ちょうど一昨日の地震があった時・・・
私は東京の「八重洲ブックセンター」にいました。
1FにあるCAFEで買った本を読みながら、待ち合わせした娘が来るのを待っていて・・・
地震は大きな横揺れで「大きい!」と感じたものの戸棚から本が落ちることもなく・・・
その時はそれほど凄いことが起きているとは思いもしませんでした。
「八重洲ブックセンター」って、それなりに強固に作られているらしく・・・
5階はさすがに本が棚から落ちたとかで営業停止になりましたが、1~4階までは通常営業。
(終了時間は6時までと早まったけれど)
私が見た限りでは1階で本が棚から落ちることはありませんでした。
そして本を読み続けながら、家族に「怖かったね!」とメールを送るも、送信不可能。
何回やってもダメ。そして続く余震。
これはただ事ではないかも・・・そんな気がし始めました。
当の娘は「青山」にいて、就活のための説明会がちょうど終わって会場を出たところで地震。
激しく揺れ動くビル群を見て、娘はとっさにこれは非常事態と判断。
地下鉄には乗らずにすぐさま走りだし・・・
なんと!1時間かけて私のいる「ブックセンター」までやってきました。
「就職説明会」だったから靴は「パンプス」だったのに・・・。
そして道々にはビルから飛び出し、ただただ右往左往する人たちでいっぱいだったとか。
工事中のビルの屋上にあるクレーン車の吊り部分が、振り子のように大きく揺れて今にも倒れて屋上から落ちてきそうだったと・・・。
で、街中のスクリーンに流れるニュースで知ったと言う・・・
「宮城で大きな地震があったみたい!」
そう興奮しながら話す娘に、思っていた以上の地震と知りました。
(でも、本当の凄さを知るのはもっと後だけれど)
そして何度もメールを送信する中で、家族とも連絡が取れてみんなの無事を確認。
でも、ホッとしたのも束の間。
さてさてこれから一体どうしましょ??????
そう・・・私たちは「帰宅難民」になっていたんです。
でも、幸いにも娘のアパートは都内にあるので、東京駅からさほど遠くないところに勤務している夫にも東京駅まで来てもらい・・・
三人で娘のアパートに向かって出発。
6時半のことでした。
道路には渋滞中の車のランプが、はるか先までずっと続き・・・
歩道には郊外に向かって歩く沢山の人たちで連なり・・・
娘と・・・「ほんと難民みたいね・・・」
そして歩き続けること5時間。(途中お夕飯を食べたりもしたけれど)
11時半にやっとやっとやっと娘のアパートに到着しました♪
靴を脱いだら、タイツが破れ、足の指の皮もむけて血だらけに・・・(苦笑)
でも、テレビをつけたら・・・
そこには、驚くような悲惨な映像が。
足の痛みや5時間歩いた疲れなんて・・・大したことでは無かった。
そして今現在もずっと続く悲しい映像の数々・・・。
3.11
私にとって、そして多くの人たちにとっても忘れられない日となりました。
亡くなられた方々のご冥福を心よりお祈りするとともに・・・
行方不明の方々が早く見つかり、被災地が1日でも早く復興することを願って止みません。