私の青春時代(高校生の時も含む)の時 娯楽といえば映画くらいしかなかったので、看板が変わるたびにほとんど いいとか悪いとか抜きにして映画を見た。
「アラビアのロレンス」「地上より永久に」「ベン・ハー」「十戒」「アラモ」「真昼の決闘」「黄色いリボン」「駅馬車」等々・・
そんな中で、ある映画をみて、すっかり病におかされた。
オードリー・ヘップパーン病だ。もう灼けつくような憧れを寄せ人。「ローマの休日」を見た私は、ヴィーナスより美しい、この世の人とは思われないような、世の中にこんな美しい人がいるなんて神様は不公平と、そして気品、正真正銘、公明正大、正々堂々の美人に見えた。
もはやこの世のものとは思われない、心を打つ清らかさ、う~ん天使のような・・
もうメロメロだった。
私は限りなくオードリーのようになりたかった。
片っ端からまねた。黒のタートルネックのセーター、オレンジの口紅、パールのイヤリング。ジパンシーをまねた黒のスプリングコート。薄いピンクのアンサンブルスーツ。
以前にも書いたと思うが、商店会の売り出しにあこや貝からパールを取り出して加工してもらえるというイベントがあり、当時舟木和夫にそっくりの加工技師の青年に「おしゃれ泥棒」の時オードリーがつけていたパールのイヤリングを作ってとお願いしたら、その青年は私のために、必死で、同じ大きさの同じ色のパール玉を探して作ってくれた。
足の短いハンディがあるものの、痩せたかった、がりがりになりたかった。
そして、「麗しのサブリナ」の監督ビリーワイルダーが「オードリーの平らな胸は世界の美意識を変えるだろう」といったという有名な言葉は、やはり自慢じゃないが、誰にも負けない平らな胸を持つ私をさらに勇気ずけた。
が、似ているのはそこだけで、まつげに栄養剤をつけてカーラーで持ち上げたり、笑う時の口の開け方を鏡を見て訓練したり、そのような今思えば、涙ぐましい努力をしたのもむなしく、我が肉体は、憧れオードリーとはドンドンかけ離れていったのだ。
右の写真はおしゃれ泥棒のオードリーを真似て作った薄桃色のアンサンブル。
オードリーと並べるとドンドンかけ離れていった様子が良くわかる。(津和野の乙女峠のつつじ祭りで頭につつじをつけて)
で話しは戻るが、その「ローマの休日」を見るため、朝一番で映画館に入った。
昔の映画は3本たてだった。ニュース映画をはさんで、なにかほかのB級映画があり、その後「ローマの休日」だったので10時ごろから始まって、4回上映される。終わりは夜の9時ごろだった。
映画を見終わった私は、感動のあまりまるで腰が抜けたように、イスから立てなかった。昔の映画館は休憩に入れ替え無しだったので、映画が終わると場内の電気が付き急に明るくなるのだった。
なんで?もうーせっかくいい夢見てるのに突然布団をはがされて蹴飛ばされたような気になった。
最も付録の映画のときは寝ていたから余計にそう思ったのかもしれない・・
お腹がすいたら売店で菓子パンを買ってかじった。
とうとうその日最後まで4回見た。何度見てもラストシーンは涙ぽろぽろ、何度見てもそのシーンはハッピーエンドで終わって欲しいと、悔しかった。
帰りの夜汽車で、窓ガラスに映る真っ暗な風景の中にまだ映画の残影が残っていて、なかなか現実の世界に戻れなかった。
向かいに座っている人の顔を見るに耐えられなかった、何でグレゴリぺックじゃないの?なんであんなおっさんなの?現実に戻りたくなかった。
今こうして思い出を書きながら、オードリーのようになるんだ、なりたいとあこがれて無理を承知で、思い描いていた青春時代が無性に懐かしい。
このシリーズもう少し続く。
「アラビアのロレンス」「地上より永久に」「ベン・ハー」「十戒」「アラモ」「真昼の決闘」「黄色いリボン」「駅馬車」等々・・
そんな中で、ある映画をみて、すっかり病におかされた。
オードリー・ヘップパーン病だ。もう灼けつくような憧れを寄せ人。「ローマの休日」を見た私は、ヴィーナスより美しい、この世の人とは思われないような、世の中にこんな美しい人がいるなんて神様は不公平と、そして気品、正真正銘、公明正大、正々堂々の美人に見えた。
もはやこの世のものとは思われない、心を打つ清らかさ、う~ん天使のような・・
もうメロメロだった。
私は限りなくオードリーのようになりたかった。
片っ端からまねた。黒のタートルネックのセーター、オレンジの口紅、パールのイヤリング。ジパンシーをまねた黒のスプリングコート。薄いピンクのアンサンブルスーツ。
以前にも書いたと思うが、商店会の売り出しにあこや貝からパールを取り出して加工してもらえるというイベントがあり、当時舟木和夫にそっくりの加工技師の青年に「おしゃれ泥棒」の時オードリーがつけていたパールのイヤリングを作ってとお願いしたら、その青年は私のために、必死で、同じ大きさの同じ色のパール玉を探して作ってくれた。
足の短いハンディがあるものの、痩せたかった、がりがりになりたかった。
そして、「麗しのサブリナ」の監督ビリーワイルダーが「オードリーの平らな胸は世界の美意識を変えるだろう」といったという有名な言葉は、やはり自慢じゃないが、誰にも負けない平らな胸を持つ私をさらに勇気ずけた。
が、似ているのはそこだけで、まつげに栄養剤をつけてカーラーで持ち上げたり、笑う時の口の開け方を鏡を見て訓練したり、そのような今思えば、涙ぐましい努力をしたのもむなしく、我が肉体は、憧れオードリーとはドンドンかけ離れていったのだ。
右の写真はおしゃれ泥棒のオードリーを真似て作った薄桃色のアンサンブル。
オードリーと並べるとドンドンかけ離れていった様子が良くわかる。(津和野の乙女峠のつつじ祭りで頭につつじをつけて)
で話しは戻るが、その「ローマの休日」を見るため、朝一番で映画館に入った。
昔の映画は3本たてだった。ニュース映画をはさんで、なにかほかのB級映画があり、その後「ローマの休日」だったので10時ごろから始まって、4回上映される。終わりは夜の9時ごろだった。
映画を見終わった私は、感動のあまりまるで腰が抜けたように、イスから立てなかった。昔の映画館は休憩に入れ替え無しだったので、映画が終わると場内の電気が付き急に明るくなるのだった。
なんで?もうーせっかくいい夢見てるのに突然布団をはがされて蹴飛ばされたような気になった。
最も付録の映画のときは寝ていたから余計にそう思ったのかもしれない・・
お腹がすいたら売店で菓子パンを買ってかじった。
とうとうその日最後まで4回見た。何度見てもラストシーンは涙ぽろぽろ、何度見てもそのシーンはハッピーエンドで終わって欲しいと、悔しかった。
帰りの夜汽車で、窓ガラスに映る真っ暗な風景の中にまだ映画の残影が残っていて、なかなか現実の世界に戻れなかった。
向かいに座っている人の顔を見るに耐えられなかった、何でグレゴリぺックじゃないの?なんであんなおっさんなの?現実に戻りたくなかった。
今こうして思い出を書きながら、オードリーのようになるんだ、なりたいとあこがれて無理を承知で、思い描いていた青春時代が無性に懐かしい。
このシリーズもう少し続く。