おじたん。的ぶろぐ生活。

おじたん。である。語るんである。

コニカミノルタ。

2006-01-20 17:01:24 | 我思う、故に書くなりよ。
消えちゃうんだねぇ…。

α9000ってのが出た時にちょいと触った覚えがあるくらいで、世間がピッカリコニカで席巻されていた時代にキャノンの1眼レフが父の愛機だったもんだから、どちらもあまり思い入れは無い。プロになって、幾つかのフィルムとか印画紙は使ったかなぁ。それもあまり覚えが無い…。

自分の選択肢に全く入って来ないメーカー2社が合併してどっちなんだかどっちもか…な名前になったのは驚いたが、もう少し続くモンだろうと思っていた。が、なかなか早くの完全撤収となってしまったねぇ。

残ったメーカーも、この先「銀塩」という土壌じゃあ大きな利益も見込めないだろうコトは言われているし、実際にそうなんだろう。一部のプロが使うだろう世界にまで縮小されつつあるし、素人が見てもその違いなんか判ったところで「だからどーなのよ?」って域を出ない。だが、そこが「大事」だからプロはそれを選ぶんだけどね…。

そういう違いも判らないまま、1眼デジカメ抱えて「プロでござい…」ってのも増えたし、自分でフィルムを現像したり、とことんプリントしてみたりってコトの全くないプロも多いと聞く。表現方法の違いだから、それが一概に悪いワケでは無いが、そうした世界を知っているのと知らないとでは、やはり「腕」も違ってくるのは明らかなんだけど、選択肢そのものが無くなってしまうのでは、これも致し方ないのかなぁ。

つい最近、会員制のフォトブログに入会して、自分の写真を載せたり、人の写真を見たりしている。善し悪しも様々だが、デジカメ全盛な割には、載せられている写真が至極オーソドックスなモノが多い。デジカメなのだから、もっとぶっ飛んだ表現があっても面白いとおもうのだが、デジカメでありながら「銀塩カメラ」の代用的な作例がほとんどだと言って良いと思う。

私も、デジカメでありながらも「銀塩カメラ」として使っている1人。撮った写真はリサイズする位で、ほとんどいじらないまま載せている。本来なら、合成だのなんだのってのはデジタルならいかようにもいじくれるハズで、そうした表現も良いとは思うのだが、まだそのレベルに進んでいない。デジカメならではの、もっとぶっ飛んだ作例がたくさん出て来ておかしくないんだけれど、あまりにも少ないのは、クリエーターを目指す者としてはちょいと先行き心配だったりする。若い人には「オーソドックス」を学ぶと平行して「ぶっ飛んで」欲しいなぁ。デジカメにツールが変わったお陰で、表現力は無限にも広がったワケだし。

カメラ…にしても同じ。いい加減、ぼろくなったので買い換えを検討はしているのだけれど、望むモノがあまり無い…。そりゃあ、コンパクトより、1眼の方がいろいろとアドバンテージが大きいコトは知っている。が、今の撮り方だと、別に1眼で無くてもOKだったりするし、1眼だと邪魔…になってしまう場合が出て来る。結局、ぼろいのと、ケータイで十分作品は作れたりするので、新機種導入に至らないのだけれど。

強いて欲しいなぁ…と思うのは、銀塩をあっさりやめて、デジタルに早々と走ったリコーが作ったGR DIGITAL とか Caplio GX8 かな。GRはともかく、人気無さそうなGX8はなかなか凝った作り。ただいずれも、望む形でもスペックでも無い。機能で言えば要らないくらいに満載されているんだけれどねぇ…。

そう思うのは「銀塩カメラ」のシンプルな操作が身に付いちゃっているからだと思う。
覗いて、ピントを合わせて、露出を計って、自分の露出をそこから決めて、写真を撮る…。ってコトなんだけれど、そう言う大したコトの無い操作が酷く複雑だったりしちゃう。まぁこれはリコーのカメラに限ったコトじゃないし、リコーはかなり良い部類に入っている。もっと酷くなると、そんな操作に夢中になっているだけで、電池が無くなったりするモノもある。

まだまだだと、思って使うか、まだまだだと、買わないでいるか…って自分。

だからこそ、あまり縁の無いメーカーであっても、消えてしまうことが「寂しい」。

もしかしたら…って期待すら無くなってしまうワケだし、土壌として選択肢が狭まるのもやっぱり悲しいよなぁ…。


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