浄土真宗親鸞会講師のブログです☆
キーワードは人生、生と死、因果の道理
人生の目的(生きる目的・なぜ生きる)、無明の闇、歎異鈔
真実の自己、親の大恩、自殺、誹謗中傷、
仏教、対カルト、宗教被害、後生の一大事・生死の一大事、
文学、哲学科学、映画、音楽など♪
今日は、中国は漢の最盛期、武帝の言葉に学びます!
(大意)
歓び、楽しみの絶頂に、哀しさ、空しさが胸の内に満ちてくる。
若く、元気な時はアッという間に過ぎ去り、
人は老い、やがては死んでゆかなければならない。
この哀しくも儚い現実をどうすればよいのか
●漢の武帝(生没年・前156~前87、在位・前14~前87)
前漢帝国の第七代皇帝。
富みと絶大な権勢を誇り、中国世界の全土を支配し、
漢時代の最盛期を生き抜いた。
**********************************
武帝の開く宴は盛大至極のものでした。。
だが、そのさ中、胸に去来するのが「哀しみの情」。
「歓楽尽きて 哀情多し」とも言われるが、
栄枯盛衰、盛者必衰で、幸せは長くは続きません。
老いと病と死は、なんぴとも避けることは出来ないのです。
武帝も始皇帝も、ともに不老長生を求めましたが、
忍び寄る死の影に脅え、心安んずることは、ひとときとして
なかったのではないでしょうか。
裸で生まれ裸で死んでいくのは、庶民も皇帝もなんら変わり
はありません。。
いえ、この世の幸せを極めたなればこそ、現実に直面する
老いや死は、耐え難い、落差として感じられたことでしょう。
『史記』には次のような言葉もあります。
「物事は、極端にまで立ち至れば、初めに還(かえ)る」 『春申君列伝』
「酒が極まれば乱れ、楽しみが極まれば悲しい」 『滑稽列伝』
権力者だけでなく、私たちも、私たちのレベルで、やはり
「歓楽尽きて 哀情多し」ですよね。
「むなしさの心理学」という本によれば
若者の8割が虚しさを感じているらしいです。
また、人生は不安に満ちていると思うという学生も7割近くあると
言われます。
漠然とした虚しさや満たされなさを抱えている人が多くあって、
そんな気持ちをごまかしながら、私達はなんとかと生きている
ように感じます。
これでいいのか。人生ってこんなものなのか。
一つ成し遂げた後、ぽっかりと心の中に穴があいたようになります。
体育祭や学園祭の後の淋しさ、つまんなさ。
『さざえさん症候群』というのがあるらしい。(ほんとに!)
「一週間のうちに、日曜日が一番暗い」という人が多いですよね。
明日からまた学校があるから。
食事をしながら、さざえさんを見ている間は、
なんとなく平和だったのに、そのさざえさんが終ると
やり残した宿題やらと現実が戻ってきて一気に暗くなっちゃう。
「おもしろうて やがてかなしき 烏飼いかな」
と歌ったのは俳聖芭蕉。
烏飼い、岐阜県の長良川の夏の風物史。
烏の首にひもをつけ、
魚をつかまえたころに、引き寄せて魚をとる。
その光景が面白く、多くの人が集まってくる。
だけど、面白かった楽しかったと興じているのもつかの間。
やがて哀しさだけが残ってしまう。
盛り上がりが大きければ大きいほど、
それが過ぎると消えてしまうと、おもしろいことが終ると、
一気に虚しくて、寂しい気持ちになります。
芥川龍之介は「ぼんやりとした不安」と言っています。
この空しさ淋しさは、確実な未来であり、どうなるか分からぬ暗い
「死」の問題が根底にあると言われます。
人は未来が暗いと現在も暗くなる。
1時間後の注射
3日後のテスト
1週間後の手術
現在が暗いのは、未来が暗いから。
死後の不安と現在の不安は切り離せない。
暗い未来を抱えて、現在を明るく生きることは出来ませんよね。
どんなに楽しく生きたいと思っても、死によって突然真っ暗な世界に
突き落とされるという100%確実な未来をみんな抱えているわけです。
その死に向かって突っ込んでいるのが私たち。
だから、どれだけ考えないようにしてみても誤魔化そうとしてみても、
暗い未来を抱えたままでは、今を明るくしようとしても一過性に
ならざるをえないのだといわれます。
漢の武帝の富や権力でも太刀打ちできなかった、この「死」に
ノーガードでつっこんで本当に大丈夫でしょうか?
