パパと呼ばないで

再婚した時、パパと呼ばないでくれと懇願した夫(←おとうさんと呼んで欲しい)を、娘(27)「おやじ」と呼ぶ。良かったのか?

音訳ボランティア講座開始

2021年10月23日 | ボランティア
10月23日(土)晴れ

待ちに待った「音訳ボランティアの講習会」が始まった。
受講生は6名。
募集人員は10名とあったから、落としたのか、はたまた6名しか応募がなかったのか。
女性の多い職場やサークルにありがちな、フレンドリーでハイテンションなスタッフさん達と
緊張もあるのか静かな受講生達のコントラスト。
ここに至るまでに何度もくじけそうになったワタクシは、マスクをしているのをいいことに、無愛想な顔のまま開講式を待つ。

開講式というほどかしこまった式でもなく、副センター長ご挨拶、講師紹介やら受講生の自己紹介が終わると、フロアを軽く案内してもらった後は、早速講習に入る。
講師の先生は、20年前にこちらで講習を受けたという方だ。
そして、音訳の活動もされておられるらしい。
ワタクシの中で、いっきに好感度アップである。
ワタクシ、現場を知っている人が一番強いと思うし信頼おけると思っている。
講習の進め方もパキパキキビキビされていて気持ち良い。
講習の途中から、実戦に入っていきましょうとおっしゃる。
これも嬉しい。
正直、ワタクシは鹿児島に帰ってすぐにでも音訳ボランティアの活動をする気満々だったのだ。
しかし活動場所は限定されているようだし、この講座を1年受講して初めて活動できると聞き、ワタクシの長きにわたる東京での活動はなんだったんだとうなだれた。
方向転換して朗読の世界へ行こうとしたりもした。
でも、これをライフワークにしたいと思っていたではないかと自分を叱咤激励し、やっとこの講座の開講を迎えたわけだ。
さらには、ワタクシの読みを先生が褒めてくださったり、帰りのエレベーターの中で一緒になった若い女子(唯一の若い子。あとはおそらくワタクシと同世代の50代60代と思われる。)が
ワタクシの読みを「ずっと聞いていたかったです。」と褒めてくれたことがとても嬉しかった。
東京での活動は無意味じゃなかったと思えて嬉しかった。
1年間という長丁場、さらに欠席は3回までという厳しさに思わず眉間にしわが寄りそうになるが、片道2時間かけて通ってこられる方が3名もおられることを思えば、20分で行けるワタクシは這ってでも皆勤賞狙う勢いで通うべし!

今日の一枚は、造園仕事の休憩時に見上げた秋空。
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ボランティア考

2021年08月16日 | ボランティア
6月8日(火)晴れ ←いよいよnさんボケちゃった?と思わず読み進めてください。

ワタクシ、東京で音訳ボランティアというのを知って、講習会を受けて、ボランティアサークルに入って活動していた。
自分にとても合ってると思い、ライフワークにしようと思っている。
だからこちらに帰ってきてすぐに、そういう活動をしているところを探して連絡を取った。
その時の話はこちら。

講習会を受けないと活動はできない。その講習会が始まる前に連絡します。
と言ってもらってたので待っていたが、連絡が来ない。
その活動母体のホームページを見に行ってびっくり。
もう講習会始まってるじゃないのっっっ!
さすがに仏のnもキレた。
慇懃無礼には慇懃無礼でお応えしようじゃないのっ。

 突然のメール失礼致します。
 昨年、音訳ボランティアの件でお問い合わせしたnと申します。
 講習会を受けないとボランティアはできないとのことで、
 講習会が始まる6月に連絡しますということでしたのでお待ちしておりました。
 もうそろそろではないのかしらと思いホームページを拝見いたしましたら、
 今年は4月からだったようで。
 もう、今年度の講習会は始まってしまったのでしょうか。
 空きがあったら参加させていただきたいと思っておりますが、もう無理でしょうか。

とメールを送る。
そうすると、しばらくして返信。
どうやらホームページの日程が修正されてなかったとのことで、新情報(今年度は9月から開始)の連絡とお詫び。
さらには翌日、資料を送付するので住所を教えてくださいとのメール。
で、先日、茶封筒が届く。

開封すると、講習会の申し込みの説明書やら書類が数枚入っている。
読み進めると・・・7月末までに、自己診断表、課題1、課題2を提出せよとのこと。
思わず苦笑してしまう。
ここまで門戸を狭めたいかなあ。
そんなに少数精鋭の団体にしたいのかなあ。
それとも、もう充分足りてるのかなあ(そのわりには市立図書館の対面朗読室は活用されてなかったけどねえ)

