幸福学専門30年 筬島正夫が語る本当の幸せ


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タモリの名言が効く「●を前提にしない学問は無意味だなぁ」

2018-12-03 | 幸せ

Source https://www.flickr.com/photos/o_0/8993333617 Author Guilhem Vellut


あなたは、タモリと糸井重里さんの、こんな会話をご存知でしょうか?



「タモリ」

世の中には、
もちろんいろいろな
学問があっていいんだけど、
寿命を考える年齢にさしかかると、
やっぱり、死を前提にしない学問は、
無意味だなぁと思うんです。


 


(糸井重里)
ほんとに、そのとおりだと思います。


(タモリ)
死を前提としない学問もありますからね。
「そこまで関わりあってるヒマはないよ」と。


(糸井重里)
つまり、
「自分に与えられたゲーム時間は
 だいたい、このぐらいだよ」
と知って生きているのか、
無限に生きるかのように生きているのか、
では、そもそも、思想が変わりますもんね。



(タモリ)
変わりますよねぇ……。

「今日で死ぬように生きなさい。
 永遠に生きるように生きなさい」

という言葉がよく言われまして、
理想としては、そうだよなぁとは思います。



※ほぼ日刊イトイ新聞 - タモリ先生の午後 より


タモリの

やっぱり、死を前提にしない学問は、無意味だなぁと思うんです

という言葉に糸井重里さんが、

ほんとに、そのとおりだと思います

と即答しているのを見て、私も思わず

ほんとにほんとに、そのとおりだと思います

と言ってしまいました。


最近は、ハーバード大学をはじめ、各地で「幸福論」「幸福学」が大人気なのですが、その幸福論は「生活の幸福論」と「人生の幸福論」とに分けて考えるといろいろ見えてくるんですね。


「生活の幸福論」と「人生の幸福論」とどう違うかというと、

「生活の幸福論」は、「死」を念頭におかない幸せな生き方を論じたもの。

「人生の幸福論」は、死を見据えた幸福論です。

今度、ある出版社から電子書籍を出版することになったのですが、この二つの幸福論について、こんなことを書いてみました。


 
実際、あまりに物質中心主義の世界となり、人の命、人間としての幸せが軽んじられているのが、現代の大きな問題の1つです。
そのことを思い知らされたショッキングな出来事を、ここで初めてお話しいたします。

ある夜、久しぶりに高校時代の友人から電話がかかってきました。
何ごとだろうと思いつつ、懐かしい気持ちで電話に出ました。しかし、友人の声は暗く沈んでいて、かつての快活な響きはありませんでした。そして、「今日のニュース、見たか」と言うのです。

その日は世間を騒然とさせる事件が巻き起こり、その話題で持ち切りでしたから、ピンときました。

○○小学校の無差別殺人事件のことか?

嫌な予感とともに答えると、友人は、しばらくの沈黙の後、話し始めました。

「実はな、俺の上司のお子さんが、あの殺人鬼に殺されたんよ。

でもな、あのニュースが流れて、自分の子供が殺されたって聞かされてもな、上司は大事な仕事で代わりがきかんからって、そのまま働かされ続けたんよ。

子供が殺されても働かせ続けるってどういうことやって、俺は腹が立つやら、悔しいやら、上司のことを思うともう何ともいえん気持ちになってな。もうこんな会社、辞めようと思う」

彼が勤めていたのは、人もうらやむ名の通った有名どころ。世間一般では、いわゆる「一流の会社」でした。

しかし、これが本当に、いい会社なのでしょうか? 


拝金主義社会は、人より金が偉い世界です。そんな世界に魅力など、これっぽっちも感じません。

モノが豊かなのが悪いと言う気はさらさらありません。しかしあまりにも物質中心主義、物質過剰主義の世界は、決して人を幸せにはしないでしょう。
ゆがんだ幸福論はゆがんだ世界を生み出します。

この観点からも、「生活の幸福論」より、もっと大事な「人生の幸福論」を知っていただきたいと、浅学菲才を省みず、この小著を世に出す決意をしたのです。

 


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