9月30日(月)晴れ
老母のお付き合いの事をとやかく言っているが、現実的な話をすれば、誰の目から見ても、老母は人づきあいが上手で誰とでも仲良く楽しくやっている。
ただ、老母とは性格が真逆なワタクシの目から見るとその付き合い方が癇に障るというだけの話。
とはいえ、そんな老母の血がワタクシの中に流れているのも感じられて、ジレンマ。
ワタクシが思う「無償の愛」は、「子」だけにある。
我が娘に対して「何も惜しくない」「何より大事」「なにものにも変え難い」
ちょっと話はズレるが「子」には猫も含まれる。
よって、夫には無償の愛は与えられないけど、イチには無償の愛を与えられる。
話を戻そう。
これはあくまでワタクシの持論であって、家族親族、はたまた全人類に無償の愛を与えられる神のような方もおられるかもしれない。
ワタクシが、「子にだけ」という話。
老母は愛の人だから、夫にも息子にも娘にも無償の愛を与えてきたわと言い張るかもしれない。
ま、これは自己申告だから「はいはい」とハイを2回言っておこう。
その無償の愛には差があるのではないですか?と嫌味を飲み込みながら。
では、無償の愛を与えられない、「子」以外の人達とどう付き合っていくか。
持ちつ持たれつ。
「物」のやり取りで語るのは少々乱暴だし品が無いが、わかりやすいのでまずここから。
ワタクシは、老母の血が流れているという事もあって、頂き物をしたらお返しをするのは当たり前とは思っている。
だから、くれくれ言ってもらって行くわりには何のお返しもない人とは仲良くなれない。
いや、こんな人は滅多にいない。
過去に一人だけ。
東京での同僚N田さんだけだ。
同僚だしご近所という事もあり、ランチやお茶をして、時々はうちでランチという事もあった。
美味しい美味しいと食べてくれて、「今夜の晩ごはんに出したいから」と鍋に残ってる分まで持って帰ってくれたりして気分は悪く無いのだが・・・
おしゃべりの中で、やたらと貰い物が多い話。
ご主人がお医者様という事もあってか、盆暮れになるとお酒が届いて困ると。
ご主人も彼女も飲まない。
もしや、捨ててるのか?(飲まない人には捨てても惜しくないのであろう)
話の中で、うちは夫婦とも飲むという話をした事あるんだから、「要らない?」くらい言っても罰は当たらんよ。
ご主人の実家から筍やらが届くのもイヤと言っておられた。
とにかく料理が嫌いな彼女、生の筍くらい困るものはないと。
ワタクシ筍大好きよ、下茹でしてあげるよと言っても持っては来ない。
捨てたのか???
物だけならまだ我慢もしよう。
彼女は、愚痴の多い人だった。
問題の多い夫と、問題の多いひとり娘。
悩みは人に話すと楽になるからね、精神病んで病院に通ったりしていたので、同情して話を愚痴を聞いていた。
でも、おしゃべりって相互関係でしょ普通は。
彼女の愚痴の合間に、ワタクシが喋ると、途端に眠そうな顔になるのはなぜ。
ワタクシの話は退屈か?
いつもお昼寝をすると言っていたから、ちょうどその時間なのか?
そういうのが続いて、でもワタクシはかなり頑張った。無理をしていた。
そして、東京を去ることで彼女との縁は切っても良かろう。
彼女も、簡単に愚痴を聞いてもらえない場所にいるワタクシには、もう付き合うメリットは感じないであろうと、ラインを削除した。
長い苦行がひとつ終わった気がした。
この経験を踏まえて、「お返し」の発想のない人とは付き合えないと思っている。
持ちつ持たれつの精神が無い人とは仲良くなれん。
これは親子間夫婦間にも言える事。
いや、娘には求めないよ、イチにも。
娘もイチも、生きていてくれるだけでいいのよ。
老母には夫には、「持ちつ持たれつ」「もらったら返す」「してあげたらして返す」
このバランスが大事。
今、このバランスが非常に危ういのが我が夫。
ワタクシの存在を「空気」とでも思ってるのか?
「空気」なわけないじゃん。
自分の連れ合いの事を「空気みたいな存在です」と、まるで褒め言葉のように言う人がいるけど、大抵の場合それは「自分の邪魔にならない」というだけの話だ。
わたしゃまだ「毒」と思われたほうがマシだわ。
という事で・・・
夫よ!ワタクシはあなたからもらった分だけお返しするし、あなたにもきちんとお返しは要求しますからねっ。
「持ちつ持たれつ」
ふとぶとと墨字で書いて、床の間に下げておこうかしら。
今日の一枚は・・・
ゴーヤは無残な結果に終わったが、キュウリはベストなタイミングで実り始めた我が家のグリーンカーテン。
先日見かけた物産館では1本100円の高値。
早速老母にお届けしなくちゃ!お返しのお返しの・・・