おじたん。的ぶろぐ生活。

おじたん。である。語るんである。

我が闘争…。

2012-07-23 04:19:46 | 我思う、故に書くなりよ。
滋賀県大津市のいじめ自殺強要事件。

県警が介入して、捜査が始まっているが、県警がこうした形で乗り込んだ以上は『手ぶら』はないだろうから、結果が出るのを待つしかないな…。

まぁ、もう『いじめ』と言うより『犯罪』のオンパレードなので、皇居のお堀端界隈筋の情報だと…

「出ざるをえない…」
「クソガキ甘やかし過ぎだ…」

って事で…。そりゃまあ、そうだよねぇ…。何もかもが胡散臭く、限りなく怪しいワケで、妙な判決でも出ようものなら世の中どうかなりそうだ…って危機感が漂っている。この辺は、赤レンガの中の人達も黙って様子見…ってワケにもいかないみたいで…。

「子供はどこに逃げりゃいいのよ? ひでぇ話だ。まったく…」

って事なので、キッチリやる事はやる…って話である。まぁ『やらせる…』って人達が言ってんだから、やるでしょうけれども…。

自治体レベルで、こうした問題に対処する能力が完全に欠落していた事が発覚してしまった事件であり、それに乗じてお約束、お決まりの『判決』を頂こうとしていた感が拭えず、これまでの類似事件を見ても、被害者に報いる姿勢の無い『判決』を増産し続けてきたツケはデカイ。

あまりに杜撰で、ボロが出続けてこの策略が瓦解してしまったワケだが、未だに『保身』を図ろうとする姿勢が垣間見れる所が実にイヤラシイ。そんな連中が『教育者』の看板掲げている事実に社会が激怒しているのである。

また、大津市の問題として大きく騒がれているが、実は『滋賀県』の問題でもある。

その辺が判ってるのか判っていないのか…実にのんびりな反応しか見えてこない所に胡散臭さ、怪しさも格別で、『行政』も『司法』も機能していないに等しいのである…。

そうした中、現在にいじめを受けて苦しんでいる学生、学童は、いったいどうすればいいのか?

SOSの声さえ無視され、見殺しにされるしかあそこには術が無いのか?

ま、実際にそうなのだから諦めて死ぬ他に無いって事なんだろう。それはそれで誰が責任取るんだろうか?


自身を省みれば…やはり『声』は上げていたと思う。

中学生の頃に『いじめ』と言うのか、類似した目に遭っている。だが、今の『いじめ』とはちょいと違い、クラスが立派に『完全学級崩壊』していたので、そこにいる『腐ったミカン』の巻き添えを喰らっていたと言うべきかも知れない。誰それに対する『いじめ』って捉え方では無かったんだと思う。

…リアルタイムで『腐ったミカン』な頃だったが、TVドラマとは違い『腐ったミカンは百万歩譲っても腐ったミカン』なのである。そんなのがクラスに4~5人おり、どうした事か他クラスからも集まると、簡単に学級は崩壊する。それが『日常』。

自身は合法的に目立つ存在側にいたので、学級委員とかね…そうした連中とは常に敵対関係にあり、当時は毎日が『闘争』で、それなりに楽しんでいた。いきなりキンタマを蹴り上げられるとか、エルボーやドロップキック喰らうとか、そうした事は日常茶飯事だったし、物もよく無くなった。いわれの無い「デマ」もたくさん流された。

話をした事も無いスケバンの中絶費用の強制カンパが回ってくるとか、教室の後ろじゃプロレス技掛けられて失神失禁してるバカがいたり、いつのまに眉毛が無くなっているヤツがいたり、授業中に自販機でコンドーム買ってこさせられるヤツがいたり、ちょっと障害のある子がウシガエルの巨大なおたまじゃくし食わされてたり…。

自身はちっとも『いじめ』と思ってなかったのだが、机の中に死んで腐った猫を押し込められ、教科書やノートが使えなくなったりしたが、今考えると立派に『いじめ』だろうなぁ…。

