3月11日(土)晴れ
先日読んだ内館牧子氏の「今度生まれたら」は身につまされつつ面白くしみじみ考えさせられ、前向きな気持ちにもさせられ、かなり影響を受けている。
その中の一つのエピソードとして「〜なんかに」と言う言葉を考えさせられる。
辞書によるところの、ある事物を例示し、それを軽んじていう意を表す「なんか」である。
例文「彼の言うことなんか聞くな」「君になんかわからない」
主人公佐川夏江とその夫和幸には息子が二人おり、長男剛は結婚して一人娘がいる。
その子が幼稚園の年長さんの頃、「小学校は私立受けさせるの?」と聞くと、嫁がニコリともせず言い放つ。
「私は私立にやりたいんです。だけどうちなんかじゃとてもとても」
この時の事を、夏江は十年ほど経った今、思い出している。
剛が妻にないがしろにされ、帰宅恐怖症らしき兆候を見せられている今。
もう一つエピソードがある。
夏江の姉信子とその夫は、高校の同級生夫婦で、仲良し夫婦だった。
その夫芳彦と信子が離婚するという。
美人でぶりっ子で有名だった愛称バンビと同窓会で再会し、彼女と人生やり直したい言う。
美人で男子生徒みんなが憧れていたバンビだったが、その頃からずっと俺には信子がいると言ってた芳彦ではないのか!
読んでいるワタクシまでなぜ?なにゆえ?あたしゃあんたがた家族が理想だったよっっ
高校時代から付き合ってた女と結婚し、娘も生まれて仲良く幸せで、娘が結婚したら娘婿とも仲良くて、4人でしょっちゅう居酒屋行って、習いたての妻の下手くそなセーターも平気で着るようないいヤツという認識で読み進めていたのに・・・
昔から「芳彦は、俺には信子がいる」と言ってバンビに関心を示さなかったんじゃないのかと問われると
「高校時代からずっとバンビが好きでした。」と。
そして、「俺なんか」と思って最初から引いていたと。
これには夏江の夫和幸が激昂「俺なんかには信子がちょうどだって、そう言う事ですよね?」
ああ、こう言うところかっ!ワタクシの、人を見る目がないところとは。
和幸はどうにもエリート臭が抜け切れない上に、退職してケチになって、妻の話はまず否定形から入り・・・と嫌な一面だけを見てきた。
それが今ちょうどこの場面で逆転し、芳彦は地に落ち、和幸の株は暴騰する。
そして、今後二度と「私なんか」「〜なんか」というワードは使うものかと思うのであった。
そんなワタクシが、日を三日とあけず、この「〜なんか」に苛立つ日が来るとは。
夫と、何の話からだったか、本籍地の話になった。
今、ワタクシ達夫婦の本籍は夫の実家になっている。
特にこだわりを持って生きている人間ではないし、不便さも感じないのでそのままだ。
終のすみかが決まった今、本籍地はここに移せばいいのでは?と言うと、嫌だと言う。
へ?何で?戸籍謄本が必要になった時、わざわざ取りに行ったり、取り寄せたりするのめんどくさくない?
しばしの押し問答の後、ヤツが言い放った。
「誰が、こんなところなんかに」
ワタクシは、この家が非常に気に入っている。
これはもう100回くらい書いている事だし、かと言って、ここが万人受けする家だとは思わない。
しかし、何がすごいって、気に入らない家を買える我が夫に驚く。
妻が絶対ここって言い張ったから仕方なく・・・
仕方なく家って買える?
ワタクシは買えない。
いや、予算というものがあるから、いろんなことは妥協してきた。
でも、「こんなところなんか」と言う家に大金(あくまで我が家レベルで)払える神経は持ち合わせていない。
鹿児島に帰ってきてからすぐ始めた家探しの中で、ワタクシは夫が探し求めている理想の家は最後まで分からずじまいだった。
嫌な事はいっぱい聞いた。
ベロコン住宅のような建物は嫌だ(昔流行ったでしょ、コンクリート住宅)
入口が階段になっているところは嫌だ
まあ、日当たりがいいとか駐車場は必須というのは同意!だが、何十件も物件を見てきた中で一個も彼の「推し物件」は無かった。
だから彼がどういう家が好きかはいまだに不明。
自己主張を良しとしない人ゆえ、妻に押し切られたというなら言え。
そうでもなきゃ、未だに妻の実家に居候の身だぞ。
ハラワタが煮えくり返る思いだが、こればかりはどうしようもない。
ただ、こうなったら家の事を夫と楽しむ事はできないということだ。
なら、ワタクシなりに楽しむ。
これまた夫から反対されていることだが、実家にある古いピアノ、これを夫が死んだらこの家に持ち込もう。
庭の木も、枯れ木ですら切らないと夫が言うので我慢しているが、夫が死んだら枯れ木はバッサリ切って、ハクモクレンとミモザの木を植えよう。
自分が思う好きな所に。(先日買った南高梅は不本意な場所に植えたことを根に持っている)
邪魔になるなら、ツツジは植え替えるなり欲しい人にあげるなりすればいいのだ。
それより何より、入り口の工事をまずやろう。
門柱を少し広げて、枯れた木を一本抜けば、軽自動車な前進で家に入れて敷地内でUターンして前進で出られるようになるだろう。
今は、バックでそろりそろりと家に入っていかねばならず、玄関までが長い上に微妙に曲がっているのでプチストレス。
これらを実現するためにも健康に気をつけて、たとえ一日でも、夫より長生きせねばならぬ。
今日の一枚は・・・
庭の馬酔木の花が咲き始めました。
桜も、ソメイヨシノじゃないヤマザクラだからもう満開に近いくらい咲いておる。
こんな夢のようなおうち、そんじょそこらには無いっつーの。
先日読んだ内館牧子氏の「今度生まれたら」は身につまされつつ面白くしみじみ考えさせられ、前向きな気持ちにもさせられ、かなり影響を受けている。
その中の一つのエピソードとして「〜なんかに」と言う言葉を考えさせられる。
辞書によるところの、ある事物を例示し、それを軽んじていう意を表す「なんか」である。
例文「彼の言うことなんか聞くな」「君になんかわからない」
主人公佐川夏江とその夫和幸には息子が二人おり、長男剛は結婚して一人娘がいる。
その子が幼稚園の年長さんの頃、「小学校は私立受けさせるの?」と聞くと、嫁がニコリともせず言い放つ。
「私は私立にやりたいんです。だけどうちなんかじゃとてもとても」
この時の事を、夏江は十年ほど経った今、思い出している。
剛が妻にないがしろにされ、帰宅恐怖症らしき兆候を見せられている今。
もう一つエピソードがある。
夏江の姉信子とその夫は、高校の同級生夫婦で、仲良し夫婦だった。
その夫芳彦と信子が離婚するという。
美人でぶりっ子で有名だった愛称バンビと同窓会で再会し、彼女と人生やり直したい言う。
美人で男子生徒みんなが憧れていたバンビだったが、その頃からずっと俺には信子がいると言ってた芳彦ではないのか!
