡網用ならお世話役のK君を入れるべきではないのか?
ワタクシの電話番号がわかってるくらいなんだから、K君の番号だってわかってるんでしょ?
連絡して、メンバー申請しなよ!と心で思うn。
しかし、日が経つにつれて、このラインはどうやら連絡網用ではないらしいと思い始める。
酔っぱらったY君のつぶやきのようなラインにTさんが反応してあげ、延々と不毛なやり取りが続く。
ガツンとこのくだらないやりとりをやめさせるべくワタクシがひと言辛辣なコメント入れたいっ!という気持ちをぐっと抑える。
娘と居酒屋で呑んでいるときもじゃんじゃんじゃんじゃんラインの着信。
未読33通となった時にはさすがに呆れた。
毎晩のように、Y君を中心にした不毛なおしゃべりが続く。
今夜の話題は「スマップ解散?にショックを受けたSさんを慰める皆さん」
くっくっくだらんっっっ!!!
そういうことは、お友達と話せ。日記に書け。わざわざグループラインで語るな!

ワタクシ、中学時代、自分は今で言う「中二病」ってやつだったのかなあと思った。
そして、この長い年月が、ワタクシを大人にしたのね、と思った。
自分の好きな人、気に入った人としか交流を持たず、わかり合えそうにない人とは接点を持つことすらなく、
気にも留めず、生きていたあの頃。
もう少し、まわりを見まわし、もう少し優しい気持ちを持っていたら、何か違うものを得たり、何かが見えたりしたのかもしれなかったなあと反省もした。
同窓会は、大人になった自分を自覚し、少し自分を褒めたり、少し甘酸っぱい気持ちにさせたりした。

しかし
前言撤回。
わたしゃ、大人になってないわ。
友達は、わかり合える人だけでいいわ。
中学時代に仲良しじゃない人とは、大人になってからも仲良しにはなれないってことだわ。
ライングループの話をした時、冷静な目と辛辣な意見で定評のあるかこちゃんが
「Tさんは、昔っから混ぜっ返す人だったからね、気をつけなさいよ。」
さすがだわ、かこちゃん!いろいろ混ぜっ返してるわ、彼女。
関わらないのが一番!と、今、スルーしてるけど、グループを脱退するのもまた大人げない気もするし、
でも毎晩続くラインの着信に苛立ちは募る一方。
まあ、これが長続きするとは思えないから、子どものおもちゃと同じでひと月もすると飽きてくれるだろうとは思うけどねえ。

今日の一枚は、年越しの晩、兄達が買ってきてくれた有名菓子店のケーキ。
こんなに綺麗なフルーツがてんこ盛りのケーキが並ぶのに、迷って迷ってチョコをチョイスするワタクシ。
ほらね、人間って30年やそこらで趣味趣向は簡単には変わらないってことよ。
いいの。ワタクシはワタクシの好きなもの、好きな人、好きな事だけに囲まれて生きていくわ、これからも。

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男の子女の子

2016年01月10日 | おもいで
1月10日(日)晴れ

同窓会の話。
小学校時のイメージ。丸々と太っていて穏やかで頭良くておとなしい男の子H君。
彼が言う。「nさんで思いだすのは小2の時のことで、僕が学校にゴマダラカミキリムシを持って行ったら
クワガタ持ってた君が「交換して!」って言うんだ。
僕はクワガタが欲しかったからすごくうれしかったんだけど、でも心の中で「いいのかなあカミキリムシで」って思ったのをすごく憶えてる。」
・・・全く憶えてません。つか、ワタクシ、学校にクワガタなんか持って行くような女子だったのか・・・
そんな虫愛でる姫nに、H君話を続けます。
「中学3年の頃、君とH坂さん仲良しで一緒に帰ってただろ?
H坂さんの家は反対方向なのに、どうして僕のうちの前を通って帰ってたんだい?」
記憶をたどります・・・が、その前に、H君のおうちを知りません。どこ?
だいたい中3の女子ですからね、深い考えなんてありませんよ。
H坂すずちゃんとは塾が同じで、お家が遠いすずちゃんは学校から直接我が家に来ておやつ食べてバスのって塾行ってたんだった!
で、一緒に校門でたら通学路なんて無視無視!で「今日はどこ通って帰る?きゃぴきゃぴ!」ってなもんです。
そんなことを思い出してたら、自分の望む言葉が一個も出て来ないHくんがしびれを切らして打ち明けます。
「僕、H坂さんのことが好きだったんだよね~」
・・・全くしらんかった・・・でも、悪いけど君を喜ばせるようなことは何も言えないよ。そもそも君の家の場所すら知らなかったんだから。
すずちゃんが学年一カッコいい転校生アラキ君が好きだったってことを教えてあげないだけ大人になったものだわワタクシ。

