人だすけ、世だすけ、けんすけのブログ

愛知13区(安城市・刈谷市・碧南市、知立市、高浜市)
衆議院議員 おおにし健介

「遊就館」見学

2006年08月10日 | 政治
総理の靖国参拝に注目が集まるこの時期を特に選んだわけではないですが、以前から行きたいと思っていた「遊就館」を見学しました。見学者の多くは、私と同じような比較的若い世代であったのが印象的でした。
中国が靖国神社=War Shrineというロジックのひとつの根拠としているのが、「遊就館」が戦争を美化しているということなので、実際に自分の目で見てみたいと思ったのです。
中国の主張から、戦争美化のかなり偏向した展示を想像しましたが、率直な感想はかなり違ったものでした。韓国の独立記念館や西大門刑務所歴史観の展示で感じるような強烈な違和感は感じませんでした。ただ数点気になった点もありました。
例えば、第二次大戦前夜の国際情勢について、日本包囲網の中で日本が戦争に踏みきることがやむを得なかった当時の国際環境を伝えている部分を第二次大戦を正当化するものだとの批判もありますが、当時の国際情勢をきちんと説明した上で当時の指導者の判断というのが適当だったのかどうかを客観的に見つめることは私はむしろ必要なことではないかと考えます。ただし、あくまで簡単に「仕方がなかったのだ。」と片付けてしまうこともできないと思います。極端ですが、北朝鮮が経済制裁を受けて国際的な包囲網でしめあげられたからミサイルを撃ってよいということにはならないと思います。
もうひとつ気になったのは「守勢作戦」という展示。私は軍事的なことは分かりませんが「守勢」というのは作戦なのかという違和感を感じました。開戦に踏みきらざるを得なかった当時の国際情勢があったとして、守勢に回らざるを得ない状態になったところで、停戦・終戦に向けてどのような取り組みがなされたのか、そのことが知りたかったと思いました。国を守るため命を投げうつことは尊いことだと思います。ただ、玉砕戦死を美化することにはやはり違和感を覚えます。
英霊の残した数々の手記は本当に胸に迫ります。「お父さんに会いたくなったら九段にいらっしゃい。」という一行を読んだ時には目頭が熱くなりました。家族、郷土、国を想い無念の死を遂げた英霊への哀悼の誠の気持ちは日本人であれば私は誰もが共有できる気持ちだと思います。戦史・軍史としての展示もそれはそれとして立派なものですが、戦国時代の刀や勇ましい戦車と英霊の遺影や遺書が並んでいることには多少の戸惑いを覚えます。
私は、できるだけ多くの日本人にこれを見て欲しいと思います。そして、それを見た者の心に去来するものは、戦争の美化ではなく「二度とこんな悲しい思いをすることがあってはならない。」という平和への誓いであって欲しいと思います。