おじたん。的ぶろぐ生活。

おじたん。である。語るんである。

クジラ。

2008-03-11 17:20:28 | 我思う、故に書くなりよ。
まぁ、いまどきクジラを捕るってのも、どーよ? ってコトかなぁ…。

クジラやイルカは「捕ったり食ったりしちゃイケナイ動物」としての認知度が高いワケだから、食ったり、資源として利用するために捕る「捕鯨」ってのもいまどきどーかと思うな、これは…。

そんなわけで、調査捕鯨をやっている日本の船が環境保護団体から実力行使を受けている。

まぁ、こうなってしまうと抗議活動じゃなく、テロみたいなもんだから、相手が相手なら遠慮無く撃沈されるんだが、日本なのでそこまでやらないだけの話。いっそのコト要らなくなった鋼鉄のクジラでもぶつけて沈めてやったら、奴らも本望だろうと思う。そんなとこまで「専守防衛」じゃなくても良いと思うけどねぇ…。

だがしかし、捕鯨を反対する声は大きい。日本でも同じ。

「クジラを守ろう!」

ってムーブメントは盛り上がっても、

「うまいから捕って食おーっ!」

なんて言ったら、キチガイ扱いされかねない勢いで白い目で見られる。

クジラはそうした動物に変わったのである…。

にも関わらず、日本は商業捕鯨の復活を模索しているんである…。

まぁね、食うだけじゃなく、利用価値の非常に高い便利な動物だったので、それとなく続けたい…ってのは判るのだが、食うにしろ、利用するにしろ、もうクジラでなくても良い時代の日本にはなっているんである。

20年前に商業捕鯨を止めて、今の日本が大きく困っているかと言えば、そんな話はあまり聞いた事が無い…。一部の伝統芸能に使われる道具の修理にある種のクジラのヒゲがどうしても必要で困っている話を耳にした事があるくらいで、国民生活に重大な支障を来すようなコトにはなっていない…。

と言うか、クジラをそうした目で見なくなっている。捕ったり食ったりしちゃイカン動物なのである。やっぱり…。

そうした中で、なんで捕鯨に固執するのか? かなり謎なんである…。

後に行われるサミットでも率先して環境問題を訴える気でまんまんな日本であるが、クジラは捕って殺して利用し続けたい…ってのは、どーしたことか? 未だに魚の仲間くらいの認知度であるワケじゃなかろうから、だからこそ謎なんである…。

サミットやってもさ…

「おい! そこののび太っ! クジラ捕って殺して食っちゃってるくせに…!」

の一言で終わるじゃんかなぁ…。そうした問題にまで繋がっている動物に、クジラは変わっていると言うのが、世界的な認識だったりするんじゃなかろうか…。

かつて当たり前の様にクジラを食べていた世代がそうした立場から追い出されれば、あっさり日本の捕鯨も幕を下ろすと思う。いまはそうした世代がお偉いさんのイスに座っているから固執しなきゃならないんだろうけれど、世代が変われば簡単に変わるんだと思うよ…。本当は今だって…

「あー。もうヤメちゃった方が楽でいいんだけどなぁ…」

って感じだと思う。無理してがんばる理由も乏しいし、続けるほど矛盾が増えるんだし…。1つの文化でもあったワケだから、やめるのも勇気がいるんだと思うが、ヤメ時ってのを間違えると大変なコトになりかねない時代。

サンマやイワシみたいに、無尽蔵に獲れる様な動物でも無いし、養殖や量産ってワケにもいかないんだから、その資源の枯渇は「種の絶滅」をも意味するワケで…

「2035年…ニタリクジラ絶滅。日本が獲って食ったから…」

なんて記事が後世の生物辞典に載ったりするのは、国民としてかなりイヤだ。

なんとなく問題になっていて、それとなく他人事な問題は他にもあるが、そろそろちゃんとした答えが出せる様に、国民から動かないとダメなんじゃなかろうか…。

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