壁の花と化して、だらだら呑み続けている4人の女子達の前には次々と別の男子が挨拶にみえます。
あ、君は一年の時同じクラスになった南君(仮名)だね。
しばらく思い出話に花を咲かせた後、南君が言います。
「nさんってYさんと仲良しだったよね!」
出たーーーっ!一年の時にワタクシと仲良しだったY田まみちゃんはクラスの男子全員が好きだった人気女子。
ちっ!めんどくせーなーこのパターン!と思いながら、先回りします。
「南君、まみちゃんのこと好きだったよねえ~」
南君「授業中にちらっとYさんのほう見て目が合うと、彼女がニコッと笑うんだよ。この子、オレのこと好きなんじゃないか?って思ったりして」
n「大丈夫!君だけじゃないから!まみちゃんはみんなに優しかったから。」

ったく!どいつもこいつも「○○ちゃんが好きだったんだ!」って。
そうこうしてたら我が悪友Y姉ちゃんが「君のことが好きだったんだ!」という男子にデュエットに誘われ「ロンリーチャップリン」なんぞを歌いに行きました。
写真係りnは、肩に腕まわす男子の顔を半分切って、Y姉ちゃんを激写します。

そもそも、そんな昔の淡い恋心を、こんなところで告白して、どうする?何か期待してるのか?
その点、女子が「あたし○○君のことが好きだったのよ」と言ってる場面には遭遇しない。
たまたまワタクシのまわりの女子がそういうタイプっていうだけ?
仲良し女子の、当時好きだった男の子の名前、みんな知ってるけど、誰もそれを口にしない。
その男子が来てないということもある。
そうだ、来ていたら「好きだったんだよねぇ君のこと」くらいY姉あたりは言うかもしれぬ。
でも、あたしは言わないなあ。
学生時代にありがちな「高嶺の花」狙いだったことを十分承知しているからか。
その点、男子って身の程知らずっつーか自己評価が高いっつーか当たってこてんぱんに粉々に砕けろっつーか。

をっ!N田君だわ。
あまりの変わってなさに大笑いしながら隣のY姉に「ほら!N田君だよ!」
Y姉がワタクシの耳元で「女子のS中、男子のN田。嫌われ者のツートップだったじゃん!」と吐き捨てるように言います。
大人げないわね、あなたったら。
大人になった私は、男子から相手にされていないN田君とおしゃべりしてあげます(結局上から?)
しばらくしゃべってて・・・N田君が言います。
「それにしても君の呑みっぷりはいいねえ~」

Y田君が言う。
「俺は会社を二回もクビになってさぁ~もう、普通に結婚したり子ども持ったりする生活は出来ないと思ってた。
でも、今、なんとか家庭を持って生活してるんだよな~」
するとそれを聞いた南君も「ををっ!オレも。働いてた病院が突然なくなっちゃってさぁ路頭に迷ったよ。
でもやっと最近、なんとか普通の暮らしが出来るようになったんだ、」
と言い、やたらみんなと写真をとりまくって「子どもにみせるんだ!」と言っていた。
Tさんは、会ったとたんに「あたしも2年前まで東京にいたの。でも夫から逃げて今離婚調停中。
子どもが今、あたし達が通ってた中学校に通ってるのよ。懐かしいよぉ~校舎とか。
でも、ちょっと子どもが馴染めなくて今不登校なんだ。」
こんな感じで、過去や現在の悩みを打ち明けられる。
これぞ同級生ならではなのかなあとちょっとしみじみする。
カッコつけないでいられるのはなぜかしらねえ。
しょせんカッコつけても「ランドセル」背負ってた頃のことを知られているんじゃカッコのつけようないじゃんっていうことか。
そうそう、Y田君から言われました。「nさんって、なんかきちんとしてて、きちんとランドセル背負って、きちんとしてたよね。」
褒められてるのかしら。
Y姉に聞かれなくて良かったわ。もし聞こえてたら大喜びで「そうそう!この人、前髪をカッチン止めでピシっと留めてて・・・」
きちんとしてたらしい小学生のワタクシに言ってあげたい。
大丈夫!あなた、大人になったらだいぶルーズになれるから。
ユルく楽しい51歳を過ごしているから、安心して大人になりなさいって。

今日の一枚は、鹿児島中央駅前に建つ『若き薩摩の群像』
今話題の「五代友厚氏」もいるのだ。
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同窓会

2016年01月08日 | おもいで
1月8日(金)晴れ

本日早朝、我が夫が帰省。
年末遅れを取った彼は航空チケットを入手できなかったのだ。
ゆえに、今日から11日までの帰省とあいなり、妻とはすれ違い帰省となったのであった。
行ってらっしゃーい。楽しい旅を!

さて、今回の帰省のメインイベントは、中学校の同窓会。
35年ぶりの、学年全体の同窓会である。
ワタクシは、高校の二年で地方都市へ転校したということもあり、地元(小中学校)の友人とは疎遠になっていた。
よって交流のあるのは、年に二度ほど福山雅治の追っかけで上京するもんちゃんと、かこちゃん、むっちゃんの仲良し3人組と
高校も同じだったY姉ちゃんとAちゃんの2人、合わせて5人。
もんちゃんのクラスが幹事になっての同窓会であるからワタクシにも声がかかったようなもので、それ以外だったら行方不明者リストに載っていたであろう。
あまり大々的には宣伝せず、口コミで広めて、集まっただけで良しとしようというスタンスで始まったらしいが
このワタクシですら5人ほどに声かけたくらいであるから、ねずみ講のごとく広がっていき、とうとう居酒屋レベルでは入らないということになり
急きょ大きなホテルへ会場変更することになった。
最終的には100人近くの出席になったから、口コミ恐るべしである。
とはいえ、我が母校の中学校は今でこそ二つに分かれたが、当時は一番のマンモス校で一学年400人超えしていた。
そう考えると4分の1の出席率をどう見るか。
いや、やはり35年ぶりにしてはよく集まったものだと思う。