読んでいるワタクシまでなぜ?なにゆえ?あたしゃあんたがた家族が理想だったよっっ
高校時代から付き合ってた女と結婚し、娘も生まれて仲良く幸せで、娘が結婚したら娘婿とも仲良くて、4人でしょっちゅう居酒屋行って、習いたての妻の下手くそなセーターも平気で着るようないいヤツという認識で読み進めていたのに・・・
昔から「芳彦は、俺には信子がいる」と言ってバンビに関心を示さなかったんじゃないのかと問われると
「高校時代からずっとバンビが好きでした。」と。
そして、「俺なんか」と思って最初から引いていたと。
これには夏江の夫和幸が激昂「俺なんかには信子がちょうどだって、そう言う事ですよね?」
ああ、こう言うところかっ!ワタクシの、人を見る目がないところとは。
和幸はどうにもエリート臭が抜け切れない上に、退職してケチになって、妻の話はまず否定形から入り・・・と嫌な一面だけを見てきた。
それが今ちょうどこの場面で逆転し、芳彦は地に落ち、和幸の株は暴騰する。
そして、今後二度と「私なんか」「〜なんか」というワードは使うものかと思うのであった。
そんなワタクシが、日を三日とあけず、この「〜なんか」に苛立つ日が来るとは。
夫と、何の話からだったか、本籍地の話になった。
今、ワタクシ達夫婦の本籍は夫の実家になっている。
特にこだわりを持って生きている人間ではないし、不便さも感じないのでそのままだ。
終のすみかが決まった今、本籍地はここに移せばいいのでは?と言うと、嫌だと言う。
へ?何で?戸籍謄本が必要になった時、わざわざ取りに行ったり、取り寄せたりするのめんどくさくない?
しばしの押し問答の後、ヤツが言い放った。
「誰が、こんなところなんかに」
ワタクシは、この家が非常に気に入っている。
これはもう100回くらい書いている事だし、かと言って、ここが万人受けする家だとは思わない。
しかし、何がすごいって、気に入らない家を買える我が夫に驚く。
妻が絶対ここって言い張ったから仕方なく・・・
仕方なく家って買える?
ワタクシは買えない。
いや、予算というものがあるから、いろんなことは妥協してきた。
でも、「こんなところなんか」と言う家に大金(あくまで我が家レベルで)払える神経は持ち合わせていない。
鹿児島に帰ってきてからすぐ始めた家探しの中で、ワタクシは夫が探し求めている理想の家は最後まで分からずじまいだった。
嫌な事はいっぱい聞いた。
ベロコン住宅のような建物は嫌だ(昔流行ったでしょ、コンクリート住宅)
入口が階段になっているところは嫌だ
まあ、日当たりがいいとか駐車場は必須というのは同意!だが、何十件も物件を見てきた中で一個も彼の「推し物件」は無かった。
だから彼がどういう家が好きかはいまだに不明。
自己主張を良しとしない人ゆえ、妻に押し切られたというなら言え。
そうでもなきゃ、未だに妻の実家に居候の身だぞ。
ハラワタが煮えくり返る思いだが、こればかりはどうしようもない。
ただ、こうなったら家の事を夫と楽しむ事はできないということだ。
なら、ワタクシなりに楽しむ。
これまた夫から反対されていることだが、実家にある古いピアノ、これを夫が死んだらこの家に持ち込もう。
庭の木も、枯れ木ですら切らないと夫が言うので我慢しているが、夫が死んだら枯れ木はバッサリ切って、ハクモクレンとミモザの木を植えよう。
自分が思う好きな所に。(先日買った南高梅は不本意な場所に植えたことを根に持っている)
邪魔になるなら、ツツジは植え替えるなり欲しい人にあげるなりすればいいのだ。
それより何より、入り口の工事をまずやろう。
門柱を少し広げて、枯れた木を一本抜けば、軽自動車な前進で家に入れて敷地内でUターンして前進で出られるようになるだろう。
今は、バックでそろりそろりと家に入っていかねばならず、玄関までが長い上に微妙に曲がっているのでプチストレス。
これらを実現するためにも健康に気をつけて、たとえ一日でも、夫より長生きせねばならぬ。
今日の一枚は・・・
庭の馬酔木の花が咲き始めました。
桜も、ソメイヨシノじゃないヤマザクラだからもう満開に近いくらい咲いておる。
こんな夢のようなおうち、そんじょそこらには無いっつーの。