マヨの本音

日本の古代史から現代まで、歴史を学びながら現代を読み解く。起こった出来事は偶然なのか、それとも仕組まれたものなのか?

結婚30年記念?

2009年10月01日 09時20分04秒 | ひとりごと
やれやれ、自分のブログを批判され、それの反論を書いたらそのブログのアクセス数がかつてないぐらい跳ね上がってしまった。まったくどうなってるもんやら。

私はブログを開設したころ、まったくどうして良いかわからないまま、いくつかのサイトを巡回し、コメントというのを入れてみた。一番最初はharunoshinnさんだったと思う。そしてらそこにまゆみさんがコメントを入れていて、ついでにそのまゆみさんのHPをのぞいてみた。ちょうどとんでもないことになっていて、コメント欄がアラシ状態だった。すっごいなー、と感心したが、とてもついてけないような難しい議論だった。(ちょくちょくそうなるんですよ。)騒ぎが収まるころ控えめながらコメントを入れると親切に返事をいただき、感激。それ以来、三年間もネット上の交流をしている。おそらくまゆみさん家でも私は古株になっていると思う。もちろん我がブログの読者のなかでまゆみさんはもっとも古い読者である。
最初のころは文章もへたで、思想的にも不安定で、今見ると恥ずかしくてしょうがない。それに、考え方はずいぶん変化している。それは八百長理論を唱えだしてから急速に変わった。ただ、読者もそれなりに入れ替わっていくので、今の思想に近い人たちが集まり、またこれからも少しずつ入れ替わっていくのだろう。
そんな意味で、まゆみさんとか、kitaさんなんかは本当に長いお付き合いである。
夫婦でも物に対する考え方は違う、しかしお互いにうまくやっていこうと努力することで一定の緩衝地帯を設け、それで共存出来てきたのだろう。夫婦になってもうじき30年になる。よくぞ続いたものだ・・・・ひとえに私の忍耐力?

ネットも同様で、考え方が違っても、笑いながらお互いを認め合えばいいのであって、私の考え方が違うから直せ、と言われればやはり私も拒否するだろう。
例えば、私の防衛論は国民全体に武器を渡し、自分の命は自分で守るのだというものである。誰も賛成してくれっこない。でもそれでいいのだ。秀吉の刀狩以来、国民は支配者に逆らうことが出来なくなっている。国民に武器を持たせることがいかに支配者にとって困ることなのかを教えたいためにそのように言っているだけで、本当にそうなれば良いと思うわけではない。
こんな話は、みんなで笑い飛ばせばいいのだ。
お互いの考えの違いを笑いながら議論するのが面白い。ダム建設のように利害がぶつかり合うのが一番困る。もちろんけんかになるから・・・・。

何の話だったかわからなくなった。そう、もうじき結婚三十周年の報告でありました。とりあえず女房様に感謝しておこう。