上図は、暦代宰相、財界指導者たちが競って師事した東洋思想の第一人者「安岡正篤」先生の命式です。
(安岡 正篤:やすおか まさひろ…1898年2月13日-1983年12月13日)陽明学者・思想家)
彼は、自分を無用のものという意味で「瓠堂(こどう)」と称し、無位無官の市井(しせい)の人として過ごした。
しかし、一方では第二次大戦以降の吉田茂、佐藤栄作から田中角栄、中曽根康博に至るまでの暦代首相の指南役を務め、三菱グループ、東京電力、住友グループ、近鉄グループ等々多くの財界人にも師と仰がれた。
s.20.8.15.昭和天皇によるいわゆる「玉音放送」で発せられた「終戦の詔勅」の草案作成にもかかわり、また、「平成」の元号の考案者でもありました。平成という元号も来年4月30日まで、5月1日からは新しい元号になります。
(安岡氏の命式)
日柱:丁未 冠帯…丁は文化・文明を表し、日支の冠帯は頭の良い人が多い。
天干の変通星の並びは、印綬を中心とする傷官と偏官との並びの命式。…「印綬傷官+官印両全」のミックス型。
五行を見ると印綬と傷官に星(●)が3つずつ並ぶ命式。…印綬と傷官のバランスが3対3と絶妙。才能で生きる星。
金の財星が弱い。金や女で生きる命式ではない。
非常に頭が良く、その才能を社会で活かす命式で、思想家にはピッタリですね…。
そこで、今回は安岡正篤先生の名言集を書きます。(あるネットの記事から)
・活力・気迫がなければ、善も悪も、是も非もない。
・幸福な人生とは、その人が一生の間にどれだけ「幸せだ」という感情を持つ事ができるかによって決まるもの。こう考えると、順風満帆の時もそうでない時も、その時、「どう感じるか」が重要になってくる。つまり、いま、この瞬間をどう思うかなのである。今を幸せと感じられれば、人生は「いま」の連続体なのだから、一生が幸せなのである。
・最後まであきらめなかった人間が、成功しているのである。
・一つの灯火を掲げて一隅を照らす。そうした誠心誠意の歩みを続けると、いつか必ず共鳴する人が現れてくる。一灯は二灯となり三灯となり、いつしか万灯となって、国をほのかに照らすようになる。
・太い筆で細かい字を書く。 これが人生を渡る秘訣だ。
・凡と非凡の分かれる所は能力の問題ではない。精神であり感激の問題だ。
・一人の人間の死後に残り、思い出となるのは、地位でも財産でも名誉でもない。その人の心・精神・言動である。
・愚直で、少々頭も悪く、小才も利かぬ、そんな人間の方が、根が真面目なだけに、修養努力して大人物になることが多い 。
・人間は学び続けなければならない。学ぶことをやめたら、人間でなくなる。
・自己と仕事が分裂していてはダメ。仕事に打ち込んでいくと、自分の対象である仕事は、 自己と一つになることによって精神化される。そうすると、どんどん物事が解決していく。
・なるべく人の世話役を心がけよ。そして、報(むくい)を望むな。求むるな。
・人物が偉大であるほど立派な環境を作る。人間ができていないと環境に支配される。
・言葉は言う人によって、みな意味が違ってくる。文字や言葉だけで、それがみな同じだと思ったら大間違いである。
・人間、なにが悩みかというと、自分が自分を知らざることである。
・人を論じたり、世を論じたりすることはやさしいが、自分を論じ、自分を知るということ…実はこれが一番大事であるにかかわらず、なかなか難しいことである。
・人間は、先ず自分を責むべきであって、世の中や時代を責むべきではない。世の中が悪い、時代が悪いというのならば、そういう時世に対して、一体自分はどれだけ役に立つのか、それをどう解釈し、それに対してどういう信念・情熱を持っているのか、よく自分を責めるがよい。
・皆が利を求めて行動するようになると、お互いに忌みあい、必ず人間関係、人間の生活、人間の事業というものを壊してしまう。
・人間は自得から出発しなければならない。人間はいろんなものを失うが、何が一番失いやすいかといいますと、自己である。人間はまず自己を得なければいけない。人間はまず根本的に自己を徹見する。これがあらゆる哲学、宗教、道徳の、基本問題である。
・人間の自由は物質的満足の得られることにあるのではない。窮しても苦しまず、憂えても意哀えざるにある。禍福終始を知って惑わぬことにある。
・積み上げて自分の身ほどの書物は、毎年読み続けるくらいの心がけが、人物を磨いていくのである。
・道に志したなら、衣食がたとえ粗末であっても気にすることはない。
・他人が見ても心地よい表情や態度を心がけて、感情の乱れを表に出してはいけない。
・細心の注意を払い、実行する大胆さを持て。
・人々の楽しみの後に自分は楽しめ。
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