まぁ、そうした問題を『学校』では基本的には民主的な『学級会』(今で言うLHRかな)と言う場で解決を図ろうとするのだが、腐ったミカン相手にそんなのは通用するワケでもなく、対話で平和的解決なんてのはキレイごとでしかない事をしっかりと学んだのだ。

かといって、実力行使じゃ敵う相手じゃない。徒党を組んだ腐ったミカンにゃ、そうそう敵わないのである…。

学級会の度に阿鼻叫喚だし、先生は頭抱えて泣いてどこか行っちゃって帰って来ないし、腐ったミカンと対話など無駄な時間が流れるだけの事は明白なのだが、一応は学校と言う場なのでそれしか解決方法が許されないんである…。

そうした中でも、嬉々として楽しんでいたのは科学部と言うアバンギャルドな部活動に勤しんでいた事で、心にゆとりがあったからだろうと思う。理科準備室から劇薬持ち出せばいつだって腐ったミカンは殺せるとも考えていたし、どうやったら効果的に殺せるか考えるのもまた楽しかったからである…。クラスが違うとそうした鬼気迫る事情も違ったりはするのだが、そこに集う『同志』の意見は心強かったし、ある種『後ろ盾』とも思っていられた。

ま、殺っちまうのは…それは最終手段だけれども、テドロトキシンを集めに江ノ島へフグを釣りに行こうとか、合法的な生物班の部活動として楽しむ雰囲気はあったなぁ…。顧問にバレて未遂に終わったが…。

やはり、声を上げる事は大事だ…って事になり、ここぞとばかりに、学級会じゃ、そりゃもう大声を上げた。


「警察の介入を!」
「機動隊を呼べ! 鬼の1機を呼べ!」
「自衛隊に治安出動を!」
「64式自動小銃の貸与!」
「毛沢東語録を高く掲げよ!」
「やつらを高く吊るせ!」
「水晶の夜の再来を!」
「鉄パイプでアタマを潰せ!」
「ジーク! ジオン!」
「ヘルメット・マスク・ゲバ棒の支給を要求する!」
「やつらにロボトミーを!」
「やつらを根こそぎ久里浜へ送りつけろ!」
「中ピ連と連帯を!」
「校門と登校口にバリケードの構築、重火器に設置を要求する!!」
「やつらに催涙弾の水平撃ちを見舞えっ!」
「硝酸銀で顔に焼印を刻み込め! 重クロム酸カリの紫を浴びせろ!」


…普段、おとなしい連中が歳不相応に不穏当で荒唐無稽な大声を上げるので、学校側もいろいろと気付いたらしい…。騒ぎを聞き付けておっかない先生が授業中にやおら入ってくるとか、教科担任に校長やら教頭が加わったり、そこそこの改善は果たされたが、腐ったミカンがクラスにいない…って平和な時間が少しの間続いただけで、根本的な解決にはならなかった。

そこはやはり、我々には『勝利』であり『ビクトリー』でもあったのだ。進学や就職すら満足にならないままクラスから姿の消えた腐ったミカンは行き場を失い、よそでオマンコ三昧の末にろくでもない騒ぎになっていたようだが、そんなのはどうでもいい。我々の戦場は『クラス』。平穏こそが『勝利』の証だったのだ。

それでもなぁ…日に日に精神を病んで行く教師の姿の観察を強いられるとか、腐ったミカンに抗いもせずに『仲間』を装ってなぁなぁで済ませる教師の姿を見たり、やたらと自習の時間が増え、こんなので高校受験がどうなるんだろう…って不安も毎日あったし…。

誰と連携、連帯する事もなく、困っている連中は困っている連中なりに声を上げた。中には集中してやつらの暴力を受けるヤツもいたが、誰と無く無茶し過ぎない様に声を上げた。ただ、自身の身を守るのは自身…って暗黙のルールみたいなのもあったかもしれない。やはり『格好の餌食』な存在はどこにでもいるのである…。

そうこうしている内に、受験も終わり、各々進路が決まると自由登校になり、クラスはどうにでもよくなり、大騒ぎもあまりなくなった。『卒業文集』には何ら学校生活と関係無い文章を書き連ねて『抗議』の記とした者も多くいた。

