こんにちは、親鸞会講師の筬島です。
夏目漱石のデビュー作「吾輩は猫である」
「吾輩は猫である。名前はまだ無い」ではじまるユニークなこの小説には
鋭いメッセージがたくさん散りばめられています。(例えばコチラ)
最後は、こういうシーンです。
苦沙弥(くしゃみ)先生の座敷に仲間が集まり、呑気な話に花が咲く。
セカセカした、西洋文明(今は日本もそれにどっぷり浸かってしまいましたが)に比べ
まことにのんびりとして、ほほえましい風景。
この日の最後には、結婚の決まった多々良三平がビールを提げて登場、
みんなでそのビールをいただく。
秋の日は暮れ、みんなは次々に帰って行く。
そして、「寄席がはねたあとのように座敷は淋しくなった」。
この後です
「呑気と見える人々も、心の底を叩いて見ると、どこか悲しい音がする」
と猫が思うのは。
実に名言と思います。
誰もが皆、心の底には漠とした不安を抱えているのではないでしょうか?
経済的不安とも違う、人間関係の不安とも違う、
人間存在そのものの不安といったようなもの。
その孤独で、不安な、さびしい気持ちを
「呑気と見える人々も、心の底を叩いて見ると、どこか悲しい音がする」
と表現しているように思うのです。
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