こんにちは、オサジマです。
近年よく「なぜ人を殺してはならないのか」という問題が
各地で議論されています。
いまや「ダメに決まっている」では済まされず、もっと
深い部分で論じられているようです。
なぜ生きるという本にはこう書かれています。
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◎ どうして人を殺してはいけないのか
人命軽視を象徴する事件がつづいています。
愛知県の高校三年生が六十五歳の主婦を四十数カ所も刺して惨殺し、
翌日、自首しました。
「人を殺す経験をしたかった」と、反省のそぶりは、まったくなかったと
いいます。
アメリカの学校では、銃の乱射が絶えません。
凶弾の犠牲になる未成年者は、平成十二年の数字では、一日十四人にも
及んでいます。
小学生を殺害し頭部を切断した十四歳の少年は、世間を震撼させました。
しかしこの少年の「ボクの存在は透明だ」という言葉に、共感を覚える
若者は少なくありません。
「誰からも必要とされていない私。ガラクタだもの。生まれてこなければ
よかった」
「なんで生きなきゃいけないのかな。サッサと生きて、サッサと死にたい」
私の存在は無意味、そんなむなしさを深めている子供たちは、
「忘れ物をしたから」「運動会があるから」「先生に叱られたから」と、
信じられない理由で命を捨てています。
自分の命の大切さを知らねば、他人の命も尊重できないでしょう。
「死んでもいいじゃん」の無知が、「殺してもいいじゃん」の暴論に、
すり替わってゆくのではないでしょうか。
「どうして人を殺したらいけないんですか?」
高校生がボソッと漏らしたテレビ番組で、シーンと静まり返った出演者
たち。パタッと番組が終了し、さまざまな議論をよびました。
「人命は地球よりも重いからだ」といくら言っても、無駄でしょう。
「どうして地球より重いの?」と突っ込まれたら、終わりだからです。
どんな人でも、答えに窮するのではないでしょうか。哲学者も、
お手上げです。
なぜ命が尊いか、説明できた哲学者を知らないと、P・フット(カリフォルニア大教授)は、論文「道徳的相対主義」に書いています。哲学書を何百冊読んでもわからないのです。
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「なぜ人を殺してはいけないのか」
という問題と
「なぜ生きる」
の問題は深い関係にあるようです。
この本の《あとがき》にはこうあります。
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「なぜ人を殺してはいけないのか」の問いに、大人たちはギクリと
たじろいだ。
大人も子供も不幸なのは、生きるよろこびを感じられないところにある。
「人生には意味があるのか」
「苦しくとも生きる価値があるのか」
人類は、混迷の度を深めている。
そんな中、〝なんと生きるとは素晴らしいことなのか……〟親鸞聖人は、高らかに叫びあげられる。こんな生命の尊厳さを知れば、臓器移植まで
してなぜ生きるのか、なぜ自殺してはならぬのか、なぜ人命は地球より
重いのか、人間存在の疑団が氷解し、諸問題の解決に、たくましく前進
できるのではなかろうか。
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こちらにも記事が書かれているので、ぜひ読んでみてください☆
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なぜ生きる