まず自己診断表には、いかにやる気があるかを問う設問が10問。
これがすごくいやらしい。
家族構成まで聞いてきて、そのうち手のかかる人(子供とか老人とか)がいるかどうかとか。
課題1は、難読漢字にルビをふらせたり四字熟語の穴埋め、難読地名に読みにくい芸能人の名前。
こういうのを講習会でやるんじゃないのか???
今、講習が始まる前にビビらせてどうすんの???
もっとワタクシをイラっとさせたのが課題2。
6分程度の課題文を録音して送れという。
いくつか手段(スマホやICレコーダー)は提示しているものの、これ以上の問い合わせはしないでねと釘を刺すことは忘れない。
録音できない方はこちらに来て、テープ録音していただきます、と救済の手は差し伸べてはあるものの、一体ここの講習会というのはどういう人をターゲットにしているのだろうか。
この講習会を受けないと音訳ボランティアはできないと、最初にお断りされたわけだから、ここがスタートだと思う。
その、スタートのハードルをこれほど高くする必要があるのだろうか。
ワタクシ、一応経験者ゆえ、心の中で「チッ」と舌打ちしながら、課題は終わらせましたけどね、
これ、全くの初心者で、気の弱い人は「私には無理だわ」と諦めると思う。
こうやって門戸を狭くする意味がわからん。
そりゃ「ボランティア」を有閑マダムの暇つぶしみたいに思ってて、ちょっとやってあげてもいいことよ、てな人もいるかもしれん。
始まってみて、「思っていた以上にめんどくさいわ」とか「想像してたより難しいわ」とか言い出す人もいるかもしれない。
でも、とりあえずは門戸を広げてすそ野を広くしてウエルカムウエルカムでスタートしてもいいんじゃないの?
どんな意識高い系の人たちの集団なんだろうと、始まる前からビビってしまう。
いや、この課題を提出した後、審査があって合否の連絡が来るらしい。
落ちるやもしれん。
関係者の目に触れ、逆鱗に触れ、落とされるやもしれんので、この日記はその合格発表が終わるまでは非公開にしておくけどさ、まぢでムカついているのである。
でも、もし、受かって講習会を受けることができて、活動に参加できるようになったらじわじわとこの門戸を広げてみせる!と心の中でどす赤い炎を燃やすnなのである。


これは、二ヶ月以上も前に書いた日記である。
先ほど「合格」のご連絡をいただいたので晴れて日の目をみる日記である。
とはいえ、郵送での合格発表の予定が急遽電話になったのは、この緊急事態下で、講習会の予定が延期になったという事と合わせての連絡だったからである。
とりあえず講習会を受ける資格は与えられた。
講習会終了後やっと活動ができるわけだ。
最近、愚痴めいた日記ばかり書いている気がするが、これがワタクシだし、ここで吐き出す事で気が済んでるのだから、ひょんなことから読んでしまったおヒマな方々(・・・)には申し訳ないがお許しください。
ワタクシ、愚痴やら悪口やら恨みつらみやらをパワーに変えるタイプの人間なのである。
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ボランティア・デーに思うこと

2020年12月05日 | ボランティア
12月5日(土)晴れ

今日は国際的に決められたボランティア・デーなんですって。

ワタクシ、東京に引っ越した時、引きこもりになりかけたので「音訳ボランティア」の講習を受け、そのままサークルに入り活動した。
元々、音読するのが好きだった事もあり、10年以上活動し、鹿児島に帰ってからも続ける気満々だった。
帰ってしばらくして、市のボランティアセンターへ電話してみる。
n「視覚障害者のための音訳ボランティアをしたいのですが・・・」
ボランティアセンターの方「それでしたら、視聴覚障害者センターの方からご連絡するようにしてみますね。」
 
すぐにそちらの方からお電話がくる。
n「以前住んでいた所で音訳ボランティアをやっておりました。是非お仲間に入れていただきたいと思いまして。」
係の方「大変失礼なことを言う事になると思いますが、鹿児島では講習会を受けていただいた方しか活動はできません。
どちらで活動されてたか存じませんが、鹿児島では鹿児島のやり方がありますので。」
「失礼な事を言いますが」という言い方をされた時点で拒絶された感は否めないが、それでも、ワタクシこれをライフワークにしたいと思っているので食い下がる。
n「では、その講習会に参加するにはどうしたらよろしいのですか?」
係の方「先ほど、引っ越して来られたとお聞きしました。この講習会は一年半続きますので転勤族の方にはおすすめいたしません。」
n「いえ、夫の定年で鹿児島に帰ってまいりましたので、これからはずっとこちらにおります。」
慇懃無礼な物言いにムッとしながらも、下手に下手に出ながら喋っていたら少し態度を軟化した彼女、「次の講習会は来年の6月からの予定です。始まる前にお電話でご連絡しましょう。」
よろしくお願いします。

