田舎に住んでいるのに田園風景が好き。
何の変哲もないのに、心から嬉しいと思う風景がある。
温泉、というニンジンをぶら下げないと、私という駄馬は身体が動かない。
先週のお休みは色々と忙しかったので、片付けもままならなかった。サンコー一家が片づけが済んだらゆっくり温泉に行こうといってくれたので、朝から頑張る。
二階の押入れに座布団をしまう。布団のシーツを洗う、布団もまだ干さなければならないのは隅に積んで、何度急勾配の二階を往復したか分からない。息が切れるたび「温泉」「温泉」とつつぶやきながら・・汗ダクダク。
さてお楽しみ・・雨が降り出した午後。三瓶温泉行くのにいつもと違うコースをリクエストした。
山間の田圃は、刈り取った稲に緑色の若草が生えていたり、切り株のままだったり、まだ刈り取ってない黄金色の稲穂が残っていたり、茶色の刈り取った田圃に稲はぜがしつらえてあり、稲が干してあったり、でも一番綺麗だったのは、その田圃のはぜに曼珠沙華の赤い花が群生していることだった。
黒い瓦屋根に雨がかかり、庭にはサルビアとマリーゴールドの花壇、孔雀草の白が映える。垣根には百日紅と、むくげの白や赤や紫。見渡すと刈り取った田圃に赤い曼珠沙華。
いいなぁ、いいなぁ。この集落。
見渡すと山々から立ち上る霧。
三角に見えるの杉が何処までも三角の集まりで山を作っている。ウグイスカルテットは歌う。
♪一ィ二ゥ三ィ四ォ 五ィ六ゥ七ァ
八日九日 十日たち
ニョッキリ芽が出る 山の上 山の上
小さな杉の子 顔出して
はいはいお日さま 今日は
これを眺めた 椎の木は
アッハハのアッハハと 大笑い 大笑い。(これ二番?)
私の天敵、セイタカアワダチソウや、ブタクサもお出迎え。
裏三瓶の道路は、今まさに皮がむけたキンキンの赤みがかったススキの穂の若芽が、雨に打たれながらも、水をはじいていた。萩の花も満開。
こうして三瓶温泉に着いた。三瓶温泉はいつもになく人が多かった。これはきっと簡保の宿の三瓶荘が閉鎖になったからだと思うがちがうだろうか?
かっては、昭和天皇もお泊りになったという、素晴らしい建物で、私達もこの春温泉だけ入りに行ったけどやはり閑散としていて、その割に入浴料だけは高かったようなそんな気がした。これもきっと市場調査も満足にせず、いつも週刊誌ネタになる、「無駄使いかロマンか」答えはハッキリしている、無駄遣い。どうするんだろうねこの大きな宿泊施設。などと人が多くてゆっくりくつろげなかったので八つ当たり気味の我々です。
それでも粘りに粘って温泉にひたり、3時頃から、三瓶小豆原埋没林公園によることにした。
この地域の水田に昔から、「埋もれ杉」として言い伝えられていたらしいが、水田の開発工事のときに発見されたらしい。(1999年)
そして縄文時代の杉らしい。その根っこには縄文時代の葉っぱもあったとか・・
縄文時代には三瓶山麓には巨木の森が茂ってたのが、三瓶火山の噴火によって山体に一部が崩れ土砂が小豆沢の谷に流れ込んだ。火山流も発生して、すぎの表面が焼かれ、川の流れで運ばれた火山灰が流れ込み木々は次第に埋もれていったと書いてあった。
なんだか縄文の時代に思いをはせて触ったり年輪を勘定したり(途中でギブアップ)なんともいえないおうよう気分になりました。
これは先だって見つかった出雲大社の神殿の材料にもなったのよね。
はるか縄文の時代に思いをはせて三瓶山を見たら、霧もすっかり晴れて綺麗に見えた。あの三瓶山には、昔その昔、職場の若い者達で、お弁当を作り、浜田から汽車で大田まで行き、バスで三瓶の西の原まで行き頂上まで登ったことを思い出した。
この写真は三瓶の頂上です。
もう今はきっと登れないと思う。