金や力では勝てない死には別のアプローチが必要です。
古来、
「無常を観ずるは菩提心の一なり」といわれるように、死という
確実な未来をみつめることが、本当の幸せ(菩提)を求める心の
出発点となるでしょう。
将棋や碁の世界と同じように、先を読める人が、知恵の優れた人。
人生の名人も先が読める人。
未来を読み、その暗い心の解決をした人こそ、
後悔のない人生を送れる人。
死ななくなることはできませんが、いつ死んでも悔いの無い心にはなれるのです!
キーワードは人生、生と死、因果の道理
人生の目的(生きる目的・なぜ生きる)、無明の闇、歎異鈔
真実の自己、親の大恩、自殺、誹謗中傷、
仏教、対カルト、宗教被害、後生の一大事・生死の一大事、
文学、哲学科学、映画、音楽など♪
今日は、中国は漢の最盛期、武帝の言葉に学びます!
「秋風辞」(『文選』漢の武帝) |
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(大意)
歓び、楽しみの絶頂に、哀しさ、空しさが胸の内に満ちてくる。
若く、元気な時はアッという間に過ぎ去り、
人は老い、やがては死んでゆかなければならない。
この哀しくも儚い現実をどうすればよいのか
●漢の武帝(生没年・前156~前87、在位・前14~前87)
前漢帝国の第七代皇帝。
富みと絶大な権勢を誇り、中国世界の全土を支配し、
漢時代の最盛期を生き抜いた。
**********************************
武帝の開く宴は盛大至極のものでした。。
だが、そのさ中、胸に去来するのが「哀しみの情」。
「歓楽尽きて 哀情多し」とも言われるが、
栄枯盛衰、盛者必衰で、幸せは長くは続きません。
老いと病と死は、なんぴとも避けることは出来ないのです。
武帝も始皇帝も、ともに不老長生を求めましたが、
忍び寄る死の影に脅え、心安んずることは、ひとときとして
なかったのではないでしょうか。
裸で生まれ裸で死んでいくのは、庶民も皇帝もなんら変わり
はありません。。
いえ、この世の幸せを極めたなればこそ、現実に直面する
老いや死は、耐え難い、落差として感じられたことでしょう。
『史記』には次のような言葉もあります。
「物事は、極端にまで立ち至れば、初めに還(かえ)る」 『春申君列伝』
「酒が極まれば乱れ、楽しみが極まれば悲しい」 『滑稽列伝』
権力者だけでなく、私たちも、私たちのレベルで、やはり
「歓楽尽きて 哀情多し」ですよね。
「むなしさの心理学」という本によれば
若者の8割が虚しさを感じているらしいです。
また、人生は不安に満ちていると思うという学生も7割近くあると
言われます。
漠然とした虚しさや満たされなさを抱えている人が多くあって、
そんな気持ちをごまかしながら、私達はなんとかと生きている
ように感じます。
これでいいのか。人生ってこんなものなのか。
一つ成し遂げた後、ぽっかりと心の中に穴があいたようになります。
体育祭や学園祭の後の淋しさ、つまんなさ。
『さざえさん症候群』というのがあるらしい。(ほんとに!)