以前の音訳ボランティアの活動でも、こういうことは良くあることだった。
例えば、ワタクシが東京で受けた講習会では、初日に講師がガツンと言った。
「このボランティアには年寄りはいらない」(←年齢のせいや入れ歯のせいで口中音がしたり滑舌が悪くなっているから)
とか「よく老人ホームでフラダンスの慰問があったりするでしょ。あれも迷惑な話よね〜見てるほうがボランティアしているようなものよね」(←素人の踊りなんて、という意味でしょう)
この講師が言いたい事は、ボランティアだからって甘えるな!という事だったのだが、この厳しい言葉に受講生の数名は初日で脱落した。
我がサークルで長く会長をされたFさん(♀)も、側で聞いていてハラハラするほど厳しかった。
「向いてない」と思う人はさっさと辞めさせたし、「ボランティアだからという甘えが出ないために日当を出すのです。仕事と思ってください。」と言っていた。
しかし、ワタクシは心の中で、「いまどき丸々一日図書館にこもって活動して五百円いただく事を仕事と考えられるか?
子供のお駄賃じゃあるまいし。
それこそボランティアをするという心意気で活動しているのだから逆に五百円なんか要らないわっ!」
次の会長Mさん(♂)は、定年退職してすぐこの活動を始めようと、別のサークルに問い合わせたら年齢を聞かれ、参加を断られた。
「このことは一生根に持つ!」と怒りまくっていた。
彼は、我がサークルで一番活動されたし、会長も引き受けてくれた。
別のサークルの方は「先見の明」が無かったってことよね。

何が言いたいのかと言いますと・・・
ボランティアする側は、生半可な気持ちや遊び半分、いい加減な気持ちでしてはいけないと心に刻まなければいけないし、
ボランティア活動の母体の責任者や管理者には、門戸を狭めるような事はして欲しくないなあと思うわけです。

来年の6月まで何もせずに待つよりはと思い、「読み聞かせ」や「朗読」のボランティア講座に応募するも、ことごとく「落選」葉書が届き、気持ちが萎えていた。
先日。
以前所属していた音訳サークルから連絡。
ワタクシの東京での最後の録音「魔女の宅急便」で、デイジー編集の際、イラストの説明に間違いがあったので訂正してとの事。
サークルから貸してもらっていた録音機一式をダンボール箱から出してセットして・・・
3ヶ月ぶりに見るこれらをセットしながら、オーバーな事を言うなら「討ち入りする藩士がたすき掛けをするような」高揚感。
ああ。また音訳のボランティアがしたい。
訂正したカードを送る打ち合わせなどしながら、こちらでの一連の話(泣き言)を以前の仲間達のラインに送る。
するとTさんが「市の図書館に行ってみたら?」

視聴覚障害者センターが一括でボランティアを請け負っているのだろうと思い、活動を諦め切っていた。
そうか!図書館が独自でそういうボランティア活動をやっているかもしれない!
すぐに行ってみる。
久しぶりの大きな図書館。
娘が小さい頃よくここに連れてきては二人でDVD鑑賞したものだ。
懐かしさを噛み締めながら、館内図を見る。
ををっ!対面朗読室がある。ボランティア室もあるではないかっ!!!
喜び勇んで、、、でも、誰に相談したらいいんだろ。
ちょっと違うかなあと思いつつレファレンスカウンターに向かい、カクカクシカジカ訴える。
若い図書館員の女性が話を聞いてくれた後、「私の知る限りでは今、そのような事はしてないと思うけど、上の者に聞いてまいります。」
戻ってきて・・・「今のところ、ボランティアとしては本棚を整理してもらうくらいしかやってなくて、視覚障害者へのサービスは今後の課題として残っているところですということでした。」
そうですか・・・ハードはあってもソフトが追いついていないということなのね。

たすき掛けしたたすきを静かにほどき、ため息。
でも、このままではどんどん音訳の世界から離れてしまう。
何か近い事を、何か役立つ事をしておこうと思い「朗読教室」の体験入門を申し込んだ。
たすきをタンスにしまわないで、なんとかもう少し目の付くところに下げておきたいのだ。

と、ボランティア・デーにかこつけて愚痴をダラダラ書き綴ってみました。
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つづきのつづき(魔女の宅急便)

2020年08月01日 | ボランティア
8月1日(土)晴れ

音訳ボランティアで朗読している「魔女の宅急便第6巻 それぞれの旅立ち」
初版本に、誤植が二ヶ所、文章差し替え部分が一ヶ所発覚。
図書館の担当N川さんも初版本と新版本との違いに驚いてた。
そしてこれをどう読むか。どこに、どんな風に「音訳者注」を入れ込むかを都立図書館や他の図書館に聞いてから連絡しますということになった。←1回目の電話。

