木原光知子さん死去 東京五輪競泳代表(共同通信) - goo ニュース
東京五輪競泳代表であり、各方面で活躍していた
木原光知子さんが亡くなりました。
記事を読んでいたら、心に残る言葉がいくつもありましたので、
紹介させてもらいます。
「私自身が大切にしてきたのが、素直さ、真剣さ、敏感さの3つです。
それはつまり、
周りの意見を聞く素直さ、
練習に取り組む真剣さ、
人のいいところを感じ取ったり、今、自分に何が必要なのか
といったことをきちんと感じ取れる敏感さ
ということですね。
それぞれが持っているいい資質を伸ばせるかどうか。
この3つがすごく大切なんじゃないかと思います。
・・・・・・
なるほど、そのとおりですね。
技術以上に、心がけを大切にされていたことがよく分かります。
●すべて自分の責任
水泳は道具を使わないスポーツですよね。
自分の身ひとつで競い合うスポーツですし、
泳ぐコースも決まっています。
「ヨーイ、ドン!」といったら、もうだれも助けてはくれません(笑)。
自分の手足を使って水をかいて、自分で息継ぎをするしかない。
道具を使わないのだから、道具のせいにはできない。
すべて自分の責任です。
人として生きていくうえで、必要な要素がたくさん含まれています。
単純なスポーツゆえに難しい。
それが水泳の魅力であり、面白さじゃないでしょうか。
泳ぐことをやめたら沈んでしまうだけですから、
常に水と戦い、それでいて水と調和しなければいけない。
人生に相通ずるところがたくさんありますね。
・・・・・・
スポーツをスポーツだけに終わらせず、人生に結びつけて
考えておられるところが素晴らしいと思いました。
つい他人のせいにしてしまいがち。
「すべて自分の責任」と腹をくくることはとても大事なことですね。
元記事はコチラ
SPORTS PERSON vol.4(スポーツ・ジャスト2005年9月号)
水泳 木原光知子さん
Michiko Kihara
1962年、中学2年生のとき、地元の岡山国体に出場し、100メートル背泳ぎで3位。「天才美少女スイマー」として大いに脚光を浴びる。そして64年、東京オリンピックに高校1年生で出場(当時、最年少)。400メートルメドレーリレーでアンカーを務め、4位入賞に貢献する。また、66年のアジア大会、67年のメキシコオリンピックプレ大会の100メートル自由形で優勝。その後、現役を引退し、水泳の指導・普及に尽力している。「水泳は有酸素運動であり、全身運動。とても健康的なスポーツですよ」と、子どもから高齢者まで年齢を問わず、指導にあたる。ミミスイミングクラブ代表。
「素直さ、真剣さ、敏感さ」を大切に
一生懸命に遊ぶ
子どものころの私はとにかく活発で、魚釣りをしたり、どこかの家の柿を取ったり、イチジクを取ったりして(笑)、毎日のように外で駆けずり回っていました。女の子に対してはあまり使わないでしょうけど、一言でいえば、ガキ大将でしたね(笑)。
夏休みになると、近所の友だちと一緒に県営プールにいって、暗くなるまで泳いでいました。まあ、泳ぐといってもただ飛び込んだり、石を投げ入れて、それをもぐって取ってきたり、夢中になって遊んでいたという感じですけど。
当時を思い出すと、いろいろなアイデアを出し合って、自分たちで工夫しながら遊んでいましたね。しかも一生懸命に。
親からものを与えられていないぶん、子どもたちは考えるしかなかった。逆に、だからこそ生きていくたくましさや知恵のようなものが育まれたんじゃないか、と感じます。
危ないこともしましたよ(苦笑)。でも、子ども心に「これ以上はやめておこう」といったラインもちゃんとわきまえていたというのはあるんじゃないですかね。
たとえば、今日は台風のあとだから、川の水かさが多くなっているし、色が違う。じゃ、魚釣りをするにしても泳ぐにしても注意しよう、と。