暮れも押し詰まった29日。
髪を巻く。
同窓会のために髪を切ったら広瀬すずになってしまい(・・・)どうしたものかいろいろ試行錯誤の結果、
結局くるくる巻いたほうがまだ華やかさが出ることが判明。
50を過ぎたら、広瀬すずよりサザエさんのほうが落ち着くのだ。
余談だが、「広瀬すずになっちゃってさぁ~」というと皆さん一斉にぽかんとされる。
「広瀬すずって誰だっけ?」
イヤ、ワタクシの顔から広瀬すずが結びつかないということなのでしょうが、ワタクシの中で「広瀬すずちゃん」は若手女優でイチオシだったので
「まだまだ頑張れってことだよ、すずちゃん!」と叱咤激励しておきます(余計なお世話)
ワンピースを着て、カーディガンを羽織り、娘に借りたコートを着て、ブーツを履き、いざ。
35年前にタイムトリッ~プ。

高校友でもあるY姉ちゃんやAちゃん、A元さんらとつるんでいるも、中三の時で座席が決められており不安ながら皆バラバラのテーブルへ。
仲良しのかこちゃんはまだ来ない。
テーブルを見るに・・・わからん・・・10人ほどの丸テーブルに5人ほど座っているが・・・わからん。
恐る恐る近づき「こんばんは~~~」
「わーーーっ!nさん?」
笑う顔を見るとあっという間に思い出す。SさんにTさんね!
ををっ!私の隣はY君にN君、反対側はK君ね。
35年のブランクなんてあっという間に消え去り、あっちこっちで怒濤のおしゃべりが始まる。
二時間目の休み時間みたい。
司会のF女史(彼女はアナウンサーなのだ)の開会の声もかき消すほどの、大盛り上がりのスタートである。
なんとかF女史の叫びで静粛を取り戻し、開会の挨拶やら乾杯やら恩師の挨拶やらのセレモニーが終わると
今度はテーブルを離れてクラスを超えてのおしゃべり。
ビュッフェ形式なので、中央テーブルに料理を取りに行くのだが、最初に鹿児島名物「キビナゴ刺し」やら「鶏刺し」を取るのは鹿児島を離れた者ゆえか。
その後も鹿児島の一流ホテルならではのお料理が続々と出たらしいのだがおしゃべりが忙しく、ほとんど食べられなかったのは反省点。
だって、お料理を取りに行く途中で誰かと会っては「きゃーーーっ!○ちゃんっっ???」と始まるので食べるヒマなんてありゃしない。
あっという間に二時間半が経ちお開きに。
二次会は3つに分裂したらしく、ワタクシはかこちゃん、Y姉ちゃん、Aちゃん達と天文館(←鹿児島の繁華街。新宿みたいなもんです・・・ウソです)へとタクシーに分乗しながら移動。
50人入るというカラオケボックスで、またも盛り上がるおぢちゃんおばちゃん達。
仕切り屋に人気者、ホステス嬢に壁の花、結局の所、中学時代のキャラクターそのままだわと感慨深い(はい、もちろんワタクシは壁の花グループ)
夜が更けていき、近い再会を約束しながらじわじわと解散していく。
ワタクシは、同じ方向のとくっちょとタクシー相乗りで帰る。
小さかったとくっちょは丸々と太り、頭の毛も薄くなり、でもニコニコ穏やかなのは相変わらず。
調理師専門学校へ行き料理人になったとのことで、もらった名刺には鹿児島一のデパートのレストラン部門の課長さんとある。
さらにかこちゃん情報によると、彼はマンションのオーナーでもあり金持ちらしい。
で、それをふまえて、我が実家の門の前まで送ってもらい「え~っと、私いくら払えばいいかなあ~」
とくっちょ、冗談っぽく「いいよいいよ、オレ、地主だからさ、金持ちなんだ。」
あの、小さくて頼りなげでおとなしかったとくっちょにタクシー代をおごってもらうなんてねえ~
しみじみうれしい(・・え?どういう立ち位置なんだワタクシ)

と、帰省の一大イベントが無事終わり、心地良い酔いと疲れを感じながら51歳に戻るのであった。
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珈琲夜話