都立図書館は誤植だろうがなんだろが、原文ママ読むと聞き、N川さんは怖い音訳ボランティアのおばちゃん(←n)がまくしたてた事を都立図書館の担当者に切々と訴えたようだ。
が、都立図書館側は「うちはそのまま読みます。もし音訳者注を入れたいなら、その誤植の場所で入れたら?」と軽くいなされたようだ。
その説明を聞きながら、ワタクシ、少しイラっとする。
もう少しで、よくいる「あなたじゃ話にならないわ。上司を出してちょうだい」と言うクレーマーになりそうだ。
おちつけ、あたし!
n「N川さんはどう思われます?」
N川さん「昨日は、nさんとお話ししながら音訳者注を入れることを考えていましたが、都立図書館の話を聞いたらそのまま読むべきなのかなあと思ったり・・・でも児童書だし、、、」
と彼女自身ぶれぶれである。
n「都立図書館としては原文ママ読むと決まっているとのことですが、我が区の図書館としてはどうされるかと言うことですよね。
図書館からご依頼の件ですから、図書館のご指示に従います。
そのまま原文ママ、読みますか?音訳者注を入れますか?」
N川さん「もう一日、時間をください。ほかの部署の課長にも相談したり、調べたりします。」←2回目の電話

そして今日、3回目の電話。
N川さん「課長にも相談いたしまして、やはり都立図書館と同じにしようということになりました。」
図書館からはおそらく原文ママ読んでくれと言う返事だろうなと思っていたので、「そうですよね〜」と引き下がる。
1回目の電話で意気投合したような感があったN川さんとしては申し訳なさやら色々あるのだろう。
「図書館としてはこういう形でしか対応できないので、福音館書店へももう一度状況を説明したいと思います。」

ぢつは、ワタクシも、それは考えていた。
おそらく、このまま読むことになるだろう。
図書館も、音訳者も、勝手に文章を変えることはできない(たとえ誤植であろうとも)
しかし、読む子ども達は、初版本だの新版本だの関係なく読むわけで、たまたま初版本を借りた子は可哀想だなあと思う。
これは、唯一訂正を入れられる福音館書店が、せめて図書館に置いてある蔵書の初版本には訂正文なり、訂正シールなりを貼るようなことをしていただきたい。
と言うようなお手紙(こういうのをクレーマーというのだろうか)を送ってやるっっ!と、昨夜寝ながら鼻息荒く思っていたのだ。
でも、一介の読者からの手紙なんてなんの効力もないだろうから、図書館の方からなんらかのアクションを起こしていただければワタクシ、ゴネた甲斐があるというものです。

今日の一枚は・・・
なんとなく、物語の中の「クスリグサの畑へ続く道」っぽいのでチョイスしてみた。
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つづき(魔女の宅急便)

2020年07月30日 | ボランティア
7月30日(木)晴れ

昨日、広報誌の録音日で図書館に行ったので、誤植の件二ヶ所を図書館の方にお尋ねする。
担当者はお休みだったのだが、聞いた女性が奔走してくれ、最後には出版社にまで問い合わせしてくれた。
結論として・・・
  「言ったら」は、出版社も気づいていなかった。次の刷りでは訂正する。
  「ブブ」が「ニニ」の誤植は、新版本では訂正されている。
これで一件落着かと思いきや、朗読では、一番最後の奥付けというのも読むことになっている。
著者名とか第何刷りとか出版社とかの部分である。
ワタクシが読んだのは「初版本」である。
「ブブ」と、正しい読みをしておきながら、奥付は「初版本」の日付を読むのはおかしいとなる。
図書館の方2名、ワタクシと会長、4人で悩む。
で、担当者のN川さんから明日電話させますということで、ひとまず解散。

で、今お電話いただく。
N川さん曰く「新版本を取り寄せて、初版本と見比べたんですが、ページ数から違うんです。」
図書館の蔵書は全部初版本なのでこれを読んでもらうしかないが、明らかに名前が違うまま読むのは聞く子供が混乱してしまうだろう。
正しい名前で読んでもらって、最後に音訳者注を付けましょう。その付け方は都立図書館かどこかに問い合わせて、また明日連絡しますということで落ち着く。

新版本が彼女の手元にあると聞き、ワタクシ、疑問に思っていたことがむくむくと湧き上がる。
n「ぢつはワタクシ、もう一ヶ所、気になってるところがありまして・・・ 」と切り出し、
新版本の、そのあたりを読んでいただくと・・・
わっ!ちゃんと話が正しくなってる。たまたまヨモギさんちに行ったという設定になってる。
N川さん、その部分を両方照らし合わせて悲鳴のような声を上げられる。
「こんなに初版本と違うなんてっっ!!!福音館書店なのにっ!」とおっしゃるのもおかしい。
同感です!天下の福音館書店たるもの誤植、校正ミス、多すぎ!
とはいえワタクシ自身は、自分の中でのモヤモヤしていたものが解決して、スッキリ。
やはりあのクスリグサの畑は、ヨモギさんが砂漠に帰ってしまった後に、手紙で庭を借りることにしたのよね〜
あ〜スッキリ、大満足だわと思うも、N川さんの衝撃は治まらず。 
「児童書担当の者にも、教えてあげなきゃ!こんなことがあるなんて!」


