詩集「生きる理由」 新川和江 花神社 1500円
2006年1月12日読了
初版は2002年の8月。
帯が破れて捨ててしまったので確かなことは言えないが、新川さんご自身の自選詩集だと帯には書いてあったと思う。
現代詩をポピュラリティという側面だけからいうと、谷川俊太郎さんと新川和江さんを足せば、現代詩の容積の半分を占める、というのが客観性は全くないが、詩界にうとい僕の実感だ。
新川さんは1983年から女性詩誌「ラ・メール」の編集を、今は亡き吉原幸子さんと約十年の間だ継続した。
経済的なバブル期と重なるが、実はいわゆる詩壇と呼ばれる男性詩人の世界でも、現実や人間の情念との対応をほとんど欠いた、「言葉のバブル期」となっていた。もしこの言葉のバブル期に、彼女たちをはじめとする先達の女性詩人の活躍がなかったら、詩を愛するものにとって21世紀の初頭の現在はもっとぞっとする事態だったろう。
吉原さんは詩という舞台の上で、これでもかと云うほど癒えない自分の傷や弱さを言葉にした。
対照的に新川さんは弱さや傷ではなくその薬のようなものを作品にしようとした。
(そのことをテーマにした「わたしは傷を…」という作品がある)
その意味でのあまり新川さんらしくはない作品であるけれど、一番僕のお気に入りを、抄録させていただきます。
ちょっと怖いですよ。
興味をもたれた方は、昼飯や晩飯を一度だけぬいて、ぜひ買って全文を読んでいただきたいです。
野を往く
秋晴れのとある日
東フランス ロレーヌ地方の
優しくなだらかな丘陵地帯を車で通った
わたしはあなたを思い出した
十年あまりも一緒に暮らし
そのあいだ
ただの一度も
大声ひとつ
あげたことのないあなたを
往けども往けども
丘ばかりで
往けども往けども
野ばかりで
牧夫も見えず
尖塔も見えず
ところどころに
白黒まだらの放し飼いの牛が
おとなしく草を食んでいるだけで
陽ばかりうらうら
やわかかくとけているだけで
…
わたしはほとんど泣きそうになった
ちょうどこのようにして
あなたの中で
わたしは迷い 徐々に狂っていったのだ
柵もなく 唸る鞭もない
あなたの優しすぎる野の中で
迷いようもない そのいっぽん道で
2006年1月12日読了
初版は2002年の8月。
帯が破れて捨ててしまったので確かなことは言えないが、新川さんご自身の自選詩集だと帯には書いてあったと思う。
現代詩をポピュラリティという側面だけからいうと、谷川俊太郎さんと新川和江さんを足せば、現代詩の容積の半分を占める、というのが客観性は全くないが、詩界にうとい僕の実感だ。
新川さんは1983年から女性詩誌「ラ・メール」の編集を、今は亡き吉原幸子さんと約十年の間だ継続した。
経済的なバブル期と重なるが、実はいわゆる詩壇と呼ばれる男性詩人の世界でも、現実や人間の情念との対応をほとんど欠いた、「言葉のバブル期」となっていた。もしこの言葉のバブル期に、彼女たちをはじめとする先達の女性詩人の活躍がなかったら、詩を愛するものにとって21世紀の初頭の現在はもっとぞっとする事態だったろう。
吉原さんは詩という舞台の上で、これでもかと云うほど癒えない自分の傷や弱さを言葉にした。
対照的に新川さんは弱さや傷ではなくその薬のようなものを作品にしようとした。
(そのことをテーマにした「わたしは傷を…」という作品がある)
その意味でのあまり新川さんらしくはない作品であるけれど、一番僕のお気に入りを、抄録させていただきます。
ちょっと怖いですよ。
興味をもたれた方は、昼飯や晩飯を一度だけぬいて、ぜひ買って全文を読んでいただきたいです。
野を往く
秋晴れのとある日
東フランス ロレーヌ地方の
優しくなだらかな丘陵地帯を車で通った
わたしはあなたを思い出した
十年あまりも一緒に暮らし
そのあいだ
ただの一度も
大声ひとつ
あげたことのないあなたを
往けども往けども
丘ばかりで
往けども往けども
野ばかりで
牧夫も見えず
尖塔も見えず
ところどころに
白黒まだらの放し飼いの牛が
おとなしく草を食んでいるだけで
陽ばかりうらうら
やわかかくとけているだけで
…
わたしはほとんど泣きそうになった
ちょうどこのようにして
あなたの中で
わたしは迷い 徐々に狂っていったのだ
柵もなく 唸る鞭もない
あなたの優しすぎる野の中で
迷いようもない そのいっぽん道で
日常の神
単一で純粋な行為などというものがあり得るだろうか。またなにものをも傷つけぬ優しさなどという徳目が。
わたしの動作は渋滞を示しはじめ、もの言いは日増しにたどたどしくなっていった。というのも、なにげなく窓を開けたり、背中のファスナーを引き上げたり、玉葱の皮を剥いたりーというごく日常的な行為のあいまあいまに、わたしの耳は非常にしばしば、得体の知れない悲鳴を聴くようになったからだ。わたしは窓を開けながら、とほうもないなにかを一緒に開けてしまったのではないか。ファスナーを引き上げついでに、なにかを共々アルミ色の齒に銜え込ませて、永遠に封じてはならない掟のものを、強引に綴じ合わせてしまったのではないか。また若しかして、神というものが、いとけない姿でそこはかとなくあたりに瀰漫しているものならば、わたしは玉葱の皮をはぎながら、神のひとりの頭蓋をひき毟るという、狼藉をはたらいてしまったのに違いなかった。それは、室内履きのフェルト底に、三匹の蟻の死骸がこびりついていたことを憐れみ悲しむといった類の、愛らしく縁どられた愛憐や感傷とは異なり、ひとあし運ぶごとに、取り返しのつかない距離を世界との間につくってしまう、寂漠としたいたみに相似た悔いをともなって、時をえらばずわたしを襲った。空気に、わずかの罅も入れまいと気遣いながら息をしていたので、わたしは窒息しそうになると、向こうから暴徒のように押し入ってくれる酸素を求めて、戸外に喘ぎ出た。
すでに色濃く、地球の影がわたしに射していた。あかるい日中であるにも拘らず、家人はしばしば、狭い庭先でわたしの姿を見うしなった。
またた新川さんが抱えているポジティブな母性原理に従って書かれた詩が多いです。
ポジティブということでは例外であるのはこの二つの詩ですね。
母性原理を反転させた、ネガティブな側面がこれらの詩を書かせたのではないかと思います。神とは母のようです。
何もかもを許すような無制限なやさしさ(神格化された母性)というものは受けたものにとっては、底無し沼のように呑み込まれる恐怖と、罪悪感を与えるかもしれません。
男性の場合ですと、男性原理で出世したりして親孝行という救いの経路がありますが、女性の場合ですと、神格化された母と同一化(つまり自分も絶対的な優しい母になろうとする)の方へ向かいますので、なかなか苦しいと思います。
(吉原さんの場合は男の子になろうとしたか、永遠に娘のママでいようとしたかに詩の上ではみえます。)
近代詩(あるいは近代そのもの)は、母親の喪失と回復にかかわる深層心理的力学にもとづくのではないかと、仮説を立てましたが、
戦後の女性詩人も例外ではないと感じました。もちろん、これらは詩の読解とはかんけいないことです。
アドリアナさんの注目していることは、個人を越えてとても大切なことのように思えます。