2014年12月05日 | おもいで
12月5日(金)晴れ

コーヒーを飲むようなハイカラなうちではなかった。
受験生の頃、母が時々インスタントコーヒーを作ってくれたりした。
お砂糖とミルク(ブライトとか)たっぷりの。
そして無事に京都の女子大生になれた。
キャンパスライフを満喫中の二歳年上の兄と、兄の大学に近い太秦に住むことになる。
ワタクシの通う女子大までは電車を乗り継ぎ乗り継ぎ1時間かかる。
もう少し中間点にする優しさはなかったのか、兄よ。
二人暮らしということもあり、普通の学生マンションより広かった。
よって、兄の友人達のたまり場と化す。
兄は、ええかっこしいなヤツだから、鹿児島から出てきたばかりの妹に「絶対鹿児島弁を出すなよ!」と釘を刺す。
妹はどんどん無口になっていく・・・そして兄の友人達から「Nの妹はコワイ・・・」と言われるようになる。
ある日、兄の友人本田君(本名)がやってきて「バイトしない?」
彼のバイトしてる喫茶店でアルバイトを捜しているらしい。
n「・・・いやぁ~接客業とかは苦手で・・・ムリです・・・」(←一度鹿児島弁を共通語に変換してしゃべっている)
本田君「撮影所の近くだからさぁ~俳優さんとかたくさんくるよ。必殺の三田村邦彦とか。」
n「やるっ!」
即決である。田舎者はミーハーでもあるのだ。
まだサークルとかも決めていない春のことであった。

その喫茶店は、嵐電の帷子ノ辻駅を出たすぐのところの、ショッピングセンターの一郭にあった。
テーブル席が少しと、あとはカウンターだけの小さな喫茶店。
朝八時から夕方七時くらいまで。
メニューはブレンドとアメリカン、紅茶とココアとジュースくらいだった記憶。
食べるものはホットケーキかトースト。チョコレートパフェ。
無愛想な田舎娘nはオーダーを聞き、それをマスターに伝え、間違わずにそれをお客さんに運び、
伝票通りのお代を頂くというシンプルな仕事をこなすだけで一杯一杯だった。
プラス笑顔なんてものは皆無で、ひたすら間違わないことだけを頭において、無愛想に黙々と働いていた。
マスターは、一見怖そうで気難しい感じだったが、オシャレな女子大生達の中での田舎娘が面白かったのか可愛がってくれた。
店じまいした後、常連さんの多かった撮影所にコーヒーの差し入れに連れて行ってくれたり、
おうちで何度かごちそうになったりもした。
マスターには、小学生のお嬢さんがいて、チャコちゃんと呼ばれみんなから可愛がられていた。
おねえちゃんおにいちゃんという感じのアルバイト生達の中で、田舎から出てきた、チビなワタクシのことは友達レベルに思えたようで、結構懐いてくれた。
マスターに頼まれて、チャコちゃんと一緒に四条辺りの映画館に「南極物語」を見にいったことも、この前の健さんの訃報を聞いた時思い出した。
祇園祭も一緒に行ったねえ~
人が多すぎて、ちゃこちゃんを迷子にしたらどうしようという怖さで、祇園祭の記憶は一切ない。
夏には、バイト生と、マスター一家で川に泳ぎに行った。
今思うに、保津峡あたりだったのだろうか?
学校と喫茶店と家を三角に結んだ線上での生活だった。
短大はたった二年で、夏の頃には就活とかで鹿児島に帰省したり、秋に学校に戻ったら試験で、あっという間に冬で・・・
なんだかうやむやな形で、バイトはフェードアウトしてしまった。
これが、ワタクシの心残りというか、若気の至りというか、後悔の念で一杯というか、ずっと気になっていた。
しかし、30年という月日が経ってしまった。

嵐電の帷子ノ辻駅を出ると、あのショッピングセンターはなくなっている。
でも、すぐに娘が「あった!」
オシャレな、でも、ガラス張りという作りは以前と変わらない喫茶店スマート。
ドアを開けると・・・奥のカウンターの中にマスターが!
全くもって30年前と変わらないマスターが!!
当時「オレ、40になったわぁ~」と嘆いてた、あの頃のまんまのマスター。
え!?ってことはもう70!?うそーーーっ!
懐かしさやら恥ずかしさやら色んな感情やらが溢れ出し、思わずカウンターから一番の死角となる席に座る。
娘が「挨拶してきなよ!」
母「ムリっ!30年も前だし、絶対憶えてないだろうし・・・」
娘「え~~~っ!せっかく来たのに!絶対後悔するよ。」
と、このやりとりを小声で30回くらい繰り返す。
そうだよね~絶対後悔する。

勇気を出して・・・
カウンターへ向かい・・・「30年前にコチラでアルバイトさせていただいてた者です。」
マスター「入ってきはった時、何か見覚えあるなあと思ててん。」
と言われたのはマスターの優しさで、憶えておられないことを感じつつ・・・
しばらく当時の話をして、コーヒー豆頂いて帰る。

出口で「観光は?東福寺とか行かはった?」と聞かれた時に
ああ、ホントにマスターはワタクシのこと思い出せなかったんだなあと思った。
だって、バイトしてる時に、そんな丁寧な言い方されたことなかったもの。
「アホっ!」とか「なにしとんねん!」とか「○○せーや!」とかは言われても
「○○行かはった?」だなんて。
たった二年にも満たないバイト生なんて憶えてないのが当たり前だよね~
他のバイト生達は近所の子で高校時代からやってるとか、大学生だから4年間やってるとかだったものね~と自分を慰める。
30年も不義理してたんだものねえ~