会長にもラインで報告して、明日「音訳者注」を追加録音したら、校正に回して、なんとか今月中には完成する見通しがついた。
これが本当にラストのお仕事だわ。いい記念になります。

今日の一枚は、さっき行ったカレー屋さんのチーズナン。
地域の情報誌のポイントで交換した。
ランチメニューのナンも巨大過ぎて、結局大量にお残し。
持って帰りたいとお店のインド人に言ったら無表情で無造作にアルミホイルを破ってくれた。
ダンニャワード!
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洟を垂らした神

2019年08月09日 | ボランティア
8月9日(金)晴れ

音訳ボランティアの活動の一つに、視覚障害者の方達が月一で開くサロンで朗読するというのがある。
会員が順番で担当し、来月はワタクシの番。
前回は直前に鼻声になり、言い訳しつつの朗読をした。
今回は体調万全で臨みたい。
で、恒例の朗読本探しに奔走しておるところ。
基本、気楽な面白いエッセイがいいかなとは思ってるのだが、少し前に、音訳の先生から教えていただいた「蜜柑」(芥川龍之介著)にえらく感動した。
ホントに、こういう純文学的なもので感動したのは久しぶりで、次に朗読する機会があったらこれにしようと思ったくらいだ。
しかし、これは冬の話である。
このクソ暑い時に聞く話じゃないよな〜
その流れでふと思い出したのが、高2の時の現国の教科書に載っていた「洟をたらした神」(吉野せい著)
多感な頃とはいえ、教科書なんてクソ(・・・そろそろ口を慎め)と思っていた頃である。
が、ワタクシ、この話だけはいたく感動した。
教科書に載ってくるくらいだから、みんな知ってる?と思ったが周りには知ってる人はいない。
吉野せいという明治生まれの女性は、小学校の教員をした後、詩人と結婚し、阿武隈山麓の開墾者として生きた。
厳しい自然、貧しい生活、弱くも逞しくもある人々の姿を、70歳を過ぎてから書き始めた。
表題となっている「洟をたらした神」は、彼女の息子のことを書いた話である。

6歳のノボルは、昼間は妹リカを背中にしょわされているから友達と遊べない。
姉のタヅに教わった♪ぎんぎんぎらぎらゆうひがしずむ♪を上手に歌う。
大声で歌うそれを聞くと母はたまらなくなって彼を大声で呼ぶ
背中から重いリカを下ろしたノボルは脱兎のごとく遊びに行く。
ノボルは何かを作ることが上手だ。
竹とんぼも、コマも自分で作った。
そんなノボルが、2銭のかねをせがんだ。
ヨーヨーが欲しいと。
ノボルがねだるのは初めてのことだったが、母は2銭で買えるものを思いつつノボルに
「小学校に入ったらアレもコレも買ってやる。ヨーヨーなんてつまんねえぞすぐ飽きるぞ」
ノボルはその日一日姿を見せず、母は色々不吉なことを思ったり、貧乏を思ったり、後悔や哀れな感情を持って過ごす。
そして、その夜。
薄暗い小屋の中に親子の歓声が上がる。
ノボルがヨーヨーを作り上げたからだ。
せまい小屋の中から満月の輝く戸外に飛び出したノボルは、
得意げに右手を次第に大きく反動させて、光の中で球は上下をしはじめた。
『それは軽妙な奇術まがいの遊びというより、厳粛な精魂の怖ろしいおどりであった』
 
ワタクシの拙いあらすじ説明では、良さが伝わらないと思うので是非読んでいただきたい。
高校生のワタクシは、ほほ〜っと思った。ノボルすげーなと思った。
今思うと軽いいじめか?と反省するのだが、おとなしい素朴な男子に「ノボル」とあだ名をつけた。
(後日、同窓会で会ったノボルが、警視庁だかにお勤めで、なんかエラソーになっててガッカリした)
しかし、今この歳になって読み返してみると、ノボルより母の気持ちの方に寄り添い過ぎて、泣けて泣けてしょうがない。
教科書は途中をはしょったりしてたこともあるが、全文読むと、貧乏を子供にしょわす親の辛さがもう切なくて切なくて。
コレは危険かもしれぬ。緊張しながら読むあまり、あるいは感情が入ってしまうかもしれぬ(基本音訳は感情を入れない)
面白すぎるのは笑って読めなくなりそうだし、感動モノは泣きそうになるし、どうすりゃいいのよって感じだ。
本探しはまだまだ続く。