曇り 時々晴れ 26℃
何の変哲もないのに、心から嬉しいと思う風景がある。
温泉、というニンジンをぶら下げないと、私という駄馬は身体が動かない。
先週のお休みは色々と忙しかったので、片付けもままならなかった。サンコー一家が片づけが済んだらゆっくり温泉に行こうといってくれたので、朝から頑張る。
二階の押入れに座布団をしまう。布団のシーツを洗う、布団もまだ干さなければならないのは隅に積んで、何度急勾配の二階を往復したか分からない。息が切れるたび「温泉」「温泉」とつつぶやきながら・・汗ダクダク。
さてお楽しみ・・雨が降り出した午後。三瓶温泉行くのにいつもと違うコースをリクエストした。
山間の田圃は、刈り取った稲に緑色の若草が生えていたり、切り株のままだったり、まだ刈り取ってない黄金色の稲穂が残っていたり、茶色の刈り取った田圃に稲はぜがしつらえてあり、稲が干してあったり、でも一番綺麗だったのは、その田圃のはぜに曼珠沙華の赤い花が群生していることだった。
黒い瓦屋根に雨がかかり、庭にはサルビアとマリーゴールドの花壇、孔雀草の白が映える。垣根には百日紅と、むくげの白や赤や紫。見渡すと刈り取った田圃に赤い曼珠沙華。
いいなぁ、いいなぁ。この集落。
見渡すと山々から立ち上る霧。
三角に見えるの杉が何処までも三角の集まりで山を作っている。ウグイスカルテットは歌う。
♪一ィ二ゥ三ィ四ォ 五ィ六ゥ七ァ
八日九日 十日たち
ニョッキリ芽が出る 山の上 山の上
小さな杉の子 顔出して
はいはいお日さま 今日は
これを眺めた 椎の木は
アッハハのアッハハと 大笑い 大笑い。(これ二番?)
私の天敵、セイタカアワダチソウや、ブタクサもお出迎え。
裏三瓶の道路は、今まさに皮がむけたキンキンの赤みがかったススキの穂の若芽が、雨に打たれながらも、水をはじいていた。萩の花も満開。
こうして三瓶温泉に着いた。三瓶温泉はいつもになく人が多かった。これはきっと簡保の宿の三瓶荘が閉鎖になったからだと思うがちがうだろうか?
かっては、昭和天皇もお泊りになったという、素晴らしい建物で、私達もこの春温泉だけ入りに行ったけどやはり閑散としていて、その割に入浴料だけは高かったようなそんな気がした。これもきっと市場調査も満足にせず、いつも週刊誌ネタになる、「無駄使いかロマンか」答えはハッキリしている、無駄遣い。どうするんだろうねこの大きな宿泊施設。などと人が多くてゆっくりくつろげなかったので八つ当たり気味の我々です。
それでも粘りに粘って温泉にひたり、3時頃から、三瓶小豆原埋没林公園によることにした。
この地域の水田に昔から、「埋もれ杉」として言い伝えられていたらしいが、水田の開発工事のときに発見されたらしい。(1999年)
そして縄文時代の杉らしい。その根っこには縄文時代の葉っぱもあったとか・・
縄文時代には三瓶山麓には巨木の森が茂ってたのが、三瓶火山の噴火によって山体に一部が崩れ土砂が小豆沢の谷に流れ込んだ。火山流も発生して、すぎの表面が焼かれ、川の流れで運ばれた火山灰が流れ込み木々は次第に埋もれていったと書いてあった。
なんだか縄文の時代に思いをはせて触ったり年輪を勘定したり(途中でギブアップ)なんともいえないおうよう気分になりました。
これは先だって見つかった出雲大社の神殿の材料にもなったのよね。
はるか縄文の時代に思いをはせて三瓶山を見たら、霧もすっかり晴れて綺麗に見えた。あの三瓶山には、昔その昔、職場の若い者達で、お弁当を作り、浜田から汽車で大田まで行き、バスで三瓶の西の原まで行き頂上まで登ったことを思い出した。
この写真は三瓶の頂上です。
もう今はきっと登れないと思う。
曇り 時々晴れ 26℃