今日の1枚はスマート珈琲店で飲んだコーヒー。
メニューがすごく増えてて、食べるものもすごく増えてて、カップもかわってて、ホントに月日が経ったんだなあと感じた。
かわらないのはマスターだけだった。いや、コーヒーの味も変わっていなかった。
当時ワタクシは、インスタントコーヒーと缶コーヒーしか飲めなかったのだが、バイトしてると毎日一杯コーヒーをいただけて、
だんだんコーヒー好きになっていった。
その時のコーヒーの香り、そのままだった。
それから、変わったものがもうひとつ、ずっと笑顔で愛想良く話すワタクシ。
あの、無愛想だった19の娘が、50の今、マスターにニコニコと思い出話を語る。
30年という月日は、ワタクシを大人にしたんやわ~
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鹿児島で育ちました~保育園ママ達とのランチ会~

2014年02月17日 | おもいで
2月17日(月)晴れ

まだ先週の日記を書いている。追いつかない。ピッチを上げよう。
書きたいことは山ほどあるのだ。都知事選やら五輪やら飲み会やら。

我が娘、今年成人式でありました(何もしなかったけど)
5年通った保育園で、今年タイムカプセルをあけるよ~と連絡もらったものの帰省できず
みゆゆみママに預かっててもらうことに。
今回の帰省でそれを受け取ることになっていたのだが、みゆゆみママが、保育園ママ達に連絡をとってくれて、急きょランチ会開催。
保育園でのパーティに参加できない人は近況報告すべしと言われ
「すっかり東京マダムです」なんてふざけた近況報告をしたばかりなのに、
こんなにすぐ会うことになるとは・・・

ランチ会場は、桜島がよく見えるベイサイドのこじゃれたレストラン。
祝日は予約できませんと言われるのを押し切っての予約をとったみゆゆみママが、車で拾ってくれる。
けん君ママも乗ってる。
「久し振り~~~」と乗り込むと
二人が「全然変わらないわね~~~」と爆笑する(←爆笑の意味が分からん)
レストランに到着。
次から次に登場する保育園ママ達が、いちいち「全然変わらないわねえ~~~」と爆笑(←爆笑の意味が分からん)
結構これでいて東京でぶいぶいいわせてる東京マダムなのよっ!とうそぶくn。

しろたんママは、ワタクシと同じ小中学校の同級生で、兄達も同級生だったこともあり、おばあちゃん同士も知り合いである。
しろたんママ「うちの母が、よくCちゃんおばーちゃんとも会うんだけど、この前会った時に『うちの娘達が今度帰省するんだけど予定がびっちりらしくて全然うちにいない』とぼやいてたって聞きながら
「うわっ、その予定の中にアタシ達と会うことも入ってるわ」と思いながら、母には言えずに黙ってたのよぉ。」

み~君ママにみ~君の近況を伺うと・・・四国の大学生になっていた。
n「じゃあ四国に行ったりした?」
み~君ママ「入学する前と、入学式と・・・1年生の時、四回行ったわ。
さすがにもういいかなってことで2年になってからは行ってないわねえ。」
いずこも同じね。

はーちゃんママは、ワタクシよりもずいぶん年下なのに、もう4人も孫がいる。
もっと驚くのは、はーちゃんにも子どもがいるのだ。
うっすらと娘から話は聞いていたが、どうやら未婚で生んで一人で育ててるらしい。
はーちゃんママ、昼も夜も働いて、途中で孫の世話もして・・・韓流ドラマを10本借りてて、今日見て返さなきゃ!期限なのよ~と言っていた。ぱ、ぱわふるね、相変わらず。

仕事で少し遅れてやってきたとし君ママ。
「としが、『Cちゃん、すっげー可愛かった』ってうるさくてねえ~」
娘は娘で、前前夜みゆちゃんが企画してくれて保育園&小学校のお友達と飲み会&ボーリングをして
夜中に帰ってきたのだが、
このメンバー6人中4人が社会人。
男の子達が「女の子にお金は使わせない」と豪語。
ビンボー学生達しか知らない娘には大変な驚きだったようだ。
タクシー2台に別れて帰ってきたが、タクシー代も男子持ち。
保育園や、悪ガキ低学年の頃しか知らない母は感慨深い。

あっという間に時間は過ぎ、その日の飛行機で帰る夫から、「今フェリーに乗った」とメール。
今、ちょうどフェリー到着場のすぐ近くにいるわと、返信。拾ってもらい一緒に実家へ帰宅。
車を置いて、お茶を一杯飲んで、バスで空港へと去っていった。
イチにヨロシク。明日帰るって伝えて。帰ったらすぐイチの様子を教えてね。写真撮ってラインして!
夫のことよりイチの心配をしまくる妻と娘。
そして、その後は、おばあちゃんと娘と3人で温泉へ。
今回の帰省は、かなりの満足度の高さでありました。

今日の1枚は、Hirakawa Zoo。うたせ湯にうたれるカピパラ君。
いいよねえ~~~温泉!
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双子の日