今日の一枚は、我が家の神「イチ」
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朗読に適した本探し

2016年09月03日 | ボランティア
9月3日(土)晴れ

北陸旅行だのRSPだの送別ランチだの浮かれて、ボランティア活動をサボっていた夏。
先日久々の会合に顔を出すと・・・
鬼会長がさらりと「nさん!次の朗読会、お願いするよ。先週お休みだったからそれをいいことに決めてしまったから!」
お隣のHさんが申し訳なさそうな小声で「欠席裁判ね」
え〜〜〜っっっ!
何度か、ご指名は受けつつも「金曜日は仕事なので・・・」
会長「仕事って夕方だろ?朗読会は1時から30分間だけだよ。さっと読んでさっと帰っていいから!」
n「え〜〜〜っ!なんか落ち着かないし・・・」と、子どもの様な言い訳をし続けていた。
が、とうとう逃げられないところまできてしまったってことね。

さて、何を読もうか(自分で読むものを選ばねばならない)
前回は、会長が「落語の本」から落語をやった。
その前は小川糸さんの、ちょっと感動系のやつ。
その前は海老名香葉子さんの、戦争関係の泣ける感じ。
その前は時代小説だったかなあ、でも導入部だけで、あとはCDにするから聞いてね、というパターン。
ワタクシの希望としては・・・おもしろいもの、ちょっと話題になったもの、読みやすいものにしたい。
で、キチンと終わりにしたい。
本屋さんをのぞいてみる。
最近、本を読んでない。さらには流行りの本を知らない。
ざ〜っと見渡しながら・・・
文藝春秋9月号に『コンビニ人間』全掲載とある。
これどう?話題になったよね。
ただ、時間的にどうだ?30分では読み終わらなそうだな。
となると、直木賞のほうの『海の見える理髪店』どうよ。
これって短編集でしょ?30分くらいでまとまりそうなものないかな。
昨日は久し振りに近所の小さい図書館に行き、なんとなく気になったもの三冊借りてきた。
群ようこ著『寄る年波には平泳ぎ』
佐野洋子著『私の息子はサルだった』
西加奈子著『まにまに』
結論から言うと、これらは雑誌に連載されてたエッセイなので一話だと短か過ぎるし、かといっておもしろいもの感動的なものばかりをチョイスしても少し伝わりにくいというかあざとさが出てしまう気がする。
とはいえ、まず『私の息子はサルだった』はあっという間に読み終えた。おもしろかった。
時々運が良ければ巡り合えるEテレ『ヨーコさんの言葉』
あの声の感じで淡々と読む。
男の子のアホさ真っ直ぐさかわいさなどを感じつつ、母の強さやおもしろさなどを感じつつ。
あ〜なんかに似てるこの感じ。
そうそう!西原理恵子著『毎日かあさん』だ。
そして、毎日かあさんではポン美さんというレトリバーに泣かされたが、この『私の息子は〜』では、犬の花子と息子に泣かされた。
強い母佐野洋子は、瀕死の飼い犬花子を病院に見舞った後、帰り道の車の中で「動物は動物らしく死ぬべきだ」と持論を展開する。
だから点滴なんてしてほしくないと。
中学生の息子は反論する。
「母さんは犬かよ、花子がもっと生きたいと思ってるかいないか、わかるのかよ。」
動物と人間を同じに考えては動物に失礼だ、ペットだからこそ、野生をそこなわないようにしてやるべきという母。
「じゃあなんで花子を飼ったんだ」と反論する息子。

    「動物っていうのは、もっと堂々と死ぬものだよ。点滴している犬なんか情けないよ。」
    「なんで死ぬって決めるんだよ。わかんないじゃないか。ひでえよ。」
    息子は握りこぶしでごしごし目を拭いた。中学生の男の子が泣く。
    もしかしたら、親の前で泣くなんて最後かもしれないな、と思って、
    じっくり見なきゃ損かな、と運転しながら横目でみた。

何度読み返してもここのシーンで泣けるので、絶対これは朗読できん!ボツっ!!!

