高校生になり、映画を見る環境は整えられた。
父親が、映画の関係に就職した事もあり、そこに行きさえすればただで映画が見ることが出来たのだ。私にとってこんな好都合でうれしいことはない。
話は変わるが、高校生になり必須科目ではないが、芸術科目の選択で(音楽と、書道と、美術。)勿論美術を専攻した。(部活は演劇部)
その週2回の美術の担当のk先生はとても映画好きで、授業の合間に熱く語ってくれる映画の話を聞くのが、ととても楽しみだった。
ある日の授業の合間にk先生は、今みんなに見てもらいたい映画は「戦艦ポチョムキン」だと言った。
この映画がどんな内容の映画か分からなかったが、題名だけは頭の中にしっかりと刻み込まれていた。
k先生は、正式にはk本高校の美術の先生で、私の高校には、美術の先生がいないので兼任していたのだ。そして、k本高校の演劇部の先生でもあった。
私も演劇部だったが、幸か不幸か主役を張るほど美人でもなく、声も鈴を転がしたような声でなくて、木綿を裂くような声だったので、望むところの裏方をやらされていた。
私が一年生の時 岩町功先生の脚本演出による「8月15日の少年」という演劇の発表の準備におわれていて、毎日毎日、勉強より楽しくて仕方がなかった時の事。
ご存知のようにお芝居というのは、台本をみんなで読むことから始まり、配役が決まると、読み稽古を台本を覚えるまで繰り返す。
次に立ち稽古をして、その後舞台で立ち稽古をする。
その内 効果、(たとえば朝は鳥の声とか、せせらぎの音、昼はかえるの鳴き声とか、蝉の鳴き声、夜はふくろうの鳴き声とか、虫の音色を入れてお芝居をよりリアルにする方法。)を入れる。
そして、音楽が決まる。ラブシーンなどは少し明るい音楽。お別れは静かな音楽。
私はラブシーンにこの前見た「アラビアのローレンス」のテーマ音楽を進めたけど、反対多数で聞き入れられなかった。みな分かってない!と憤慨したのを覚えている。
この話をk先生にして、鼻で笑われた。映画の話よりどうも演劇の話になだれ込んでしまいそうだけど、許してください。
それでk先生の率いるk本高校の演劇もその年の高文連で見るチャンスがあった。胸躍らせて一番前の席で鑑賞した。
潜水艦の物語で、7人の乗組員といっても水兵。敵の襲撃にあい、海の底から浮上出来ない、このままでは全員絶望。舞台はこの船室から物語は始まる。
あと何日生きるための空気とか、食料とかあるか、色々な葛藤の末、誰か一人が爆薬を背負って船外に出て、居場所を知らせるしか方法がない。誰がその役目をになうかでポーカーで決める事になるというような男の物語だった。今思えば映画の「アルマゲドン」のような物語だ。
私は今でもこういった潜水艦の映画は大好きでほとんど見ている。「U-571」「眼下の敵」「レッドオクトーバーを追え」まだあるかな?
で、映画の話とは少し脱線するが、このk先生の話を少し聞いてください。
高校を卒業して、就職して楽しく働いていたある日、新聞でK先生のことが出ていた。
何でも美術部の卒業作品の制作に取り掛かる前に、生徒に「平和について」、戦争はどんな理由があるともいけないことだ云々と話されたそうだ。
その後生徒の彫刻の作品が、すべて、鳩の首のないのとか、子供達が悲しそうにないているのとか、普通の作品ではなかったらしい。
この作品を見て、先生や父兄が、共産主義を植えつけたと騒いだらしい。危うく首になりかけた時卒業生達が立ち上がって署名運動をしていると新聞に書いてあったので、私はとにかく先生の元をたずねた。卒業以来初めて会った先生は、変わらず堂々としておられた。
で私も署名運動を手伝った。先生は、多分辞職しなくてもよくなったのではないかと思う。
私はまったく勉強不足で、今もそうなのだけど、そういう学問的アプローチで思想とかイデオロギーとかを検証する事が出来ない。よく分からないのも手伝ってそういう方面にマニアックになりきれない。しかし、そうであってもそういう考え方をする人だからといって付き合うのにはやぶさかではない。人間が好きなのであり、言い換えればその人の内心とか、考え方ではなくて、全体に魅力があればそれでいいと思っているのだ。
話はそれたが少し前、NHKの衛星放送で「戦艦ポチョムキン」を放映した。この映画だ、そう思ったので録画した。そして何度も見ようと努力したけど、まだ見ていない。眠たくなるのだ。
大好きな映画「アンタッチャブル」の駅の乳母車のシーンはこの映画からとったものだということを知ったから、今度ゆっくり見てみようと思う。
この後は映画が私の唯一の楽しみとなり、映画産業華やかなりし頃、青春時代を映画を楽しんで過ごしたということは、今思えば本当に嬉しい事だった。