2014年02月06日 | おもいで
2月6日(木)晴れ

昨日、2月5日は「双子の日」だったそうで。

昨年のことになるが、チョー久し振りに、娘の保育園で一緒だったみゆゆみママ(←みゆチャンゆみチャンという双子のママ)からメール。
保育園を卒園する時に埋めたタイムカプセルを掘り起こすよという連絡だった。
5年通った保育園。娘もママも大好きだった。
働くママさん達は皆忙しく、普段は「おはよー」「バイバーイ」の会話くらいしかないが、
何かのイベントの時には盛り上がり、みんな仲良しだった。
子どもらが卒園してバラバラの小学校に入った後も、桜会と称して(卒園時桜組だった)ママ達の飲み会が定期的に開催。
飲み会皆勤賞を誇っていたワタクシが東京に引っ越す時には、送別会もしてもらった。
その後は、年賀状だけのお付き合いが10年近く続いての、今回のご連絡。
成人式を終えた後、保育園に集まって、子どもたちママ達先生でタイムカプセルを開け、パーティをするとのこと。
しかし、娘はこちらで同窓会があるし、母は泉谷しげるのライブがあるし、ってことで泣く泣く参加を断念。
でも、2月に帰省するからそのときまでタイムカプセルの中身預かってて!と頼む。
またすぐにみゆゆみママからメール。
「出席できない人は、近況報告をしなきゃいけないのよ。メールでいいから送ってね~~~」
ってことで、『娘は○○大学2回生になりました。母はすっかり東京マダムです』ってな近況報告(少し虚飾あり)をしておく。

そして、今年に入り、みゆゆみママから保育園でのパーティの写真が届く。
なんとまあみんな大きくなったことよ。
そりゃもう成人なんだもんねえ~
なかでも、みゆちゃんゆみちゃんの綺麗なおねえさんぶりに驚く。
保育園の頃は、同じ顔がふたつあるってだけで可愛さ倍増だった。
何度娘に聞いてもみゆちゃんとゆみちゃんの区別ができず、呆れた娘(5歳児)から
「みゆちゃんは前髪がくるんってなってるでしょ、ゆみちゃんはまっすぐでしょ」
娘に言わせれば、全然似てないというのだ。
じゃあどこが違うか教えてよ!と聞いたら、こう教えてくれて、それ以来、間違わずに呼べるようになった。
が、お祭りで鉢巻きされたり、運動会で帽子をかぶられるとアウト!
そういえば、ワタクシが小学校の頃住んでた家の隣にも、男の子の双子かっちゃんとひろちゃんが住んでて
ワタクシから見ると全然似てなくて、どっちかっつーとひろちゃんがシャープで好みだった。
しかし、我が両親はどっちがどっちか全くわからん!と言ってたなあ。
いちいちワタクシが「今のはかっちゃん!」とか「今、回覧板持ってきたのはひろちゃんだよ。」とか教えてた。
これって、どういうことなんだろう。子どもの目で子どもを見るとわかるってこと?

双子と言えば、我が夫の弟達も双子。
でも二卵性だろう、全く似てない。つまんない。

と、双子の日に、双子のママちゃんと連絡をとりあい、今度の帰省での再会の打合せをするのでありました。
彼女が、桜会メンバーに声をかけてくれて、ランチ会が開かれることに、
楽しみだわぁ~~~

今日の一枚は・・・しつこく大根おろしアート。
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ニッカボッカ