そして・・この続き・・・
    しかし花子は死ななかった。
    次の日、頭を持ち上げ、立ち上がると、点滴の管を引きちぎったのだ。
    家へ連れ戻して庭へ放すと、ガブガブ水をバケツ半分くらい飲んだ。
    それから、ものすごく大きなあくびをして、尻尾をぷりぷり振った。
    息子はそれを見て、私の顔をにらみ殺すかと思うほどにらんだ。

いやぁ〜〜〜なんかすごい。この『にらみ殺す』ってのは、娘だけしか持たない母には想像もつかない。
いや、娘もにらみますよ、親の敵でも見るような目で、親を・・・
でも、にらみ殺されはしない。

そういう、自分とは違う視点からの子供というのがとても興味深い。
もう一カ所、同じその花子の話のところ。
    「ハナコ」ともう一度息子はささやいて、耳と耳の間をそっとなでた。
    私は一生の間、男にさえ、あんなに優しくなでられたことない、と思って見ていた。
    (中略)
    私は自分が死ぬ時、誰か一番愛している人に、手でも足でも握っていて欲しいと思っているのだ。

佐野洋子さんが亡くなる時、息子さんは手を握ってくれていたかなあ。
髪の毛をやさしくなでてあげてたかなあ。
ワタクシも、死ぬ時には娘に手を握っていて欲しいとは思うが、佐野さんとは少し違う感情のような気がする。
「毎日かあさん」を読んだときも感じたが、ワタクシはやっぱり娘で良かったなあと思う。
神様はよく見ている。
ワタクシは、ただただまわりの「息子を持つ母」の話をおもしろおかしく聞く側でよい。
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2015年01月11日 | ボランティア
1月11日(日)晴れ
 
ボランティアで、視覚障害者の方々に本やら区報やらを読むということをしている。
今年初の定例会の後、午後からは対面朗読だった。
お弁当を食べていると、いつもより30分も早く視覚障害者のTさんがいらっしゃる。
聞くと・・・
Tさん「今年もよろしくとご挨拶したくて、皆さんの定例会の終わりに間に合うように来ようと思ったの。
いつもより早くうちを出て、タクシーを拾えるとこまで行ったのよ。
タクシーの運転手さんが降りてきて、タクシーのところまで案内してくれたの。
タクシーのところに行くまでに「どちらまで?」って聞かれて「図書館まで」って言って。
ちょうどタクシーのドアを開けた時に無線が鳴って・・・
その運転手さん、「無線で予約が入ったから!」って、さ~って出て行っちゃったのぉ~。
唖然としちゃったわ。」
話を聞いてたワタクシ、悲鳴を上げる。
どういうこと?何それ!きーーーーっっっ!ひどくない?ヒド過ぎない?
淡々と話すTさん。怒りおさまらないn。
n「そいつに報復したいっ(怒)」
Tさんが笑いながら「nさん、こんなことでいちいち怒ってたらやってられないわよ。
こんなこと、た~っくさんあるわよ。
でも、見えないからね~どのタクシー会社だったかとか、どんな車だったかとかわかんないしね~」
図書館までの距離と、無線で入った予約の場所を天秤にかけたのか?
でも、普通は先に車止めたほうが優先でしょ。
ましてやそのお客さんが目が不自由だったら、何をか言わんや。
ていうか、そいつは、Tさんが目が見えないのをいいことに、(訴えられたりするおそれがないからね)
置き去りにしたとしか思えない。
サイテーだ。
あ~腹が立つっっっ。

今日の1枚は・・・
Tさんが、新年のご挨拶に!ってことでAmazonで取り寄せたのとおっしゃった「ラテマキアート」の素(?)
ホットミルクに溶かすげな!
これをボランティア会員全員分持って早めに到着して配るおつもりだった。
くーーーっ!返す返すも腹が立つ。
事故を起こすと世間に迷惑がかかるから、そのタクシーの運転手、ドアに指でも挟んで痛い思いをしろ!と呪いながらチョコを溶かすn(きゃーーーっ、nさん、やめて!コワイコワイ←優しいTさん心の声)
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新年会

2013年01月12日 | ボランティア
1月12日(土)晴れ
音訳ボランティアの会に所属しているのだが、
区の視覚障害者協会の新年会に参加した。
数年前にも一度参加し、お料理がおいしかったことと、かなりボリュームがあったことを記憶していたので
朝は、あんパン(←余談だがゴパンで作った。チョー美味!)1個だけにしておく。
寒いので、バスで行くかチャリで行くか迷うが、
めったに出かけない(運動しない)んだから、せめてこういう時くらいはと思いチャリにする。
こういう会にありがちな、区長さんはじめ、議員さんたちの挨拶が延々と続く。
数年前に参加した折にも挨拶された「平沢勝栄氏」
ちょうど民主に大敗した後だったが、いつの間にかたくみな話術で拍手を浴びておられた。
そして今回、奇しくも政権奪回できて、ますます気を吐かれるかと思いきや
意外とおとなしめ・・・
ま、調子に乗っちゃあいかんと自制されたのやも。
もう一人、「大西栄男」衆議院議員も御挨拶。
都議や区議の方の挨拶が延々と続くが、やはり、話の上手な人は得だなあと思いながら聞く。
それにしても、一時に始まった会、だいぶお腹ペコペコなんですけど!!!
やっと乾杯~~~となり、食事が始まる。