このシリーズもう少し続く。
父親が、映画の関係に就職した事もあり、そこに行きさえすればただで映画が見ることが出来たのだ。私にとってこんな好都合でうれしいことはない。
話は変わるが、高校生になり必須科目ではないが、芸術科目の選択で(音楽と、書道と、美術。)勿論美術を専攻した。(部活は演劇部)
その週2回の美術の担当のk先生はとても映画好きで、授業の合間に熱く語ってくれる映画の話を聞くのが、ととても楽しみだった。
ある日の授業の合間にk先生は、今みんなに見てもらいたい映画は「戦艦ポチョムキン」だと言った。
この映画がどんな内容の映画か分からなかったが、題名だけは頭の中にしっかりと刻み込まれていた。
k先生は、正式にはk本高校の美術の先生で、私の高校には、美術の先生がいないので兼任していたのだ。そして、k本高校の演劇部の先生でもあった。
私も演劇部だったが、幸か不幸か主役を張るほど美人でもなく、声も鈴を転がしたような声でなくて、木綿を裂くような声だったので、望むところの裏方をやらされていた。
私が一年生の時 岩町功先生の脚本演出による「8月15日の少年」という演劇の発表の準備におわれていて、毎日毎日、勉強より楽しくて仕方がなかった時の事。
ご存知のようにお芝居というのは、台本をみんなで読むことから始まり、配役が決まると、読み稽古を台本を覚えるまで繰り返す。
次に立ち稽古をして、その後舞台で立ち稽古をする。
その内 効果、(たとえば朝は鳥の声とか、せせらぎの音、昼はかえるの鳴き声とか、蝉の鳴き声、夜はふくろうの鳴き声とか、虫の音色を入れてお芝居をよりリアルにする方法。)を入れる。
そして、音楽が決まる。ラブシーンなどは少し明るい音楽。お別れは静かな音楽。
私はラブシーンにこの前見た「アラビアのローレンス」のテーマ音楽を進めたけど、反対多数で聞き入れられなかった。みな分かってない!と憤慨したのを覚えている。
この話をk先生にして、鼻で笑われた。映画の話よりどうも演劇の話になだれ込んでしまいそうだけど、許してください。
それでk先生の率いるk本高校の演劇もその年の高文連で見るチャンスがあった。胸躍らせて一番前の席で鑑賞した。
潜水艦の物語で、7人の乗組員といっても水兵。敵の襲撃にあい、海の底から浮上出来ない、このままでは全員絶望。舞台はこの船室から物語は始まる。
あと何日生きるための空気とか、食料とかあるか、色々な葛藤の末、誰か一人が爆薬を背負って船外に出て、居場所を知らせるしか方法がない。誰がその役目をになうかでポーカーで決める事になるというような男の物語だった。今思えば映画の「アルマゲドン」のような物語だ。
私は今でもこういった潜水艦の映画は大好きでほとんど見ている。「U-571」「眼下の敵」「レッドオクトーバーを追え」まだあるかな?
で、映画の話とは少し脱線するが、このk先生の話を少し聞いてください。
高校を卒業して、就職して楽しく働いていたある日、新聞でK先生のことが出ていた。
何でも美術部の卒業作品の制作に取り掛かる前に、生徒に「平和について」、戦争はどんな理由があるともいけないことだ云々と話されたそうだ。
その後生徒の彫刻の作品が、すべて、鳩の首のないのとか、子供達が悲しそうにないているのとか、普通の作品ではなかったらしい。
この作品を見て、先生や父兄が、共産主義を植えつけたと騒いだらしい。危うく首になりかけた時卒業生達が立ち上がって署名運動をしていると新聞に書いてあったので、私はとにかく先生の元をたずねた。卒業以来初めて会った先生は、変わらず堂々としておられた。
で私も署名運動を手伝った。先生は、多分辞職しなくてもよくなったのではないかと思う。
私はまったく勉強不足で、今もそうなのだけど、そういう学問的アプローチで思想とかイデオロギーとかを検証する事が出来ない。よく分からないのも手伝ってそういう方面にマニアックになりきれない。しかし、そうであってもそういう考え方をする人だからといって付き合うのにはやぶさかではない。人間が好きなのであり、言い換えればその人の内心とか、考え方ではなくて、全体に魅力があればそれでいいと思っているのだ。
話はそれたが少し前、NHKの衛星放送で「戦艦ポチョムキン」を放映した。この映画だ、そう思ったので録画した。そして何度も見ようと努力したけど、まだ見ていない。眠たくなるのだ。
大好きな映画「アンタッチャブル」の駅の乳母車のシーンはこの映画からとったものだということを知ったから、今度ゆっくり見てみようと思う。
この後は映画が私の唯一の楽しみとなり、映画産業華やかなりし頃、青春時代を映画を楽しんで過ごしたということは、今思えば本当に嬉しい事だった。
このシリーズもう少し続く。