残るは『腐ったミカン』が卒業式で暴れるのか否か? って事が主な関心事であったが、そんなのはもうどうでもいい事になっていたな…。まぁ、騒いだ連中もいたが、式場となった体育館の裏で自衛隊上がりの体育教師にボコボコにされていたのも良い事だったし。きっとあの教師はマジで習志野出だったんじゃなかろうか…。手際よく無双に強かったのが鮮烈に記憶に残っている…。

今に思うと…必ず『眼』があって『声』があったんだと思う。もちろん、それを避けて餌食にされていたヤツもいたと思うが、万全では無いにしろ、そこへ向ける『眼』と『声』は少なからずあったと思う。

どうも『餌食』になってしまう人ってのは、『声』が小さかった気がする。そばにいながらも、どうして『声』を上げないのか不満に思ったりしていた事も事実あった。餌食となる事に諦めているのか、どうなのか、尋ねても答えが無かったりしたし、コミュニケーションに得手不得手もあったりするが、『痛い』って声すら上げず、顔をゆがめて我慢する姿を見せるだけだったりする。そこを見かねてこっちは声を上げるんだけれども…。

その『眼』と『声』が今の学校には無いのかな? とも思う。あってもそれを摘んでしまう環境が大津市の中学校に実在した事の責任はしっかりと追及し断罪すべきだ。SOSはかなり上がっていた事も判っている。被害者本人だけでなく、それを眼にし、耳にした級友が声を上げていた事も事実であったのに…。

それでも声が届かなければ、届くまで声を上げるべきだ。
死に追いやられるまで我慢する必要なんかどこにも無い。

なりふり構わず、声を上げろ。誰にだって構わない。バカだキチガイだナンダと言われても、大声を上げる事で、自分の命を守れる可能性が大きくなる事は間違いないと思う。昔と違って、今は様々なところへ声を上げられる。そのためのツールもノウハウも、身近にあったりするじゃないか…。

そうした声を無視したり、掻き消したりする大人や級友がいるとすれば…必ず粛清される世の中になりつつある。人の命を預かっているのに、人の死を無かった事にしようとする連中は必ず社会から制裁を受ける世の中が出来つつある。『腐ったミカン』とこれを庇護する連中をこれ以上甘やかさない世の中に進んでいる。

無い知恵を絞り、少しづつでも大声をあげる事で、闘う事が出来るのだ。

『いじめ』を受け入れる必要なんかどこにもないんだからね。ヤバイと思ったら、それこそ狂ったつもりで大声を上げて、抗う事も人間として大事な事なんだと思う。そうでもしなければ、今は、自分の命は守れない。

『腐ったミカン』らに、死を要求され続ける毎日なんざ、誰だって冗談じゃねぇんだ…。いつの時代でもね…。


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2 Comments

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記事の方へ書く予定です。 (おじたん。)
2012-07-24 22:47:05
ASP60さん、どうも。
コメ欄では狭くて書きづらいので、記事として返信しておく予定にしております。
返信する
 (ASP60)
2012-07-24 22:21:01
こんばんは。
そうですか、やはり私も声が小さかったのかもしれませんね…
でも、それはその人の背景にある家庭環境やらが大きく響いていると思います。
私の場合は、小学6年の一年間でした。母子家庭で母には絶対に隠しておかなければという意識があり、叩かれても蹴られてもひたすら我慢してました。助けてくれようにも親にばれるので「やめてくれ」と言ってました。
もう一人女子が、手は出されていませんでしたが言葉の暴力で親に言ったんでしょう。登校拒否を選びました。
私としてはその登校拒否の道が無い。助けを求めれば親にばれる→死ぬしかない。(ただナイフは持っていってました。いざと言う時は…道連れの為に)それしか頭にありませんでした。
ただただ、声が小さいのにも理由があると思いますよ。

今、四十前です。未だ、人を信用できません。自分の事を殺したいくらいに憎んでます。

登山で、無理すれば登頂出来たのに下山途中、その山の頂を もう一度… と思っている例え話が一番シックリ合います。

でも、その腐ったミカンより一日でも長く生きて、お通夜の席で死に顔を笑ってやろうとも思っています。


やはり、ハクキンカイロも人間も暖かい方がいいですよね。
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