柿を取る、イチジクを取るというときも、とにかく一生懸命。だって、先にカラスに取られるか、私たちが取って食べられるか、競争でしたから(笑)。
上には上がいる
本格的に水泳をやり始めたのは中学1年生の6月、夏になる少し前のことでした。小学生のときの作文で、「将来は水泳選手になってオリンピックに出たい」というふうに書いていたのに、中学になって軟式テニス部に入っていました(苦笑)。
その傍ら、陸上の大会になると借り出されたり、そんな生活を送っていたのですが、小学校の恩師から「あのとき、こういうことを書いていたけど、どうしたの?」といわれ、その恩師の知り合いの水泳の先生に指導していただくことになったんです。
中学校の全国大会が初めて静岡で開催されるという話もあって、岡山県の予選で1位になれば全国にいける。だから、それを目指して頑張ってみよう、と。そんな感じで説得されて水泳を始めました。
実際、県予選で中学新の記録を出して、全国大会に行くことができましたが、全国大会ではまったく振るわず、上には上がいることを思い知らされましたね。先生と記念撮影をして、夜行で帰ったのを覚えていますよ(苦笑)。
それからというもの「どうやったら強くなるのか」を真剣に考えながらトレーニングしました。次の年に地元岡山で、国体が開催されることも自分にとって大きな意欲につながりましたしね。
こういっためぐり合わせがあって「今の私がいる」とつくづく実感しています。
そういうなかで、私自身が大切にしてきたのが、素直さ、真剣さ、敏感さの3つです。
それはつまり、周りの意見を聞く素直さ、練習に取り組む真剣さ、人のいいところを感じ取ったり、今、自分に何が必要なのかといったことをきちんと感じ取れる敏感さということですね。
それぞれが持っているいい資質を伸ばせるかどうか。この3つがすごく大切なんじゃないかと思います。
すべて自分の責任
水泳は道具を使わないスポーツですよね。自分の身ひとつで競い合うスポーツですし、泳ぐコースも決まっています。
「ヨーイ、ドン!」といったら、もうだれも助けてはくれません(笑)。自分の手足を使って水をかいて、自分で息継ぎをするしかない。道具を使わないのだから、道具のせいにはできない。すべて自分の責任です。
人として生きていくうえで、必要な要素がたくさん含まれています。単純なスポーツゆえに難しい。それが水泳の魅力であり、面白さじゃないでしょうか。
泳ぐことをやめたら沈んでしまうだけですから、常に水と戦い、それでいて水と調和しなければいけない。人生に相通ずるところがたくさんありますね。
なぜ、背泳ぎを選んだのか? それは水に顔をつけるのが嫌だったからですよ(笑)。
私が水泳を始めたのは、夏になる少し前という話をしましたが、掃除する前のプールで練習していたので、それこそフナが泳いでいたり、すごく汚かった。先生からは平泳ぎを勧められたのですが、「背泳ぎにします」と。
まあ、これは半分冗談として(笑)、背泳ぎを選んだのはやっぱり60年のローマオリンピックに出場した田中聡子さん(100メートル背泳ぎ銅メダル)にあこがれていたからだと思いますね。
我慢強く見守る
夏になると、5日間の短期水泳教室をやるんですが、その期間、練習してもうまく泳げない子がいます。でも、続ければ、6日目に息継ぎができるようになるかもしれない。25メートルを泳げなくても、いつか25メートルが泳げるようになるかもしれない。
だから、子どもの可能性を信じて「ぜひ続けてください」というんです。
成長していくには、子どもはもちろん、周りの大人、たとえば指導者や親が我慢しなければいけませんね。ところが、最初に「もうやめたら?」といってしまうのが親じゃないでしょうか。
「これから」というときにやめさせてしまうのはもったいない。ですから、親御さんには我慢強く、子どもたちの成長を見守ってほしいと思いますね。