ブレンド日記

世の中の出来事・木馬での出来事・映画の感想・本の感想・観るスポーツ等々ブレンドして書いてみました。

日本シリーズの思い出。

2006年10月27日 | スポーツの事

  

 

 命令された。

当店のチーフ(といっても一人しかいないが・・)に「今日は市役所を回ってください。不燃物を車の後ろに積んでおきましたから」

午前中坂の上のIさんが、江津市街地の写真のスポットを教えてもらったので、帰りによる事にして、出かけた。

よく晴れた、秋晴れ。

市役所から、そのまま 元済生会病院の通りを突き当たり、小山の上から、嘉戸の灯台の方角。少し角度を変えて、某パルプ会社の煙突。

そのまま山を下ると、プールのある小学校。子供の元気な声が聞こえたが、姿は見えなかった。

最後の二枚は市役所から国道に出て、某スーパーに行く途中の嘉久志の風景です。

*…*…*…*…*

 プロ野球日本シリーズは、日本ハムが、東映フライヤーズ以来44年ぶり2度目の日本一になった。
島根は札幌ドームの一戦目と3戦目は放映してなくて、見れなかった。(一部の地域とはここだ。)木馬はケーブルテレビが入っているので、全部見る事が出来たんだけどね。

 新庄は、本当に素晴らしいの一言だったが、(札幌ドームを一杯にしたいと言っていて、江津市の人口の倍 何時も入っていた。)私は川上憲伸の顔が忘れられない。
勝気で、やる気満々の憲伸の悔しそうな、細い唇を真一文字にきゅっと結んでうつろな目をした顔が、忘れられない。

 第1戦と夕べ先発したダルビッシュ投手は、思い起こせば3年前の甲子園で、江の川高校(我が江津)とベスト4で決勝進出を目指して戦った東北高校の出身だ。
決勝のためダルビッシュを温存して、真壁投手を先発させた東北高校だったが、やはりそこまで勝ち残ったのが信じられないほど、大番狂わせだった木の下投手を有する江の川高校は、木の下投手の連日の連投の疲れで、6-1で完敗してしまったのだ。
少々生意気だったダルビッシュ投手を思い出すが、いい投手になったね。

 そしてまた私は、以前甲子園で私が見つけた、いい男松商学園の上田投手が、中日のレフトで出場していたのに驚いた。
彼は高校卒業して、日ハムにドラフト一位で入団したはず。それが中日にいると言うことが不思議な縁を感じて、昔を思い出してしまった。

 話は1991年に遡るが・・大昔の話ですいません。

 今年の甲子園で私がひそかに春の大会から応援し続けていたハンカチ王子こと、斉藤投手と同じように、春の甲子園 決勝で広島の広陵高校と戦って負けた、長野の松商学園の上田投手。斉藤投手のように涼しい顔して、どちらかと言うと優男だが、コントロールがよく、静かで豪胆、ものすごくカッコいい、好みだった。当時から恋人にとかいうんじゃなくて、こんな息子がほしいと、こんな息子を持つ親になりたいと、そんな愚かな願望で応援していたのだが・・

 話が飛んだけど、この年は愛工大名電工のイチローがいたし、一年後輩に星陵高校の松井もいた。そうそうロッテのジョニー黒木も延岡学院でいた。

そんな、夏の甲子園、春に準優勝をもたらしたので、当然優勝候補だったが、ベスト8で三重の四日市工と、激突。高校野球の球史に残る井出元との延長16回、井出元が、4番ピッチャー上田にデッドボールを肩に当てて、押し出し“さよなら”の劇的な幕切れで、「あぁ~・・・」

続くベスト4をかけて先発した上田、当時2年生の松井のいる、星陵高校と戦い、デッドボールのはれた肩で投げ続けて、負けてしまった。

その時投げあった、井出元が中日に、上田が日本ハムに入団した。その事を思い出してしまった。

昨日の日本シリーズで感じた思い出です。

晴れ 25℃