2012年02月02日 | おもいで
2月2日(木)晴れ
昨日、ガテン系のお兄ちゃんの話を書きましたら、pさんのコメントに『ニッカボッカ』という言葉。
思わず懐かしい気持ちがぼわ~~っとわき上がってきました。
なぜなら・・・ワタクシ、ニッカボッカを持っております。
ついでに地下足袋も持っております。
なぜに???
以前、小さな設計事務所で働いておった時に、そこの同僚の男の子の結婚が決まった。
ワタクシ達は、式での余興を頼まれた。
39才くらいのワタクシ(バツイチ子持ち)、32才くらいのM嬢(独身)、32才くらいのW氏(3人の子持ち)、28才くらいのS氏の4人。
めったにないことゆえ盛り上がる4人。
M嬢「やっぱり、今はテツ&トモの『なんでだろう』でしょう。(←当時めっちゃ流行ってた)
このメロディーに替え歌つけるってのはどうでしょうか。
これはウケますよ。」
n、普段からこの子には絶大な信頼を寄せていたが、あまりに素敵過ぎるアイデアに感動して
ジャージを新調しようと思う。
あたしは緑にするわ、あなたは若いんだから赤になさい。
しかし、この案は、なぜか男性陣の頑なな拒否にあう。
仕事帰りに打合せを重ねる4人。
やっと決まったのがTOKIOの「カンパイ」(←当時、ビールのCMに使われてた)
このメロディに替え歌をつけて踊る。
そして、衣装は・・・
ワタクシ達の勤務してる設計事務所は土木関係だったので土木作業の格好にしようということになった。
そして・・・ニッカボッカやら地下足袋やらを『職人の店』で買い込み
仕事帰りにカラオケボックスへ行って歌いながら踊る練習・・・
みんな貧乏なので、連日連夜カラオケボックスへ行くこともできず、M嬢の軽ワゴンの中で
替え歌の練習をしたりもした。
少々おぼっちゃまなW氏が「なんだかオレたち、学生みたいすっね!」とはしゃぐが
イマドキ、学生たちのほうがよっぽど金持ちだよと思うnであった。
そして、いよいよ明日が結婚式という夜、部屋の鴨居にかかるお洒落ワンピースとニッカボッカ・・・
もうすぐ40だというのに、あたしゃこんなことしてていいんだろうかと一瞬弱気にもなったりした。
結婚式当日も、一度事務所に集まり最終チェックした後、式場へ向かう。
おそらく新郎よりも、ワタクシ達のほうが緊張してたと思う。
厳かに粛々と宴が始まり・・・
新婦は幼稚園の先生なので、職場の先生達の可愛らしい歌を聴いたりした後、いよいよワタクシ達の余興・・・
さっきまで礼服やらお洒落ワンピースを着てた4人。舞台袖で大急ぎで着替える。
朝イチに美容院でセットした巻き髪だけど、余興のためなら崩れることも厭いません。
舞台の幕が上がり、作業着にニッカボッカに地下足袋、ヘルメット姿で登場した時の盛り上がりったら!!!
特に新郎側のお客たち(関連会社の人達なもので)の喜びようったら。
もう、舞台の下まで駆け寄ってきて、大声援&大爆笑&カメラのフラッシュ。
いやあ~カ・イ・カ・ン・・でありました。
新婦側ご家族の評価は怖くて聞いておりませんが、とりあえず新郎新婦はものすごく感激して喜んでくれたので良しとしましょう。
そして、ワタクシ達の事務所の所長も喜んでくれ、手出しだった衣装代を出してくれました。
ただ気になったのは、所長がしみじみと「エラいねえ~君。オレにはできないなあ。」と
ワタクシに言ったことです。
彼はワタクシに一つ上の40才くらいだったと思われますが、
とても恥ずかしくて、オレにはできないとおっしゃいました・・・

ニッカボッカの思い出でありました。
あ、そうそう!これをきっかけに、M嬢とS氏は結婚したのでありました。
沖縄で、家族だけの結婚式にしたのは、余興で盛り上がる同僚たちが怖かったのかしらん。
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制服リカちゃん

2011年12月03日 | おもいで
12月3日(土)雨

故郷の友人から小包が届く。
以前、高校の創立記念の品として、制服リカちゃんを作るという話を聞き、
途中で転校して、そこの卒業生ではないワタクシは非常に羨ましがった。
それをみどりちゃんが覚えていて注文してくれ、ワタクシにプレゼントしてくれたのだ。
写真ではわかりにくいが、とてもリアルに制服が再現されていて、
懐かしさやら可愛いらしさやらで大騒ぎしてしまった。
高校一年だけ通ったこの高校の制服は、黒のプリーツスカートにブレザー。
赤いリボンをチョウチョ結びにする冬服。
夏は、セーラーカラーのブラウス(ラインとか入ってないシンプルさが好きだった)
そして一番好きだったのが中間服。
白いブラウスの上に黒いベスト。

この制服リカちゃん、制服はもちろんフルセット。
校章のシールや学年カラーのシールまでついてて、
パッケージの箱の内側の写真は、懐かしい高校の校舎の写真だ。
そして、校歌が印刷されているという至れり尽くせりぶり。
高校の制服が好きだったという女子には、絶対ウケるよねえ~制服リカちゃん。
娘も、「いいなあ~うちの高校の制服も可愛いから、作って欲しいなあ」と言っていた。
何体の希望があれば発注できるのかしら。
是非とも娘の高校のセーラー服リカちゃんも欲しいっっ。

おばあちゃんちに置いてきてるリカちゃんを持って帰ってきて夏服冬服中間服全部着せ替えさせて、
スカートは作って・・・靴は・・・買おうかしら・・・と夢が広がるのであった。
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若き日

2011年10月31日 | おもいで
10月31日(月)晴れ

土曜日は、病院の日。
夫がついてきてくれる。
血液検査→レントゲン→乳腺外科→呼吸器外科
なんだかすんごい病人みたいだ・・・
でも、どちらの科でも「心配ないですよ~」と言われたので良しです。
さぁて!お昼は何にする?
てくてく三田界隈を歩く。
ををっ!
ここが慶応大学なのねっ!初めて見たよ。いつも、検査が終わるととっとと帰路につくからねえ。
さすがにシャレた建物だわね。

