おじたん。的ぶろぐ生活。

おじたん。である。語るんである。

どこまで知っているのか新聞屋さん。

2005-01-15 16:17:53 | 我思う、故に書くなりよ。
猛烈に寒い雨の降る中、新聞屋さんがやってきた。

前日にも来たのだが、今日は違う人だった。新聞を取る意思が無い事を伝えると、帰って言ったが、前日に来た人も、今日来た人もおかしな事をいっていた。

「読売新聞の方には取った事にしてもらって、試読でも構わないんだけど…。」
「ずっと朝日新聞ですよね? 洗剤とビール券持って来たんだけど、あっ、読売新聞です…。」

私はインターネットで新聞が読める事になって以来10数年、新聞を取ろうと思った事も、取った事も無い。新聞の折込チラシに興味がある訳でもなく、お酒も飲まないのでビール券も不要なんである。さも、ここの家に住んでいる人間を知っている風な様子がありありとしていて、それが違った事に驚きを覚えてるのはどういう事なんだろう?

私の生活の一部を新聞屋さんは知らなかったワケで、それはそれで構わないのだが、大方の家は知られていると言う事なのか。新聞屋さんがもの凄く重要で、無いと困る生活をしている人ならウレシイだろうが、全く関係無いと思って生活している私にしてみれば、これはちょっと「恐怖」だ。

新聞と言う紙のメディアに依存しなくなって、困った事はマズ無い。契約さえすれば過去の記事の詳細でもネットで見られるし、図書館を利用すれば縮小版が見られる。我が家に新聞が届けられなくても困る事は無いが、知らなくて良い情報を新聞屋さんが知っている事の方が困る。

洗剤とビール券と言う付加価値を付けなければ読まれないメディアって言うのも、今の時代、悲しくないかねぇ?

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