「一週間のうちに、日曜日が一番暗い」という人が多いですよね。
明日からまた学校があるから。
食事をしながら、さざえさんを見ている間は、
なんとなく平和だったのに、そのさざえさんが終ると
やり残した宿題やらと現実が戻ってきて一気に暗くなっちゃう。
「おもしろうて やがてかなしき 烏飼いかな」
と歌ったのは俳聖芭蕉。
烏飼い、岐阜県の長良川の夏の風物史。
烏の首にひもをつけ、
魚をつかまえたころに、引き寄せて魚をとる。
その光景が面白く、多くの人が集まってくる。
だけど、面白かった楽しかったと興じているのもつかの間。
やがて哀しさだけが残ってしまう。
盛り上がりが大きければ大きいほど、
それが過ぎると消えてしまうと、おもしろいことが終ると、
一気に虚しくて、寂しい気持ちになります。
芥川龍之介は「ぼんやりとした不安」と言っています。
この空しさ淋しさは、確実な未来であり、どうなるか分からぬ暗い
「死」の問題が根底にあると言われます。
人は未来が暗いと現在も暗くなる。
1時間後の注射
3日後のテスト
1週間後の手術
現在が暗いのは、未来が暗いから。
死後の不安と現在の不安は切り離せない。
暗い未来を抱えて、現在を明るく生きることは出来ませんよね。
どんなに楽しく生きたいと思っても、死によって突然真っ暗な世界に
突き落とされるという100%確実な未来をみんな抱えているわけです。
その死に向かって突っ込んでいるのが私たち。
だから、どれだけ考えないようにしてみても誤魔化そうとしてみても、
暗い未来を抱えたままでは、今を明るくしようとしても一過性に
ならざるをえないのだといわれます。
漢の武帝の富や権力でも太刀打ちできなかった、この「死」に
ノーガードでつっこんで本当に大丈夫でしょうか?
金や力では勝てない死には別のアプローチが必要です。
古来、
「無常を観ずるは菩提心の一なり」といわれるように、死という
確実な未来をみつめることが、本当の幸せ(菩提)を求める心の
出発点となるでしょう。
将棋や碁の世界と同じように、先を読める人が、知恵の優れた人。
人生の名人も先が読める人。
未来を読み、その暗い心の解決をした人こそ、
後悔のない人生を送れる人。
死ななくなることはできませんが、いつ死んでも悔いの無い心にはなれるのです!
また語り合いましょう、ね!!
なぜ生きなくてはならないかわからなかったから。
いろんな死に関する本を読んで勉強しました。
それを読んで死後の世界を知りましたよ。
感動して魂が打ち震えるなんて、すごい賞賛です。
私がびっくりしました。(^^)
『死んだら今より恐ろしい所に行くのでは。。。という不安が心の底にあるから人は死を恐れるそうなんです。あの世なんてないと思ってる人も、魂は知っているんです。
「死は怖い」のは、死後どんな世界が待ち受けているかわからない不安から来るんです。
ぼんやりではない、心は確実に知っているんです。』
このコメントにぱんだ大変感動しました!
魂が打ち震えました!やっぱり、そらさん、
あなたただ人ではありませんね!
何か「死」について勉強しておられるのですか?
睡眠不足大丈夫?
自分自身も社会も明るい未来を持たねば
なりませんよね!
今は未来も現在もまっくらって感じですものね。
makiko会長のご活躍に期待しております!
「死は怖い」のは、死後どんな世界が待ち受けているかわからない不安から来るんです。
ぼんやりではない、心は確実に知っているんです。
もし人生を精一杯生きたら、悔いは残らず逝けると思うんです。そういう人はそんなにいないかもしれませんが。
その人がまだやり残したことがあるから「死は怖い」んでしょうね。
やり残しなく死ねたらいいですね~。
だって、一人一人がそうなるって信じてたら、なる気がするんだもん!
若者が未来に希望を見出せないのは問題だ。
これは、私達大人が悪いぞ。
何とか若者が明るい未来を期待できる社会にしてから死なないと。
何が出来るかまた考えてみるわ。ぱんだちゃんいつも有難うね!クリックしまくって帰ります。