おじたん。的ぶろぐ生活。

おじたん。である。語るんである。

本日の助からない予報。

2008-01-03 23:12:24 | 我思う、故に書くなりよ。
収容に1時間、事故男性死亡 5救命センター拒否 大阪(朝日新聞) - goo ニュース

「助からない予報士」ってのがいてだな、毎日データ集めて、救急車で救命センターに運ばれても『助からない』確率を予報するといいな。

確立の高い日は、重傷を負ってもぐるぐるのまま助からないのが予想できるので、誰も無茶しなくなるのである…。だから毎朝、家庭の玄関先では…

「お父さん、今日はほとんど絶望だから事故らないでね。あんたもよ。体育は危険だから休みなさい。」

そんでもって、救急車なんかあっても意味無いから止めてしまう。もう、偶然や奇跡や天罰や犯罪や天災があっても、救急と言うシステムが崩壊しているので、そうした必要のある怪我ってのはイコール『死』ってこと。

で、そうした隙間をぬって、救急専門だけど、チト医療費の高い専門病院が新たに生まれて、繁盛したりするとおもしろい。結果的にたらい回しで残酷にも死を宣告されちゃう人も増えるので、『安楽死専門』って商売も流行ったり…。

まぁ、平時でこんな調子なので、大規模災害の時は『諦める』ってのがセオリー。

病人や怪我人の数なんてのは、そうそう大きな変化も無いだろうと思うのだけれど、何故だか病院がやっていけない時代になっている。病院はやっていけても、医者を必要な数雇えなかったりなんだりで、医者はおろか、看護士も雇う事がままならず、儲けの無い診療は極力しない、あるいは、全くやらない…って方向なのだ。

国策としての医療制度が失敗しちゃったワケで、そのうち、医者のなり手がいなくなるのだから、国民は無茶しちゃいけないのである…。ここのところ、関西方面でこの惨事が顕著だが、関西に限ったコトじゃないので、やはりこの様な「予報」が必要となってくるんであるな…。

救急車を呼べば助かる…って時代ではもうないのであるから、救急車を呼ばずにどーするかを考えなければならない。と、言っても、その先の病院が無いワケだから、やっぱり諦める他に方法も無いな…。

そうした場合にとっても便利な『緊急時安楽死キット』ってのを売るべきだ。たらい回された挙句に、酷く長い苦痛の末に死に至るのであれば、速やかに安楽死出来た方がマシだろう…。

2セット買うと、もう2セット付いてきて家族ならお得! とか、1回使うと¥5000キャッシュバック! とか、意味も無くプリンターが付いて来るが、インクがふざけたように高いとか…。

冗談ではなく、そういう時代なんだな…。今は…。


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