前菜は海老おから寿司 サーモン小川巻 鶏松風 湯葉八幡巻 金柑 黒豆 菜の花糸雲丹
吸い物は手まり湯葉胡麻豆腐 梅蒲鉾 袋茸 三つ葉 柚子
お造りは 鯛 鮪 海老花造り 彩り妻物
焼物は一口和牛ステーキ 和風帆立ぐらたん
煮物は穂付き筍 若布 慈姑 手まり麩 蕨
揚物は海老しんじょ 獅子唐 笹身梅しそ巻
蒸し物は茶碗蒸し(海老 鶏 椎茸 銀杏 百合根 三つ葉 柚子)
海鮮ちらし(ずわい蟹 とびっ子 刻み穴子 錦糸玉子 木の芽)
デザート コーヒー
手の込んだお料理はやはり美味しいなあとしみじみ反省しつつ、写真をとりまくる。
隣のMさんが「あら、nさん、おうちに帰ったら同じようにして作ろうと思ってるのね。写真撮って。」
n「ええ!もちろん。」とうそぶきつつ、次々と運ばれてくるお料理の写真を撮っては食べ、撮っては食べを繰り返すのであった。
そして、無事に会もお開きとなり、ベルトの穴をずらしてゆるめてから
また、寒風のなか元気にチャリをこいで帰ったのであった。

・・・nさん、新年会の感想というより、食べたもの覚え書きみたくなってるけど
ちゃんと例会では報告していただきますからねっ(会長心の声)
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フィクションノンフィクション

2012年11月19日 | ボランティア
11月19日(月)曇り

ワタクシの読書の幅はものすごく狭く浅い。
その幅を、少しだけ広げてくれたのが、ボランティア活動だ。
視覚障害者の為に文字を音訳するという会に入ったのは5年ほど前になるか。
今、ワタクシがやってる主な作業は・・・
*2ヶ月に一度、区の広報誌を録音する
*数ヶ月に一度、「NHK短歌」という月刊誌を録音する
*月に一度、対面朗読
*「真田太平記」を録音したものを聞いて、校正する
*「あの戦争から遠く離れて」という本を録音する

この活動を始めて「短歌」に少し興味を持ち始めた。
このことも、ワタクシ的には収穫。
自分で詠めるようになればもっといいのだろうが、なかなか短い字数で詠むのはむつかしい。
これは今後の課題。
いつの日か「朝日歌壇」に採用されたらご報告致します。

対面朗読では、視覚障害者の方が、読んで欲しい本を図書館に持ってこられ
2時間の間、2人のボランティアで交互に読んで差し上げる。
ワタクシが担当してるN藤さんは、おもしろい本や話題本を持っていらっしゃるのでとても楽しいが
別の方は「鉄道新聞」(日刊らしい・・・)らしい。
マニアック過ぎる・・・が、これもまたある意味、知らない世界への入口かもしれない。

「真田太平記」は全12巻。
ナイスミドルのおぢさまが年内読了を目指し、頑張って読んでらっしゃる。
ワタクシは、それを聞いて、誤読などをチェックする校正作業を引き受けている。
今、9巻目に突入。
「真田太平記」は、いわずと知れた池波正太郎著の歴史小説。
しかし、恥ずかしながらワタクシ、こういうジャンルのものがとても苦手。
9巻目まで読んでいても「あれ?この武将は徳川派だったっけ?豊臣派だったっけ?」というレベル。
でも、さすがにこういう長編ものは、盛り上がりがすごい。
おそらく今が一番盛り上がってると思う。
この、歴史に疎いワタクシですら、武将達の言葉に涙したりするくらいだ。
こういう世界もあったのねえ~

「あの戦争から遠く離れて」は、残留孤児だった父親のことを娘さんが書いたもの。
2008年大宅壮一ノンフィクション賞をとったものだ。
これまた、こういう世界には疎かったのだが
今、読み始めて「昔むかしの話じゃないんだ」という事実に愕然とする。
事実、この本を書かれた城戸久枝さんは、ワタクシよりも一回りもお若い女性である。
まだ4分の1も読めていないが、主人公(残留孤児)と養父母との愛情には涙する。
そして、彼が「日本人」であるということで苦労する様にも涙がでる。
これが、ノンフィクションの力か?
中国語読みの地名とか人名には苦労するけど、頑張って、なるべく聞きやすいように読んで、
利用者さんも最後まで聞いてくれるようなものを作ろうと小さく決意。

今日の一枚は・・・
先日行ったスカイツリータウンで買った『ずんだもち』
一度食べてみたかったのだ。
これなのね!ミスターを苦しめたヤツは!!!
コメント (2)
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