しかし・・・慶応は、ワタクシの中で、学習院と同じくらい興味ない。
だって「慶応は金持ちのボンボンが行くところ」
学習院は「貴族皇族が行くところ」でしょ?
というと、夫が心底呆れたように「君ってホント田舎モンの思考だよな」
ほっといてくれ!
小さな商店街に入り込むと・・・ちょうど餅つき大会。
きな粉餅・磯辺巻き・あんこ餅をいただく。美味。
つけ麺屋さんに入る。
隣で高校男子が二人でつけ麺をすすっている。
おばちゃんは耳をすませて、彼らの会話を盗み聞きしながら、つけ麺すする。美味。
腹が満ちた後、三田界隈を歩く。
というのも、ずいぶんとワタクシが若い頃、本社がここらにあった会社の地方営業所に勤めていた。
そして、ちょうどバブルぶくぶくにさしかかった頃だったので
しがない地方営業所の女子社員も『研修』という名目で
東京本社だの関西の工場だの福岡支店だの旅行させてもらっていた。
そんな話の流れで、その本社を探そうということになったのであったが・・・
25年ほど前のことである。
さらには、この強力な方向音痴のワタクシである。
・田町の駅から歩道橋を歩いた。すぐ近くだった。
・20階建てくらいのストンとしたビルだった。
・道路挟んだ向かい側にホテルがあった(そこでワタクシ、サンドイッチを食べたのだが、お高いうえに美味しくなかったから憶えている・・・)
・住所にやたらと3の数字がついていた
これだけのヒントである。
しかし、ワタクシは、九州の田舎から1人で出てきた小娘が迷わず探し出せたくらいだからとたかをくくっていた。
が!!!歩けども歩けども、記憶にひっかかる風景にぶつからない。
飽きっぽいワタクシとしては、もうすっかり気分はゲームオーバーなのだが・・・
夫はせっせと検索しては歩き、歩いてはまた検索し・・・
彼情報によると、会社自体は移転しているとのこと。
なんとか、妻のかすかな記憶から住所を割り出し、ビルを確定。
そう言えば、となりに○○があったわ!ここだわ!ここ!
「結構、駅から遠かったねえ~」と言うと夫が「昔はもっと君がサクサク歩けてたからだよ。」
さ、帰りましょ帰りましょ!
妻のガラスの膝はもうガクガクです。
以前は腰だったのだが、ここんとこ膝の調子が悪い。
まるっきり老人体質ではないか!
コンドロイチンやらグルコサミンという言葉に耳が反応してしまう。
そして・・・すっかり疲れた日の夕食は・・・白菜豚バラ鍋でありました。
ビバ!鍋生活。

あ!我が夫も、この三田界隈の散策をブログに書いとります。
ちょっと素敵な散策に仕上がっております。
夫が、妻の愚痴やら『膝が痛いよぉ~』という言葉など何一つ聞いておらず
自分の世界に入り込んでいたのがわかるようです。
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「n」と「えぬ」ちゃん

2011年10月18日 | おもいで
10月18日(火)晴れ

娘の夏は、充実していた。
毎日毎日、ホントに楽しそうだった。
そして、文化祭でその努力が報われた達成感。
さらには、友情とか団結とか恋とか、青春真っ盛りじゃなきゃ出て来ないワードが
きらきらちりばめられた素敵な日々を過ごしていた。
母としては、頑張る娘を誇らしく思いつつ、自分を振り返る。
確かに、楽しい高校生活ではあったが、何かに真剣に取り組むでもなく、
ただ、のんびり楽しくダラダラ過ごしていた(あらら・・・今とまるで同じだわ)
「反省はするが、後悔はしない」のが、ワタクシの生き方。
しかし、さすがに少々後悔の念にかられていた。

夏の同窓会で会えなかった友人に「どうして同窓会に来なかったのよぉ~」と手紙を出したのは先月だったか。
その友人から返事が来た。


『お手紙ありがとう。久し振りのお手紙に懐かしくてとても感動しました。
同窓会に出席してたんだね。ちょうどその一ヶ月前に、○○川でえび釣りをしていて、
川に落ち、ギプスの生活を送っていたのです。
nが来てるとわかってたら、会いにいったのに!ごめんね。
    (中略)
うちの姉と、nの話は、よくしているんだよ。
実は、三番目の子のn(ワタクシと同名・ひらがな)は、姉が、名前を考えてくれて、
名前を決めてくださる方にみてもらって決まったんだけど、
高校の時に、nを見てて、あんな子になったらという思いで、候補にあげたらしいのです。
だから『えぬ(娘ちゃん)』の話をすると、姉が「nさんの名だよ。」といつも言うのよ。
だから私も『えぬ』の名を呼ぶたび、nを思い出します。
今、○○高校の文理科で、2年生です。
親に似ず聡明な子だと姉は言います(笑)
    (中略)
いろいろ大変だけど、元気に頑張ってます。いつか逢いましょうね、必ず!!

P.S nに返事を書くと言ったら『えぬ』が、一番お気に入りのレターセットをくれました。
2枚しか便せんがなくて、いっきに書きました。
めがねがないと書けなくなりましたよ。』


すごく嬉しかった。
泣きそうになった。
自分の人生を否定するわけではないが、少しばかり後悔の割合が増えてたときだっただけに、
おねえさんの「あんな子になったら」という言葉が沁みた。
ワタクシは、ワタクシなりに、頑張ってたのかもね。それをお姉さんが見ててくれたのかもねと思えた。
そして、あまり好きではなかった自分の名前を好きになれた気がした。
あかちゃんの時に会った『えぬちゃん』も、もう高校生とのこと。
次に『えぬちゃん』に会った時、『えぬちゃん』ががっかりしないようなnになるべく、
今からでも努力せねば!と思うのであった。
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